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S駅の旅する業務記録

25.松浦鉄道西九州線(3) -西九州線の数奇な歩み&伊万里牛に舌鼓- #長崎 #佐賀

ジューーー。「伊万里牛取扱指定店」と誇らしげな伊万里焼のプレートが掛かる傍で、シェフの手によってサーロインの色が鮮やかに変化してゆく。名高き佐賀牛のなかでもひときわ名高き伊万里牛、この舌でぜひ堪能しようじゃないか───。

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・クルマ観光客も歓迎、たびら平戸口駅

西田平を15:41に出た松浦鉄道西九州線普通伊万里行きは、次のたびら平戸口で6分停車。長距離乗車の観光客にとってはちょうど良い休憩タイムで、この6分を利用して資料館を見物する人や、記念の入場券を買う人もいる。

そして、平戸観光のついでなのか「日本最西端の駅にやってくるローカル線」を見物するだけの人もぞろぞろいるのには驚く。松浦鉄道の側もこうした鉄道に乗らない訪問客も歓迎しているようで、「あと3分で発車しますよ〜、写真お撮りしましょうか」なんて声かけを率先して駅員さんがやっている。こうした光景には心安らぐものがあるし、何より松浦鉄道にとっても入場券代が収入になる。たびら平戸口の駅前は決して広くはないが、それでも何台かは車が停められるので、マイカーの観光客にとっても立ち寄りスポットになっているのだろう。

「本当は列車に乗ってみたいが、今日は家族の車なので入場券だけ」といった、いかにも名残惜しそうな少年の澄んだ眼差しが痛い。大丈夫、きっとそのうち自分の足で旅に出られる日が来るよ───、かつてそんな少年だった自分は、そんな感慨を覚えずにはいられなかった。

f:id:stationoffice:20180815183145j:image元祖「日本最西端の駅」を主張する駅名標
f:id:stationoffice:20180815183148j:imageローカル色たっぷりの駅は観光客で賑わっていた

15:50、たびら平戸口発。松浦鉄道西九州線普通伊万里行き。

・海陸連帯輸送の名残を残す平坦線

たびら平戸口までの西九州線は、佐世保の都市近郊路線らしからぬその蛇行ぶりに、かつて谷筋を掘って掘って石炭を運び続けた私設の運炭鉄道としての出自を感じさせてくれた。しかしたびら平戸口より先は一転し、海べりの平坦線を淡々と走るようになり、スピードも上がる。これは、たびら平戸口伊万里間が運炭鉄道としての役割に加え、伊万里や有田、さらには佐賀や博多と、平戸口桟橋を直結させるための海陸連絡鉄道の役割も持って国鉄線として生まれたという、純運炭鉄道の私鉄として開通した佐世保側に対して開通の経緯が異なることによるものだ。

f:id:stationoffice:20180817004120j:image美しい棚田と玄界灘(御厨→松浦発電所前)

有田─伊万里たびら平戸口間は、まず1898年に有田─伊万里間が「伊万里線」の名で開通。有田焼を伊万里の港へ運搬するためという、全国にも珍しい陶磁器輸送のための鉄道であった。次いで1930年に伊万里スイッチバックして松浦・平戸口方面への延伸をはじめ、1935年に平戸口へ到達。この時期はいよいよ軍事輸送の色が濃くなってくるあたりで、国際航路こそ無かったものの、引き続き地方港湾都市として海上交通の要衝であった平戸への鉄道の延伸は急務であったことだろう。伊万里からさほど寄り道することなく、まっすぐに平戸口へ向かう線形となっているのは、沿線に点在していた炭鉱からの貨物輸送ももちろんであるが、田平・平戸からの航路との連携も重視していたためではないかと思う。離島の防衛が現在とは比較にならないほど重要であった当時、離島航路の起点となる港湾都市へ向かう鉄道の拡充は、国策と切っても切れない関係であった。

その象徴的な話として、1944年4月に開通した潜竜(せんりゅう、現・潜竜ヶ滝)─肥前吉井(現・吉井)間にある福井川橋梁の話が挙げられよう。この区間は、有田・伊万里側の「伊万里線」と、佐世保側の「松浦線」を結ぶための最後の区間であった。本来であれば鉄筋コンクリートを用いるべきところ、戦時の物資不足ゆえ、鉄筋を竹で代用したという説がある。現在に至るまでその真偽は不明であるが、そのくらい物資不足が深刻であったにもかかわらず、軍都・佐世保への鉄道延伸が急がれたということだろう。この2.3kmの区間の開通によって有田・伊万里側と佐世保側が結ばれたことで、有田─伊万里─平戸口─佐世保間の全線を「松浦線」に改称。初めての区間の開通から実に45年をかけて全通している。

f:id:stationoffice:20180815182655j:image九州電力電源開発松浦火力発電所。松浦は今でも石炭の要地
f:id:stationoffice:20180815182659j:image発電所前」を名乗る駅は日本でもここだけ

玄界灘に浮かび上がる威容を誇る松浦発電所の目の前にある松浦発電所前では、出張帰りらしきビジネスマンが一人、見送りの人に送られながら乗り込んできた。北松炭田の時代とは変わりつつも、海外炭ではあるものの、石炭がなお松浦市の経済を支えていることが窺える、印象的なシーンであった。

たびら平戸口から24分で松浦。旧国鉄松浦線」の名を冠する駅で、松浦市の中心となる地であるが、いたって静かな駅。北松炭田(ほくしょう─)閉山後は御多分に洩れず、基幹産業を失ってしまった。その次なる基幹産業として松浦発電所の誘致を行ったわけであるが、平成の大合併を経てなお人口23,000人という規模は、おおよそ「市」のそれではない。

f:id:stationoffice:20180815191742j:image地域の小さな交通ターミナル、松浦駅。画面には写っていないが、左側の駅舎脇には西肥バスも待機している

しかしながら、やはりというか何というか、ここからも佐世保行きの西肥バスが1時間に1本発着する。平戸桟橋からの(半)急行と違って「普通」を名乗るが、1時間に1本という運転間隔は平戸桟橋発と遜色ないものだ。

海べりをぐねぐねと蛇行してゆく西九州線と異なり、北松浦半島の付け根を横断してゆく短絡ルートを採るため、佐世保まで1時間10分、佐々までは僅か30分で着いてしまう。西九州線だと佐世保まで1時間50分、佐々まで1時間を要するため、所要時間では比較にならない。

そのため、松浦市においての西九州線の役割は佐世保への足ではなく、伊万里や平戸(口)といった玄界灘沿いへの公共交通といったところ。先述した平戸桟橋─松浦駅前の西肥バス平戸松浦線も、西九州線に並行する伊万里松浦線もやはり2時間に1本程度。この点、1時間に1本がきっかり同じ時間でやってくる西九州線は頼りになるだろう。松浦駅からやや離れていた松浦バスセンターが、2003年の松浦駅改築に合わせ松浦駅へ統合され「松浦交通センター」の名に改められたあたり、ここでも西肥バスと西九州線は補完し、連携する関係にあるのだろう。言うなれば、扇の要に佐世保があり、西肥バス東松浦半島各地の扇の外周へと直線で結び、その外周に沿って西九州線が走るようなものか。

松浦で3分停車して佐世保行きと交換。ここから佐世保まで乗り通す人はまずいないであろうが、それでも安易にたびら平戸口や佐々で切ったりせず、佐世保直通を柱としている点は好ましい。佐世保ピンポイントであれば鉄道の出る幕はないにせよ、バスが利用しにくい大学(=長崎県立大学佐世保校)、江迎鹿町などの主要駅が西九州線には点在する。乗り換えなしの直通サービスを提供するには、全線直通とするのが一番いいのだ。16:17、松浦発。

f:id:stationoffice:20180815192401j:image向こうに望むは鷹島か福島か
f:id:stationoffice:20180815192405j:image玄界灘沿いの直線を飛ばしてゆく

松浦の次、「調川」はいかにも読めない。東京の「調布」のような、おそらくは平安時代の租庸調に纏わる地名だろうが、それがなぜ「つきのかわ」になるのか…「月に一度織った布をくぐらせる川だった」とか、そんなところだろうか。ともかく、防人以来の長い歴史を持つ北部九州らしい地名とも思う。

16:28の鷹島口、16:34の福島口と、島の名を冠した駅名が続く。いずれも玄界灘に浮かぶ島であり、平成の大合併松浦市となるまではそれぞれ北松浦郡鷹島町北松浦郡福島町で独立していた。しかし、その地形ゆえ離島架橋の折に至っても長崎県本土と結ばれることはなく、鷹島佐賀県唐津市(旧肥前町)、福島も同じく佐賀県伊万里市と結ばれてしまった。このため平成の大合併の折は越県合併も模索されたが、結局県境の壁は如何ともし難く、定期航路があった松浦市と合併するに至っている。どちらも唐津伊万里といった地域の中心都市へ架橋された折、航路の利用者は多くはない。それでも公共交通ネットワークを担う松浦鉄道としても、島の名を冠する駅を維持しておくのは、ひとつのアピールになるだろう。

・「市内線」的な伊万里─有田間

たびら平戸口から1時間5分、松浦から38分を経て16:55、ようやく終点・伊万里に到着。西九州線では佐世保からは2時間半となるが、ここもやはり西肥バスが1時間10分程度で佐世保との間を結んでいる。

f:id:stationoffice:20180816234536j:image松浦・たびら平戸口方面(右)と有田方面(左)はホーム対面で接続
f:id:stationoffice:20180816234528j:image西九州線同士はスイッチバック。JRの乗り場は道路を隔てた先
f:id:stationoffice:20180816234540j:image改称から20年以上経つが「たびら平戸口」にはなっていなかった

f:id:stationoffice:20180816235026j:image行き止まりの伊万里駅。JRとは道を挟んで向き合うのみで、レールは絶たれた

といってもここは佐賀県となるためか、佐世保行きのバスは概ね2時間に1本と、松浦や平戸といった長崎県内の各駅よりも本数は少ない。福岡行きは別として、同じ佐賀県内の唐津行きや佐賀行きの昭和バスが1時間に1本程度出るようになり、長崎県内の各駅とはまた違った利用動向が見られるようになってくる。

さて、鍋島焼の里・伊万里で知られる伊万里市街を歩いてみたさはあるものの、駅舎併設の「伊万里・鍋島ギャラリー」は残念ながら17時クローズ。伊万里駅近傍の「陶器商家記念館」も17時クローズで、徒歩での目的地は軒並み17時までだ。伊万里に限った話ではないが、夕方になってくると街を歩いても目的地が居酒屋くらいしか無くなってくるのが、地方都市らしいところ。

この次は西九州線で有田方面でひとつ先、川東駅近くの伊万里牛ステーキ店へ行く予定で、予約の時間までは少しあったので伊万里駅付近を歩こうかとも思っていたが、このまま伊万里駅に留まっても目的地がないのでは仕方がない。いったん8分後の17:03発西九州線普通有田行きに乗り換えて終点・有田まで行き、松浦鉄道を完乗してからステーキ店へ行くことにした。

有田行きは1時間に1本の松浦・たびら平戸口方面よりも本数が多く、1時間に2本の時間帯も少なくない。ただし最終は21:20と早いが、松浦方面(21:59発最終松浦行き)、JR筑肥線唐津行き(20:30発最終唐津行き)にしても似たようなものなので、やはりこの街は夜が早い傾向にある様子。

17:03、伊万里発。松浦鉄道西九州線普通有田行き。

f:id:stationoffice:20180816234532j:image有田行きは沿線をPRする特別塗装車だった
f:id:stationoffice:20180816235022j:image佐々の車庫までは2時間かかるため、伊万里駅にも留置線がある

伊万里発車の時点では座席が埋まる程度。夫婦石(めおといし)で下り伊万里行きと交換。有田町役場が近い西有田でやや多い乗降があったが、基本的に各駅毎に数名ずつが入れ替わってゆく。終点・有田の一つ手前、三代橋(みだいばし)からも買い物袋を提げた高齢者が乗り込んできた。僅か1.7kmであるが、それでも歩くには遠い距離であり、高齢者にとっては貴重な足だ。三代橋駅の近くには中型スーパーのマックスバリュがあり、そこからの買い物帰りだろう。有田駅付近は有田焼の窯元が密集する旧市街地のため、マックスバリュのような商業施設には乏しい。松浦鉄道転換後は新駅が増え、国鉄時代の途中駅は夫婦石・蔵宿(ぞうしゅく)の2駅のみだったが、今ではほぼ倍の駅があるため、このような市内線的な利用の掘り起こしに繋がっているようだ。

伊万里から26分の17:29に有田に到着。多くは改札口への階段を上がっていくが、20分後のJR佐世保線普通肥前山口行きを待つ高校生もいる。予想に反し、有田での特急接続がない列車だったからかもしれないが、伊万里からの乗り通しは三分の一もいなかった。沿線の様子を見る限り田畑もあるが人家は絶えず連続している区間であり、駅付近以外には何もないという典型的なローカル区間とも言い切れない。途中駅での乗降の方が多かったのは、それだけ西九州線が伊万里と有田の間の市内線的に機能している証左でもあろう。

f:id:stationoffice:20180816235750j:image「おおき」と読みたくなるがここは「おおぎ」
f:id:stationoffice:20180816235754j:image佐世保線経由なら佐世保から20分だが、西九州線経由だと3時間

伊万里牛の「イチボ」を味わう

有田到着から9分後、有田17:38発松浦鉄道西九州線普通伊万里行きで引き返す。伊万里行きも有田行きと似たような利用状況で、やはり西有田の乗降がやや目立つ。そして伊万里の一つ手前、川東(かわひがし)駅に着いたのは18:01。

f:id:stationoffice:20180816235945j:image川東を出る伊万里行き

こんな簡素な片面ホーム1面の小さな駅に降り立ったのは、駅徒歩6分の場所にある「ステーキ 勝(しょう)」へ行くためだ。川東駅もやはり国鉄時代には無い駅で、松浦鉄道転換後に開業した新駅。佐賀県伊万里高校が近く、付近の私有地には「伊高生通り抜け禁止」なんて立看板もあったくらい。学校のHPを見ると、伊万里駅からだと徒歩20分だが、川東駅からは8分。伊万里駅で乗り換えとなるが、松浦方面と有田方面は数分で接続を取るため、乗り継ぎ利用も多いはず。伊万里方面、有田方面双方から、川東駅へ向かう高校生の波がそれだけ多いのだろう。

さて、お目当ての「ステーキレストラン 勝(しょう)は、川東駅から住宅街の狭い坂道を上り、伊万里佐世保を結ぶ国道202号沿いに出たところにある。特に駅に案内があるわけではないが、地方都市のロードサイド店でありながら、駅徒歩6分の近さはありがたい。

さて、本日は伊万里20:30発のJR筑肥線最終唐津行きに乗り、唐津の宿に泊まる旅程を組んでいたので、あまりゆっくりしている余裕はない。念のため18:15の予約を取っていたが、他にいたお客さんは1組だけ。訪問が6/24(日)であったこともあり、伊万里でディナーを食べてから帰るとなると、東京はおろか福岡到着も21時を過ぎてしまう。そのため観光客の姿はなく、自分らの後に来店したお客さんも、あくまで地元の人がちょっといいディナーを楽しんでいる様子であった。

f:id:stationoffice:20180817000136j:image国道沿いながら感想から一歩離れた奥座敷のような静かさ

昨夜の佐世保レモンステーキに続き、やはり伊万里に来たら佐賀牛、とりわけ伊万里牛を楽しみたいもの。メニューを見ると、オススメに「イチボ」とある。牛尻肉の上側の部分のことをいうそうだ。シェフの方曰く「赤身と脂身のいいとこ取りをしたような部位ですよ」とのこと。未知の部位だけを注文するのも冒険だったが、ここはサーロインとイチボを100gずつ注文することに。さて、そのイチボがこれだ。

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f:id:stationoffice:20180817000304j:image醤油や柚子胡椒と共に頂く

舌触りは赤身肉らしく淡白な印象だが、後から後から上品な脂分がほどけ、舌に染み込んでくるかのよう。なるほど、赤身肉らしい素直なあっさり加減は残しつつ、その隙間にきめ細かな脂身が散りばめられているような、確かに「赤身と脂身のいいとこ取り」な感じだ。それでいて単価はサーロインよりも安く、これはお得な部位だ。もちろん一緒に食べ比べたサーロインも美味であったが、その旨味と安さからすると、ここはイチボの勝利と言えそうだ。ただしステーキ店ならどこでも取り揃えてあるようなメジャーな部位ではなく、ステーキ「勝」さんが肉の卸を直営しているから提供できるといったこともあるだろう。

まさに畜産の街ならではの、安くて美味いステーキを堪能できたのは幸運だった。駅にも近いので、鉄道旅行の人にもオススメしたい。

関連ランキング:ステーキ | 川東駅

 

・一緒になってまた別れて…伊万里駅

伊万里牛を堪能し、川東19:14発伊万里行きで伊万里駅へ戻った。伊万里までは2分、19:16に到着。松浦方面への接続列車がないため、殆どの乗客は改札を抜けてゆく。21分後、19:35にも有田発伊万里行きが到着するが、こちらは19:42発佐世保行きが接続するため、乗り継ぎ利用は一本後に集中しているのだろう。こちらは1時間以上あとの20:30発JR筑肥線最終唐津行きまで待つため、一旦駅から出てみる。

f:id:stationoffice:20180817002957j:image川東19:14発伊万里行き。19時過ぎでも明るく、西国は日が長い
f:id:stationoffice:20180817002950j:image車内精算が基本なので改札口はない
f:id:stationoffice:20180817002954j:image自動券売機も18時で停止する。車内精算で事足りるのだろう
f:id:stationoffice:20180817002946j:image唐津・福岡への昭和バス、佐世保への西肥バスの券売機が並ぶ

同じ西九州線同士ながらスイッチバックとなるのは、先述した開通年代の違いによる歴史が関係している。明治期、1898年に有田から伊万里港に向かって開通した線路は松浦・平戸口方面とは反対を向いており、1930年に松浦方面への延伸を開始する際は、伊万里駅からスイッチバックとするほかなかったと思われる。その後、1935年にJR筑肥線の前身となる北九州鉄道線がスイッチバックの終端側から乗り入れてきたので、伊万里駅は一見して博多・唐津方面からの筑肥線が有田方面と松浦・平戸口方面へと分岐してゆくかのような線形となったが、この時点で両社は国鉄と私鉄の関係であり、直通運転はされなかった。見た目通りの博多・唐津←→松浦・平戸口・佐世保方面への直通運転が始まるのは、北九州鉄道が国有化される2年後の1937年まで待つ。伊万里駅の開業から実に40年近くを要したことになる。

筑肥線の国有化後はしばらく松浦線筑肥線の接続駅であったが、1987年の国鉄民営化ののち、1988年に松浦線JR九州から松浦鉄道西九州線として分離され、伊万里駅に乗り入れるJR線は後から乗り入れてきたはずの筑肥線だけになったのは、どうした運命だろうか。しかし会社こそ分かれたものの、引き続き両社の共同使用駅としてレールも繋がっていたが、転機が訪れたのは2002年。

ここからの展開については、貴重な現地の方の生のお話を聞けたので、それを織り交ぜながら次週紹介しよう。

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2002年にJRの東駅舎(左)と松浦鉄道の西駅舎(右)が分かれ、その間を道路が貫くユニークな構造に生まれ変わった伊万里駅。JRと松浦鉄道を結んでいたレールは絶たれてしまったが、駅の変化が街にもたらしたプラスの変化もあった。そこから学べることは何だろうか。

 

(つづく)

24.松浦鉄道西九州線(2)・西肥バス平戸松浦線・佐世保平戸線 -かつての国際貿易港・平戸- #長崎

かつてフィランドと呼ばれし国際貿易港・平戸。オランダがもたらした世界地図に漢字が添えられた様からは、往年の平戸が開いた世界への扉を見るかのようだ。

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佐々駅ののんびり緩急接続

佐々で快速佐々行きから普通伊万里行きに乗り換え。1番線に上り佐世保行き、2番線に下り普通伊万里行きが停車しており、下り快速佐々止まりは行き止まりの3番線に到着。快速佐々行きから普通伊万里行きへの乗り換えは3番線から構内踏切を渡り、2番線へ。下り快速→普通の接続と、上りとの交換を3線でうまくこなしており、限られた線路容量を無駄なく利用しているのには感心する。

f:id:stationoffice:20180809102615j:image行き止まりの3番線から伊万里行きが待つ2番線へ
f:id:stationoffice:20180809102611j:image上り佐世保行き(左)と下り伊万里行き(右)が交換
f:id:stationoffice:20180809102618j:image松浦鉄道の旧塗装を唯一残す1両のみのMR-400形

とはいえ、休日の朝方とあっては快速→普通の乗り換えをしたのは自分の他にもう1人しかいなかった。もとから乗っていたのがほかに5人ほど。普通乗り通しの場合は佐々で16分も停まっており、車内にはなんとものんびりした空気が漂う。接続時間は7分と余裕を持たせており、快速運転で縮めた6分が相殺されてしまっているが、佐々では停車時間を長く取っている列車が多く、普通の交換でも7分程度は停車する場合が多い。ガラガラの状態で佐々を出発した。

f:id:stationoffice:20180809102925j:image小ぢんまりしているが地域の玄関口としての存在感を持つ駅舎
f:id:stationoffice:20180809102921j:imageかつての国鉄ローカル線の雰囲気が残る

9:03、佐々発。松浦鉄道西九州線普通伊万里行き。

・"日本最西端の駅"たびら平戸口駅

乗客数人の伊万里行きは、のんびりした景色の中をおだやかに走ってゆく。佐々までは家々が連なる郊外の景色であったが、佐々を過ぎると途端に田舎の景色になる。主要駅とされる吉井、江迎鹿町(えむかえしかまち)で若干の乗り降りがあった。佐々からたびら平戸口までは38分。

ただ、佐世保市北部のこのあたりは西九州線の旗色は良くない。西九州線だと佐世保から約1時間かかるが、国道バイパスを直行する西肥バス急行だと45分。しかしこの急行バスも急行区間は吉井までで、吉井からは西九州線以上にこまめに停車していくため、平戸口までは急行バスでも80分と、西九州線と大差なくなる。

海に近いところを走ってはいるのだが、たびら平戸口までの西九州線から海はあまり望めない。むしろ青々とした田んぼが広がる、典型的な日本の田舎の景色が広がるばかり。「本当にこの先にかつての国際貿易港・平戸があるのだろうか…」という気さえする。

f:id:stationoffice:20180809103223j:image田園風景が広がる(いのつき─高岩)

しかし西田平を出ると赤い大きな平戸大橋が望め、あの先が平戸なのだ、という高揚感が湧いてくる。台地の上を走る西九州線は大きく右にカーブを切り、いよいよたびら平戸口駅に到着する。9:40、たびら平戸口着。

f:id:stationoffice:20180809103756j:image最西端の座は那覇空港駅に譲ったが存在感は揺るがない
f:id:stationoffice:20180809103752j:image平戸大橋があしらわれた駅名標
f:id:stationoffice:20180809103803j:image乗降客も多いので5分程度停車する列車が多い
f:id:stationoffice:20180809103800j:image国鉄時代の地方の駅の空気が色濃く漂う

f:id:stationoffice:20180809104603j:image日本最西端の駅舎は意外にも?普通の構えだった

たびら平戸口駅には資料館が併設されており、松浦鉄道だけでなく旧国鉄松浦線時代の駅名標や乗車券類、設備機器などが展示されている。記念の硬券入場券も出札窓口で発売されており、自分も一枚記念に購入。ここから平戸市街へは西肥バスに乗り換えとなるが、バスの時間までやや開くため、こうした資料館で時間を有効に使えるのは好ましく思う。ただの待合室で観光パンフレット片手に待たされるより、こうした生きた資料を見学する方がよほど経験としては貴重なものになるからだ。

f:id:stationoffice:20180809105435j:image国鉄松浦線松浦鉄道西九州線への転換記念列車のヘッドマーク
f:id:stationoffice:20180809105430j:image縦書き・漢数字の時刻表
f:id:stationoffice:20180809105439j:imageホーロー板に筆文字の駅名標
f:id:stationoffice:20180809105426j:image現在と駅名が異なる駅もある

・かつての国際貿易港:平戸へ

平戸口→平戸桟橋(平戸市街地)への西肥バスは乗り場が三ヶ所に分散しており、かつ頻発しているわけではないため、乗り場を確認しなければならない。場所によっては10分程度歩く必要があるため、列車との乗り継ぎの場合は注意を要する。

このうち、駅前すぐの「平戸口駅」乗り場は14:52発平戸桟橋行きの1日1本のみで、ほぼ折返し場としての機能しか持たない。

駅から正面の国道204号に出て左へ150m、田平郵便局前にある「平戸口駅前」乗り場は、平戸桟橋─松浦間を結ぶローカル系統「平戸松浦線」が発着する。こちらは「平戸口駅」よりも本数は多いが、停車本数は概ね2時間に1本。

従って多くの場合、駅から徒歩10分程度離れた平戸口桟橋フェリー乗り場に隣接する「平戸口桟橋」乗り場から乗車することになる。平戸口桟橋からは概ね1時間1〜2本が出ており、三ヶ所の中で最も本数が多い。田平市街地は概ねこの平戸口桟橋周辺に形成されており、桟橋周辺には商店やホテルも立地している。

この時は時間を合わせて行ったので、たびら平戸口駅9:40着→国道上の「平戸口駅前」バス停10:03発、松浦発の平戸桟橋行きに乗り継いだ。20分程度と接続は割と良かったが、このような好接続は多くない。佐世保方面・松浦方面どちらから来ても西九州線に並行する西肥バスの路線があるため、接続を取る必要性が薄いのかもしれない。たびら平戸口駅前にバス乗り場の位置と時刻を示す掲示西肥バス自らが出しているあたり、西九州線とバスを乗り継ぐ人がいないわけではないんだろうけど、その程度で済む人数でしかないんだろう。実際、日曜の午前中と観光に適した時間帯であったものの、「平戸口駅前」バス停からの乗客は自分しかいなかった。

f:id:stationoffice:20180809112048j:imageたびら平戸口駅前に掲出された平戸行きのバス案内
f:id:stationoffice:20180809112209j:image国道上のバス停から乗車

10:03、平戸口駅前発。西肥バス平戸松浦線・平戸桟橋行き。

平戸桟橋行きの乗客は自分の他にやはり5名ほど。賑やかなフェリーターミナル、平戸口桟橋からも2人ほど乗せ、平戸大橋を渡る。1977年の架橋以来有料道路であったが、2010年に無料開放されている。平戸口側の田平町は長らく平戸への玄関口として、平戸口桟橋─平戸桟橋を結ぶフェリーが24時間体制で多数発着していたが、平戸大橋の架橋によって廃止され、現在の平戸口桟橋(田平港)から出るフェリーはわずかに離島への便が残るだけになってしまった。しかしそれでも2005年には田平町平戸市が合併して新しい平戸市となっており、海を挟んだ平戸と田平の強い結びつきを感じさせる。

f:id:stationoffice:20180809113125j:image田平と平戸を結ぶ平戸大橋。架橋40年以上を経て色褪せない

平戸口駅前から乗ること15分。平戸大橋を渡り、平戸市街地のバス停にいくつか停車。そして10:18、平戸側のターミナル・平戸桟橋に到着。

f:id:stationoffice:20180809113113j:image終点・平戸桟橋に到着した平戸松浦線

f:id:stationoffice:20180809115637j:image平戸桟橋ターミナルは和風の装い

・平戸が国際港であった時代

平戸桟橋ターミナルの観光案内所でパンフレットを受け取り、まずは桟橋近くの「平戸オランダ商館」を見学し、そこから概ね市街地を時計回りに巡ることにした。

f:id:stationoffice:20180809114941j:image平戸観光の中心「平戸オランダ商館」は平戸桟橋から徒歩5分ほど。1609年の開設から1641年の幕府令による取り壊し、鎖国政策による長崎・出島への移転まで日本の玄関口として機能した。遣隋使・遣唐使船の時代から 島々によって高波から守られる平戸は寄港地として栄えた 1550年のイスパニア船来航から1641年の鎖国まで 平戸はヨーロッパへも開かれた港だった
f:id:stationoffice:20180809114933j:image白壁石造と瓦屋根という和洋折衷の構造は木造建築しか知らぬ当時の日本人を驚かせたことだろう。1641年の取り壊し後は史跡が残るのみだったが2011年に日蘭通商400年を記念して復元された
f:id:stationoffice:20180809114937j:image南蛮人=オランダ人を描いた屏風絵。洋装を日本画のタッチで描いているのが面白い
f:id:stationoffice:20180809114926j:image異国船が出入りする平戸は守りも固かった。これは船に搭載された砲台
f:id:stationoffice:20180809114930j:image商館内の応接スペースを再現した一角。ここで藩主松浦氏とオランダ商館長の面会も行われたという
f:id:stationoffice:20180809114923j:image石造の外壁を支える極太の木柱。その圧倒的な柱の太さと長さからはオランダ商館に賭ける当時のオランダの気概が窺える

f:id:stationoffice:20180809154229j:image昼食は長崎ちゃんぽんならぬ「平戸ちゃんぽん」鶏ガラ主体の長崎に対しあごだし(トビウオ)ならではの魚介の味わいが楽しめる
f:id:stationoffice:20180809154103j:image市内各所で提供される平戸ちゃんぽん。平戸桟橋ターミナル向かいの「もりとう」はアクセス至便で時間が無くても食べられる
f:id:stationoffice:20180809154152j:image平戸城と平戸港を繋ぐ「幸橋」1702年にオランダ商館を建設した技法が反映されており別名「オランダ橋」その優美な姿は江戸時代から変わらない
f:id:stationoffice:20180809154124j:image平戸城の楼門が残る 瓦屋根にそてつが植わるのがいかにも西国
f:id:stationoffice:20180809154217j:imageかつてこの地にあった英国商館の顕彰碑 機能したのは1913〜1923年と僅かな間であったが それでもこの地が国際貿易港だった事実は変わらない
f:id:stationoffice:20180809154128j:image歴史ある都市らしく地銀も立派な建物だ 長崎県の第一地銀・十八銀行も平戸にどっしりと構えている
f:id:stationoffice:20180809154120j:imageカステラにさらに卵を絡めザラメをまぶした「カスドース」で知られる「蔦屋」さん 江戸期以来の伝統的西洋菓子を今に伝える
f:id:stationoffice:20180809154226j:image市街地から少し山裾に登ると青々とした入り江が見渡せる 天然の良港たる長崎を象徴する景色だ
f:id:stationoffice:20180809154140j:image寺院と教会が同じ景色に同居する 様々な人々が集う平戸を象徴する光景としても有名だ
f:id:stationoffice:20180809154116j:image木陰の坂道を登っていくと 平戸ザビエル記念教会に至る
f:id:stationoffice:20180809154059j:image寺院といってもそてつが植わる その雰囲気はやはり独特のものがある
f:id:stationoffice:20180809154136j:image平戸ザビエル記念教会に建つザビエル像 ザビエルは平戸に三度も訪れ布教を行った
f:id:stationoffice:20180809154144j:imageアシンメトリーな外見が特徴的な平戸ザビエル記念教会 1931年に建てられたもの
f:id:stationoffice:20180809154148j:image平戸藩主・松浦(まつら)家の居宅を改装した「松浦史料博物館」松浦家伝来の品々が展示されている 「御用」とあるのは伊能忠敬による測量作業をモチーフにしたもの
f:id:stationoffice:20180809154052j:imageイギリス国旗とオランダ国旗に加えて江戸幕府の御用旗がなびく光景 たった40年を足らずとはいえ 平戸が日本の玄関であった時代があった
f:id:stationoffice:20180809154112j:image外国人観光客の姿も目立った松浦史料博物館 藩主の邸宅の造りをそのまま活用した館内は 今でも格式高い雰囲気を残す
f:id:stationoffice:20180809154055j:image近年湧出した平戸温泉の足湯が市街地にある 「うで湯」もあるのは珍しい
f:id:stationoffice:20180809154222j:image隠れキリシタンの聖地としても有名な生月島(いきつきしま) 世界遺産登録の聖地・中江ノ島と併せて観光に誘う案内がバスターミナルにあった

・意外に便利?西田平駅のバス乗り継ぎ

15:10、平戸桟橋発。西肥バス佐世保平戸線半急行・佐世保駅前行き。14:26発の平戸口駅行きには間に合わず、一本後の佐世保行きに乗ることにした。

佐世保平戸線は平戸桟橋発9:10〜15:10まではきっかり1時間おきに出ており、かつ前述の通り吉井〜佐世保間は急行運転であることから、西肥バスの幹線として機能している様子が窺える。平戸桟橋の待合所でも20人ほどが佐世保行きを待っており、車両も新しい大型ノンステップバス。平戸松浦線は中型ツーステップであり、平戸島内線も中型車の運用らしい。やはり佐世保直通は他のローカル系統と別格の存在感を持つ。

これから西九州線の伊万里行きに乗り継ぐ予定だったが、佐世保平戸線は平戸口桟橋にしか停車しないため、たびら平戸口駅へは平戸口桟橋から10分程度歩かなくてはならない。

地図を見てみると、一つ佐世保寄りの西田平駅の目の前にバス停のマークが見える。Googleストリートビューでそのバス停を見てみると「荻田」とあり、西肥バスの時刻検索をしてみると佐世保平戸線も通るようだ。駅名と停留所名が全く違うが乗り継ぎは可能だろうと踏み、荻田バス停から西田平駅へ向かい、そこから西九州線伊万里行きに乗り継ぐことにした。

余談だが、Google Map上に見えるバス停のアイコンはタップしても停留所名を直接確認することはできないため、「バス停」とかの検索ワードを入力してようやく確認できる…というのは、いかにもまどろっこしい。加えて多数の系統が発着するバス停の場合、それぞれのポールの内容まではわからないため、携帯で調べたい時はGoogleストリートビューに頼らざるを得ないこともしばしば。他のマップサービスも似たようなもので、紙地図がウェブ地図になってなおバスが地図上で分かりにくいというのは、もう少し改良の余地はないものだろうか。

平戸桟橋→平戸口桟橋は12分、そこから西田平駅最寄り「荻田」まで5分。平戸口桟橋で座席の窓側が埋まった。同時間帯の西九州線普通列車よりも利用はやや多そうだ。程なく15:27に荻田バス停に到着、降りたのはやはり自分だけ。平戸口桟橋以外での降車はまだなく、初めてに近い降車だった。

f:id:stationoffice:20180809121540j:image西肥バス「荻田」バス停は西田平駅の目の前
f:id:stationoffice:20180809121548j:image小さな駅舎と簡素なホームの西田平駅

f:id:stationoffice:20180809133458j:image概ね1時間1本が確保されており利用しやすいダイヤ

荻田バス停を降りると、目の前に西田平駅のホームがあった。バスを降りて1分で乗り換えられ、平戸口で乗り換えるよりもよほど近い。しかしながらバスの中での乗り換え案内はなく、これだけ近いのに停留所名と駅名が違うので、乗り換えポイントとして意識されていないのだろう。

しかしながら、西肥バスの平戸松浦線は2時間に1本程度の運行しかなく、伊万里方面への直通系統もないため、平戸市街←→松浦・伊万里方面への往来にはこの西田平駅の乗り継ぎが一番便利なように思う。荻田バス停の上り佐世保行き9〜15時は毎時27分発、西田平駅の下り伊万里方面9〜15時は概ね毎時41分発と接続も良く、佐世保から平戸を通って伊万里へ、という周遊観光ルートが組みやすくなる。ただ、周囲にコンビニはおろか商店すらないため、物資の調達はできない。そうしたものが必要ならば平戸口で乗り換えれば良いだろう。

西九州線も西肥バス佐世保平戸線もどちらも1時間1本が確保されているため、自分としては平戸口で乗り換えるよりもよほど便利だと思うがどうだろう。この乗り換え、もっと利用されていいと思うんだけれども。

西田平駅田平天主堂

西田平駅は、世界遺産ではないものの重厚なレンガ造りが印象的な田平天主堂の最寄りであり、観光協会のホームページでも荻田バス停と並んで紹介されているものの、約2km離れており徒歩30分を要する。

f:id:stationoffice:20180809153300j:image駅名標にも田平天主堂があしらわれている

一応、田平天主堂前にも西肥バスの「天主堂前」バス停があるが、ここに停車するのは平日のみ1日2便(土休日運休)しかなく、しかも夕方の便(天主堂前17:16発江迎行き、18:13発平戸桟橋・平戸営業所行き)は平日であっても学休日は運休。毎日運転となるのは天主堂前7:49発平戸桟橋行き、8:31発江迎行きのみ。従ってバスを使おうとすると平日のみ、①朝方の江迎からの往復か、②夕方の平戸からの往復の2パターンしかなく、しかも②は学休日運休のため、夏休み中などは①の朝の江迎発しかない。実質的には田平天主堂の近くにある長崎県立北松農業高校(ほくしょう─、北松浦郡の意)の通学バスとして機能しているのみで、観光に適した時間帯ではない。公共交通機関を使おうとすると平戸口や平戸市街からのタクシーか、西田平駅からの徒歩に頼らざるを得ないだろう。

①江迎(江迎鹿町駅前)7:31→末橘(すえたちばな駅前)7:35→天主堂前7:49・天主堂前8:31→末橘8:45→江迎8:49

②平戸桟橋16:55→平戸口桟橋17:08→天主堂前17:16・天主堂前18:13→平戸大橋東口18:19(平戸口桟橋は通過)→平戸桟橋18:30

要は「隠れキリシタン」が信仰を秘匿できたほどの田舎なわけで、日常的な交通需要があるところではないわけだ。江迎〜天主堂前の経路上に「肥首」「残念坂」といったおどろおどろしい名前の停留所が居並ぶあたり、この地域が置かれた厳しい状況が透けてみえるかのよう。経路上に世界遺産に一帯が登録されたといってもバス利用客が増えるわけでもなく、結局はタクシー、そして大多数はレンタカーになる。西九州線や西肥バスの利用に結びつくかどうか…「天主堂めぐりバス」のような観光循環バスでもあれば、格段に便利になるのだけれど。

最低限のローカルバスの運行は維持されているだけマシだが、せっかく今まで維持してきた公共交通ネットワークが、世界遺産登録によって育つだろうか。西田平駅掲示された丁寧な案内や、ホームページでも紹介されている詳細なアクセス図を見る限り、公共交通にも配慮はなされていると思う。その芽は芽吹きつつあるような気はする。

f:id:stationoffice:20180809121544j:image普通伊万里行きがやってきた

 

(つづく)

23.松浦鉄道西九州線 -港町佐世保とローカル線を支える快速- #長崎

しゃわしゃわしゃわしゃわ。鉄板で熱せられた牛肉がレモンソースにひたひたに浸かり、ソースが弾ける音がする。これぞ佐世保名物、レモンステーキ

f:id:stationoffice:20180801004901j:image

・日本一長い?「佐世保四ヶ町商店街」と「佐世保中央駅

佐世保駅を後にし、市街地へと歩く。佐世保は奥深く入り組んだ湾のさらに奥の谷沿いに発達した町で、外海の波を遮る複雑な地形が天然の良港たらしめたもの。従って市街地は一筋の谷沿いに連なっており、湾の入り口付近にあるJR佐世保駅と、谷筋の奥にある佐世保市役所との約2kmの間に都市機能が集中する。このため人口25万の中都市ながら市街地の密度は高く、10階建以上の中高層マンションも珍しくない。

その佐世保駅と市役所との2kmを繋ぐのが「四ヶ町(よんかちょう)商店街」と「三ヶ町商店街」である。両者を合わせると切れ目ないアーケードが約1kmに渡って続いており、これは"連続アーケードとして"日本一長いとされる(切れ目があるものでは大阪・天神橋筋商店街の2.6km、単独の連続アーケード商店街では東京・武蔵小山商店街の800m)。佐世保駅から歩くと四ヶ町商店街の入口まで600m・徒歩8分の距離があり、そこから1kmにわたり連続アーケードが続く。アーケードのほぼ中央に松浦鉄道西九州線の「佐世保中央駅」があり、西九州線を利用する買い物客も多く見られる。この佐世保中央駅、ユニークな点がいくつも見られるので誠に興味深く思っていたが、今回ようやく訪問が叶った。

さて、前置きがいささか長くなったが、佐世保駅から四ヶ町商店街に向かって歩いてみよう。

f:id:stationoffice:20180801011045j:image立派なアーチが迎える佐世保駅正面口
f:id:stationoffice:20180801011042j:image駅前は佐世保市営バス西肥バスのターミナル

佐世保駅から四ヶ町商店街の入り口までは国道35号の歩道を歩くのが一番わかりやすい。この途中には多目的ホールアルカスSASEBO」があり、コンサートなどに用いられる。駅と市街地の両方に近く、相乗効果を上げられそうな立地だ。アルカスSASEBOの向かいは佐世保のシンボル・カトリック三浦町教会であり、こちらも佐世保駅前のランドマーク。教会の尖塔がシンボルになるあたりは、キリシタンが古くから根付く長崎らしさだ。

f:id:stationoffice:20180802193026j:image佐世保のシンボル、カトリック三浦町教会。夜のライトアップが美しい
f:id:stationoffice:20180802193021j:imageエス像が佐世保の街を高台から見守る

f:id:stationoffice:20180802193218j:image駅を出て左に徒歩8分で四ヶ町商店街の入り口に至る
f:id:stationoffice:20180802193214j:image屋根が高く元気なアーケードだ

四ヶ町アーケードに入ると、佐世保駅に近いあたりの区画が軒並み空き店舗になっていて出鼻を挫かれるが、歩いていくにつれ空き店舗はほぼ無くなる。場所柄、佐世保バーガーやダーツバーなどの店も目立ち、米軍兵士やその家族の姿もよく見られる。この街は終戦以来"米軍基地の街"であり続けたという歴史もあり、彼らの相手は商店街としてもお手の物なのだろう。

f:id:stationoffice:20180802201746j:image道路を跨ぐアーケード。雨に濡れない工夫がなされている

その商店街を真ん中まで歩いたところに、噂の松浦鉄道西九州線佐世保中央駅がある。

f:id:stationoffice:20180802193509j:image駅への案内は完全に商店街の一テナント扱い
f:id:stationoffice:20180802193516j:imageアーケードを逸れて僅か50mの位置に駅がある
f:id:stationoffice:20180802193513j:imageエレベーターも完備した立派な駅舎。9〜18時は有人駅

f:id:stationoffice:20180802193727j:imageアーケードとトンネルの狭い隙間に作られたホーム
f:id:stationoffice:20180802193720j:imageホーム反対側はトンネルが迫る
f:id:stationoffice:20180802193724j:image佐世保駅から僅か1駅ながら利用は多い

佐世保中央駅は、1988年に旧JR松浦線を引き継いだ松浦鉄道が1990年に開業させた新しい駅。佐世保駅からは1.1km離れているが、次の中佐世保駅までは僅か0.2kmと、これは普通鉄道としては日本最短の駅間距離。何故こんな短距離に駅を新設したのかといえば、それはアーケードへの買物客の利便性を向上させるための一言に尽きる。隣の中佐世保駅からアーケードまでは交通量が非常に多い国道35号を歩道橋で跨ぐ必要があり、高台に位置する中佐世保駅からは何度も上下動を繰り返さないとアーケードに辿り着かなかった。国道35号の西側、アーケードに隣接する位置に佐世保中央駅を新設し、既存の駅利用者にも不便にならないよう中佐世保駅を存続させたというのが、日本最短の駅間距離になった理由である。駅の数は増えるが、歩道橋以外に渡る術がない国道の両側に駅を設けてどちらからでも利用しやすくするというのは、理想的な鉄道、いや公共交通機関の在り方と言っていいだろう。

f:id:stationoffice:20180802201750j:image国道35号を横断するには歩道橋を上がらなくてはならない

佐世保中央駅にはアーケードのみならずイオン佐世保店や浜屋百貨店佐世保支店が隣接し、佐々方面からだけでなく、佐世保佐世保中央間1駅のみの利用も見られた。買い物に便利な位置に駅があることで、こうした「佐世保市内線」的な利用を掘り起こしている。平日朝7・9時台には3本/h、8時台には4本/hが佐世保中央駅に停車し、佐世保佐世保中央間を僅か2分で結ぶ西九州線はバスよりも速くて安い。さらに市街区間の高架化も完了しているので、列車をこれだけ増発しても踏切が道路交通を阻害することもない。

西九州線は松浦鉄道への転換後に新駅を数多く開業させ、更にかつては佐世保─佐々間で昼間20分間隔運転という高頻度運転で乗客を増やしたが、2006年に現行の30分間隔への減便が行われ、往時よりも市内線カラーは薄まってしまった。しかし、都市圏区間を持つローカル線の在り方の一つを示す例として、佐世保中央駅がはたす役割は大きい。例え単線・非電化であっても立派に佐世保の市内交通として機能する西九州線を見ていると、もっと活用できる鉄道路線は数多くあるのではないか。そんな気がしてくる。

佐世保名物レモンステーキを味わう

佐世保中央駅を見物した後、アーケードを少し外れたところにある「れすとらん 門(もん)」を訪れた。ここは佐世保名物レモンステーキを昭和30年代に初めて出したとされる有名店で、敷居は低くも格式は高い「街の洋食屋さん」といった感じ。

昭和30年代といえば、まだまだ牛肉が家庭に並ぶことは珍しかった時代。大きな塊肉の「ビフテキ」を食べることは叶わなくとも、薄切り肉のステーキならば…という思いが店主にあったのかもしれない。

f:id:stationoffice:20180802200942j:image老舗らしい雰囲気が漂う「れすとらん 門」

「ステーキ」とは言っても薄切り肉を使うのが特徴で、熱せられた鉄板の上にレア状態の肉が乗り、たっぷりのレモンと醤油ベースのソースがかかった状態で出てくる。ソースが肉に「かかる」というよりも「浸かる」という方が実態に近く、かなりシャバシャバな状態で食べるのがレモンステーキ

f:id:stationoffice:20180802201058j:image

しかし、これだけでは終わらない。肉を食べ終わった後は、鉄板に残ったソースにライスを絡め、リゾット状態にして「締めのレモンライス」をいただくのだ。

f:id:stationoffice:20180802201124j:image残ったソースにライスを絡め「レモンライス」に

薄切り肉のステーキから漏れ出た旨味がライスによく絡み、締めとしては最高の部類だ。佐世保名物といえばまず佐世保バーガーが思い浮かぶが、佐世保ならではの洋食文化を日本流にアレンジして誕生した「レモンステーキ」も、ぜひ佐世保に来たならば抑えておきたい逸品だ。

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・「艦これの街」?佐世保

佐世保といえばやはり横須賀、舞鶴、呉と並ぶ日本の四大軍港都市。軍港といえば戦艦、戦艦といえば「艦これ」…というわけで、佐世保を歩いていると艦娘たちの姿をあちこちで見かける。

レモンステーキを楽しんだ帰り、翌日の昼食にと思い佐世保バーガーの有名店「ビッグマン」に立ち寄ったところ、ここも大々的に艦これとのコラボを行なっていた。いかにもアメリカの片田舎の小さな家、といった風情の店の前に、愛嬌を振りまく艦娘たちのポップや幟が並ぶ。

f:id:stationoffice:20180802203102j:imageレトロな店構えの前に艦娘たちが並ぶのは愉快な光景
f:id:stationoffice:20180802203055j:image
f:id:stationoffice:20180802203059j:image

肝心のハンバーガーは、やはりその店の王道を頼むべきだろうと思い、1番人気にして最もオーソドックスな「ベーコンエッグバーガー(650円)」を注文。その場で焼き上げられるハンバーガーの香りがとても香ばしく、明日の昼食にするのがもったいないほど。しかしここは今すぐにでも開きたい気持ちをぐっとこらえ、ハンバーガーを頬張る楽しみは明日まで取っておくことにする。

立ち寄った「京町本店」の他にもアーケード周辺に2店舗を有し、さほど待たずに出来立てのハンバーガーを食べられる。これぞ元祖佐世保バーガー、といったアメリカンな雰囲気のハンバーガーを食べたければ、四ヶ町まで歩いて見てはどうだろう。

・西九州線の切り札"通勤快速"

翌、6/24(日)。この日は西九州線を佐世保からたびら平戸口伊万里を経て、有田までの全線を辿った後一旦伊万里まで引き返し、伊万里筑肥線(非電化区間)に乗り換え、唐津を目指す行程を組んでいた。

8:00頃、佐世保駅に立った。西九州線の改札口はJRと分離されているが、JRの1・2番線と西九州線の1・2番線はホーム上で繋がっており、境目の連絡改札口が西九州線の改札口を兼ねる形。佐世保線大村線の普通・快速は概ね1・2番線に発着するため、近距離の移動であればホーム上の移動のみで乗り換えができるようになっている。なかなか考えられた設計だ。

f:id:stationoffice:20180803183627j:image西九州線佐世保駅ホーム
f:id:stationoffice:20180803183630j:image事務所が連絡改札口を兼ねる。ちょうど乗換客が向かってきた

なお、1日1往復のみ運転される西九州線←→JR佐世保線の直通列車(佐々"さざ"8:37発〜佐世保9:24着/9:36発〜早岐9:49着、早岐9:54発〜佐世保10:08着/10:18発〜伊万里12:57着)は佐世保線・西九州線双方の到着・出発が可能なJRの2番線に発着する。この直通列車が佐世保駅を発着する際は、西九州線のみの乗客のために連絡改札口が開かれるのは、まあ当然の配慮だろう。余談だがせっかくのこの直通列車、往復とも佐世保駅で10分以上停車しているのはいただけない。以前は早岐からさらに大村線に直通し、ハウステンボスはおろか長崎駅まで直通運転していた時期もあったようだが、いつしか佐世保駅で分断されてしまった。西九州線随一の観光地、平戸と長崎県内随一の観光地、ハウステンボスに加えて長崎駅を結べば観光客の回遊性向上にも繋がると思うが、現状の早岐止まりでは観光客が使おうにも使いにくい。直通運転縮小の背景には、西九州線の車両が更新されたこと、西九州線で導入された長崎スマートカード(長崎県内のバス・路面電車等で通用するICカード)がJR線との通算に対応していないことなど、かつては同じ国鉄であった両者間でだんだん設備の差が出てきたことが影響しているようにも思う。

f:id:stationoffice:20180803183841j:image発車を待つ佐世保8:05発普通伊万里行き
f:id:stationoffice:20180803183838j:image折返し快速佐々行き(右)の到着を待って普通伊万里行き(左)が先発

8:05、普通伊万里行きが先発。気動車1両の座席を半分ほど埋めて出て行った。さて、こちらが待つのは15分後、8:20発快速佐々行き。こうした単線非電化のローカル線に快速列車が設定されているのにも驚くが、更に驚くのは7時台から8時台にかけて、普通・快速・普通・快速…と合わせて約15分間隔のダイヤが組まれていることだ。快速は中佐世保・山の田・野中・皆瀬・中里・真申(まさる)の計6駅を通過し、佐々までの所要時間は36分と、交換待ち無し普通の42分に対して6分ほど速い。

西九州線は、点在する炭鉱を結ぶため数多くの支線を持っていたのを、炭鉱の閉山と同時に繋ぎ変え、一本の路線として再構成したという歴史がある。このため、佐世保都市圏区間と言え、通勤通学利用が特に多い佐世保─佐々間は昼間でも30分間隔で列車が走るが、その経路は複数の路線を繋ぎ合せた故にS字そのもので、Sを左に倒したような形をしている。鉄道が蛇行する一方で、国道35号バイパスはS字の真ん中をほぼ直線で貫いており、鉄道と国道バイパスはまさに「$」のような関係。バイパスを走る西肥バスはこの間を32分で結んでおり、定刻ならば快速よりも速い。こうした中で、バイパスから外れた線路沿いに点在する住宅地毎に新駅を設けてきめ細かく集客する一方で、バスと同等の速達性を持たせるために快速運転を行なっている。この二つの相反する目標を同時に叶えるのが、佐世保─佐々間における快速運転および平均15分間隔ダイヤというわけだ。

f:id:stationoffice:20180803184347j:image佐世保発7・8・19時台のみ運転される西九州線の快速。通勤通学に特化したダイヤ

f:id:stationoffice:20180803184134j:image佐世保駅前〜佐々バスセンター〜平戸桟橋を結ぶ西肥バス急行。西九州線とはライバルというよりは補完関係

このうち、佐世保8:20発の快速佐々行きは、15分前の普通伊万里行きに終点・佐々で追いつき、接続を取る点が特筆される。追い抜きこそ無いものの、先行列車に追いついて接続を取るとは、複線電化の私鉄のような先進的なダイヤではないか。この快速・普通乗り継ぎだと佐世保たびら平戸口間は1時間20分で結ばれ、前後の普通よりも10分ほど速く、バイパス経由の西肥バス急行に匹敵する。経路の蛇行というハンデを、快速列車は見事に克服しているのだ。

そんな気になる快速佐々行きに揺られ、かつての日本の玄関口・平戸へと向かってみよう。8:20、佐世保発。松浦鉄道西九州線快速佐々行き。

・"日本最西端の駅"たびら平戸口駅

快速佐々行きは先発の普通伊万里行きと同様、やはり1両編成の座席が半分埋まるくらいで出発し、まずは市街地を高架線で縫って走る。

次は昨日見物したアーケードに隣接する佐世保中央だが、佐世保駅から僅か1駅、1.2kmにして早くも数人ずつの乗降が見られる。佐世保駅からアーケードへの近道として利用されている様子が窺えよう。運賃170円はバスと同額で、時間さえあれば西九州線の方が速い。

0.2km先の中佐世保は快速通過。ここで中心市街地から離れてトンネルに入る。佐世保市役所はこのトンネルの平行線上にあり、海上自衛隊佐世保史料館などの公共施設全般も西九州線からは徒歩15〜20分とやや遠く、この辺りへは多系統が束になって頻発する佐世保市営バス西肥バスの出番になろう。

トンネルを抜けると佐世保を出て最初の交換駅、北佐世保に8:27着。バスでは「俵町」と呼ばれるあたりで、ここで上り快速佐世保行きと交換。あちらは日曜の午前中ながら立客が多く、佐世保のまちなかへ出る手段として西九州線が立派に機能している様子が窺える。

山の田を通過して泉福寺。このあたりで佐世保川は右へ逸れ、谷筋を一つ越える。そして駅名の如く大きく左へカーブすると左石(ひだりいし)。西九州線と同じく佐世保川を遡ってきた国道204号もここで大きく左へ曲がり、地名からして古くから佐々・江迎・田平・平戸方面への目印にされていた石か岩があったのだろう。佐世保市役所大野支所が位置し、佐世保市の北の拠点である。レトロなホーロー板に白い筆文字の駅名標が残り、駅舎にも国鉄時代の面影を残す。左石到着は8:33と北佐世保で快速と交換して僅か6分だが、ここでも上り普通佐世保行きと立て続けに交換。持てる列車交換設備を全て使っており、快速と普通を織り交ぜることで運転間隔を縮めている様子が窺える。

f:id:stationoffice:20180803190731j:image木造駅舎が残る左石

佐世保川から相浦(あいのうら)川に谷筋が移る。左石までは狭い谷を住宅が埋めていたが、次の野中、皆瀬、中里あたりはやや密度が下がり、農地も出てくる。それを反映し、この3駅は快速通過。中里は交換駅だが快速は止まらないため、Y字ポイントを低速で通過していく。中里での交換は無かった。やや谷筋が広がり、次の本山を出ると再度左カーブし、上相浦、大学、相浦と続けて4駅に停車。ここまで「?」の形を描くように走ってきたと伝えるとわかりやすいかもしれない。

f:id:stationoffice:20180803192228j:image長崎県立大学佐世保校舎の最寄駅はずばり「大学」
f:id:stationoffice:20180803192224j:image周囲は学生向けのアパートが目立つ住宅地。駅名標も絵馬仕立てだ
f:id:stationoffice:20180803192221j:image再び海が見えてくるとまもなく相浦

8:41の上相浦では上り快速佐世保行きと交換。8:43の「大学」では長崎県立大学へ向かう大学生が降りた。上り快速が8:39に出て行ったばかりだが、大学駅のホームでは8分後、8:51発上り普通佐世保行きを待つ学生が多く、休日に佐世保市街地へ出るための足として列車が頼りにされている様子は頼もしい。

海を望むと8:48に相浦に到着。世界遺産黒島天主堂を擁する黒島へのフェリーが出ており、観光客らしき人々が何人か降りていく。上り普通早岐行きと交換。相浦まで来ると佐世保からの乗客は少なくなり、残ったのは5人ほど。

次の棚方は乗降なし、真申(まさる)を通過した次の小浦(こうら)も乗降なし。最後の区間は淡々と走り、快速は定刻8:56に終点・佐々に到着。ここで前を走る普通伊万里行きに乗り換える。

f:id:stationoffice:20180803193611j:image佐々では行止りの3番線に到着。2番線に普通伊万里行きが待つ
f:id:stationoffice:20180803193615j:image「さっさ」と読みたくなるがここは「さざ」

 

(つづく)

22.JR佐世保線 -長崎新幹線に揺れる西への鉄路- #佐賀 #長崎

極地というものは、何か冒険心をくすぐるものがある。ここが日本の端、これより先は外国、そこに面した駅や街、人々の姿をといったものは、いったいどうなっているのだろうか。そう、極地というところは、最も中央から離れた辺境、周辺、外縁であると同時に、最も異国に近い「最前線」の地でもある。そういった環境におかれた駅というのは、どんな表情をしているだろう。そんな冒険心に導かれ、僕は博多駅に降り立った。

さて、「日本最西端の駅」とは、どこだろうか。名実ともに現在日本最西端の鉄道駅は、沖縄都市モノレール"ゆいレール"の「赤嶺駅」であるが、当然ながら沖縄へ鉄道だけで行くことはできない。従って、鉄道だけで行くことのできる日本最西端の駅となると、長崎県を走る第三セクター鉄道松浦鉄道西九州線の「たびら平戸口駅」になる。また、JR線における最西端の駅は、同じく長崎県を走る佐世保線の終着駅「佐世保駅」になる。今回は、そんな「最西端の駅」2つを順に巡り、佐世保・平戸といった古くから異国を向いた港町の風を感じてみたい。

※おことわり:前回の「21.和歌山電鐵貴志川線」をもって「紀勢編」が完結しました。行程上、和歌山の次は徳島→高知→愛媛→香川と巡っていますが、長くなるので徳島以降は「四国編」として分割し、暫くの間は九州・沖縄の短編をいくつか投稿していきます。

・土曜夕刻の博多駅

2018/6/23(土)16時過ぎ、JR博多駅は買物客や行楽客でごった返していた。大きな荷物を持った人はあまりおらず、買い物帰りの紙袋を提げた人が目立つ。大きな荷物を持った向きは新幹線ホームか、福岡空港を目指しているのだろう。それにしても、大分行きや佐世保・長崎行きの在来線特急を待っている人々と、近郊区間の普通・快速を待っている人々の格好がそれほど変わらないのには驚く。例えば新宿駅だと、9・10番線で中央本線の特急あずさ・かいじを待っている人々と、11・12番線で中央線快速を待っている人々は服装からしてだいぶ異なるし、小田急線特急ロマンスカーと急行でも同じ現象になる。これは、JR九州ならではの「2枚きっぷ」や特急回数券などの特急利用促進策のおかげで、中距離程度でも特急利用が根付いているせいもあるだろう。事実、新幹線が停車しない鳥栖での降車が、特に自由席では多かった。

f:id:stationoffice:20180725191638j:image今回利用した博多(福岡市内)〜佐世保間の2枚きっぷ。指定席利用で2枚4,620円で1枚あたり2,310円。同区間の普通運賃・自由席特急券は3,360円なので、1,050円も安い上に着席が保証される。   高速バスとの熾烈な競争から生まれた企画きっぷだ

発車10分前の16:20ごろ、吉塚方からハウステンボス色の783系が入線。扉が開き、列を作っていた乗客が乗り込む。普通・快速と特急の間で客層の違いはあまりないとはいえ、例え自由席であっても乗客が車内へ乗り込むスピードは緩慢だ。リクライニングシートに座れる特急という安心感があるのだろう。しかし、東京駅の新幹線だったり、新宿駅のあずさ・かいじ、小田急ロマンスカーだともう少し、例え指定席であっても殺伐としている気がする。目的地へ一分一秒でも早く、という意識がそうさせるのかもしれない。博多駅の特急みどりはそうでもなく、なんだか九州特有のおおらかさのようなものまで感じる。

f:id:stationoffice:20180725135434j:imageJR九州の中心、博多駅
f:id:stationoffice:20180725133447j:image特急と普通が同じホームを使うため、様々な乗客が同居する
f:id:stationoffice:20180725133443j:imageハウステンボス仕様にリニューアルされた783系
f:id:stationoffice:20180725133454j:imageオランダを象徴するオレンジ色が印象的だ

16:31、博多発。佐世保線特急みどり19号佐世保行き。

・特急みどりで博多を出発

博多を出発した特急みどりは、暫く徐行で進んでいくが、次の竹下を通過したあたりから加速を始める。南福岡でさっそく普通を追い抜き、さらにスピードを上げていく。

長崎本線の特急は、長崎行きのかもめが2本/h、佐世保行きのみどりが1本/hの計3本/hが基本ダイヤ。うち、かもめの1本/hが速達タイプで、長崎までの途中停車駅は鳥栖新鳥栖・佐賀・肥前鹿島・諫早・浦上。もう1本のかもめとみどりの計2本/hが停車タイプで、こちらは福岡近郊の二日市、長崎本線から佐世保線が分岐する肥前山口など、準主要駅にも停車してゆく。自分が乗るみどり19号は二日市・鳥栖新鳥栖・佐賀・肥前山口・武雄温泉・有田・早岐と停車して佐世保に至る、みどりの中ではオーソドックスな部類。

博多から13分で二日市。太宰府の玄関口であり天満宮を模した駅舎が建つが、現在では専ら福岡のベッドタウンとしての機能の方が強く、駅前にはマンションが建ち並ぶ。二日市から太宰府へは西鉄電車への乗り換えを要し、太宰府線が出る西鉄二日市駅までは徒歩12分(その隣の紫駅までは徒歩5分だが、普通のみの停車駅のため西鉄二日市駅で更に乗り換えを要する)とやや離れていることもあり、今のJR二日市駅太宰府への玄関口としての機能は薄い。ただ、福岡の南の拠点であることは確かなので、ここから特急みどりに乗る乗客も少なくない。二日市では20人ほどが乗り込み、定刻に出発。

原田あたりから若干走りが淀むが、基山で博多を25分前に出た普通を追い抜くとスピードが上がった。九州新幹線の開通によって熊本・鹿児島方面への特急が走らなくなったとはいえ、長崎本線の特急だけでも3本/hが走り、福岡近郊輸送を担う普通・快速、さらに貨物列車まで走るこの区間の運転本数は多い。特急の高速運転と普通・快速の頻繁運転の両立は難しく、こうして普通の後ろを走る特急が徐行を強いられる場面もある。九州新幹線長崎ルート(以下『長崎新幹線』)が開通して長崎本線特急が新幹線に移れば、このような高密度運転の解消にも繋がるだろうが…。

博多から26分、貨物駅跡地に建てられたサガン鳥栖のスタジアムが見下ろす鳥栖に到着。早くも自由席からの下車があり、多くは改札へ向かっていくが、ここで普通八代行きに接続するため、久留米・大牟田方面へ新幹線を使わない向きの乗り継ぎが少し見られる。快速を乗り通すより速く、新幹線を使うよりも安いからこそ見られる流れだろう。ここで鹿児島本線から長崎本線が分岐。鹿児島本線は普通・快速が3〜5本/h程度走るが、長崎本線は特急こそ3本/h走るものの普通は1本/hに減り、だんだんとローカル色が濃くなっていく。

次の新鳥栖は新幹線連絡駅。博多〜新鳥栖程度では新幹線の時短効果が殆ど無いため、ここでの乗り換えは博多方面からではなく、佐賀・長崎方面←→熊本・鹿児島方面の、福岡を挟まない流動がメインで、新幹線からの乗り換えと思しき乗車がぽつぽつある。長崎新幹線が開通した場合は、鳥栖鹿児島本線から長崎本線が分岐したのと同様、九州新幹線(鹿児島ルート)から長崎新幹線が分岐することになる。従来案では新鳥栖─武雄温泉をFGT(フリーゲージトレイン)の導入によって新幹線と在来線が線路を共用することになっていたが、つい先日FGTの導入が見送られることが決定し、先行きは不透明な状況にある。

博多─鳥栖間は快速でも30分弱で、鳥栖─佐賀間も普通で30分程度なので、博多─佐賀・肥前山口あたりは普通列車でも十分博多駅への通勤圏内のように思われるが、長崎本線から博多方面へ直通する普通・快速は6・7・9時台に計6本が走るのみ。なかには佐賀県最南端の長崎本線肥前大浦を5:40、佐世保市南部の佐世保線早岐(はいき)を5:33に出て、両線が合流する肥前山口で連結、鳥栖まで先着するものの鳥栖〜南福岡で立て続けに4本の特急に抜かれ博多駅に8:21着、そのまま走り続けて終点門司港に10:29着という実に5時間近くかけて走る普通列車という変わり種もある。しかし実態として長崎本線から普通・快速で博多を目指す流れはそう多くない。鹿児島本線西鉄電車が伸びる久留米・大牟田方面は古くから開発が進んでおり、博多・天神方面への通勤も多いのとは対照的だ。これには佐賀平野の地盤が緩く、大規模な宅地開発が難しいという事情もあるだろうが、それにしても博多1時間圏内とは思えない田園風景が広がっているのには驚く。背振山地を挟んでいてもともとの交流が太くなく、開発にも向かない土地ばかりとあっては、開発の波も及ばないのであろうか。

ただ、特急を使えば博多─佐賀間は45分程度であり、佐賀駅では特急利用による博多方面への通勤・通学が多数見られ、日常の効率が全く無いわけではない。

・新幹線への期待と不安…武雄温泉駅

博多から44分の佐賀で自由席からは多くの下車があり、指定席からも初めて下車があった。ただ、指定席はやはり自由席よりも長距離志向が高く、多くは博多から動かない。その次の肥前山口では長崎本線から佐世保線が分岐して列車がばらけるため、博多から続いた複線区間もここで尽きる。接続列車がないため下車は僅か。しかしながら長崎発上り特急かもめ30号とは時刻表上で1分接続。長崎・諫早←→早岐佐世保大村線が結んでいるとはいえ、武雄温泉・諫早肥前鹿島など、大村線ではカバーしきれない動きもあるだろう。しかしホームを跨ぐ1分接続ではほぼ乗り換えは不可能で、肥前山口で特急同士を乗り継ぐ利用などは殆どないのであろう。ここまで来て博多からようやく1時間である。

佐世保線に入って最初の停車駅、武雄温泉には博多から1時間10分、17:40に到着。ここでは先行して整備が進む長崎新幹線の暫定始発駅として整備が進められており、すでに在来線の高架化は完了。2022年の開通に向けて新幹線の高架駅や高架線も徐々に建ち始めており、遠い未来に思われた新幹線が現実のものになってきている。

f:id:stationoffice:20180725192947j:image在来線の高架化は2009年に完成
f:id:stationoffice:20180725192936j:image高架橋が建ち始めた
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f:id:stationoffice:20180725192943j:image新幹線のトンネルが口を開けている

長崎新幹線には批判的な意見も多い。武雄温泉─長崎間のみの暫定開業では、現状の最速かもめとの短縮がたった26分でしかない上、武雄温泉駅での乗り換えを強いられる。このため、新鳥栖─武雄温泉間の在来線利用をやめてフル規格新幹線に格上げさせようという声も主に長崎県から根強いが、長崎県以上に時短効果を享受できない上に運賃値上げが避けられない佐賀県が慎重な姿勢を崩していない。当然のことだとは思う。新鳥栖─武雄温泉間のフル規格化の見通しが立たない中で、この区間を往復するだけのフル規格新幹線に果たしてどれだけの意義があるだろうか。フル規格新幹線は、やはり山陽新幹線に直通してこそ意味があるのではないか。

しかし、肥前山口肥前鹿島─諫早間は急カーブが連続する単線の隘路であり、有明海に沿って走るために強風や大雨に弱い。この区間の改良は喫緊の課題であるのもまた事実ではある。加えて博多〜鳥栖間は先述したように特急が普通に足を遮られる高密度運転でもあり、これを一挙に解決するのが新幹線であったはずだ。

そうであれば、武雄温泉─長崎間は新幹線ではなく、長崎本線の高速新線として開通させるべきではないだろうか。新幹線の260km/h運転は無理にしても160km/h運転は実用化されているし、武雄温泉の乗り換えも必要ないため乗り換えに要する3分をアドバンテージにできるので、新幹線との所要時間の差はそこまで開かないだろう。当面の間は長崎本線高速新線として運用し、新鳥栖─武雄温泉間のフル規格化の目処がたってから新幹線仕様に改修すればよい。

加えて言えば、長崎本線高速新線として運用すれば諫早─長崎間の整備も暫定開業の段階では必要なくなる。この区間の大部分を占める喜々津(諫早から2つ目)─浦上(長崎の1つ前)間には国鉄時代に既に高速新線が整備されており、特急はこの区間のほぼ全てで130km/hの最高速度を維持できるため、特急は途中浦上駅に停車してなお僅か16分で結んでいる。新幹線は浦上駅に停車しない予定であるが、ほとんどその分の短縮効果しか出ない。浦上駅は宅地化が進み人口が増加傾向にある長崎市北部の玄関口として機能しており、全ての特急が停車し、路面電車やバスへの乗り継ぎも便利なので、浦上駅に新幹線が停車しないことに不満を抱く長崎市民は多かろう。浦上駅利用者が遠回りになる長崎駅まで出なければならなくなるとすると、新幹線の時短効果も彼らには削がれてしまう。

武雄温泉─諫早間を長崎本線高速新線として運用するのであれば、長崎市街地を通過するために建設費も膨らむ諫早─長崎間の整備は不要だろう。この区間の整備は、やはりフル規格で新鳥栖まで繋がってこそ意味を持つ。

地域の期待を背負いながらも、前途洋々とは言い難いスタートになりそうな長崎新幹線長崎本線と同じように隘路だった熊本─鹿児島間の交流を九州新幹線が強化させ交流人口を増やし、本来の地域創生に寄与したような変革を起こせるだろうか。今の長崎新幹線にはまだ、それが見えない。

早岐駅スイッチバックと"或る列車"

武雄温泉を出て、ひと山を越えると有田に着く。一つ手前の上有田から有田にかけては有田焼の窯元が立ち並び、窯の煙突がいくつも空へ伸びているのが印象的だ。かつては有田から伊万里の港へ有田焼を輸送するために敷設された松浦鉄道西九州線が分岐し、ホームには有田焼の陶板が展示されている。

f:id:stationoffice:20180725231658j:image上有田で上り普通と交換。「有田陶器市下車駅」の看板が立つ
f:id:stationoffice:20180725232000j:image有田駅から西九州線が分岐。「みだいばし」は西九州線の駅
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f:id:stationoffice:20180725231952j:image
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f:id:stationoffice:20180725231945j:imageホームを彩る有田焼の陶板

有田を出ると三河内(みかわち)を通過し、最後の停車駅・早岐(はいき)駅2番線に到着。ここで特急みどりはスイッチバックのため6分停車。佐世保線肥前山口早岐佐世保間のひとつながりの路線ながら、途中の早岐スイッチバックとなるのは、早岐から分岐する大村線との歴史によるものだ。

佐世保線はもともと長崎本線の一部として、1897年に佐賀─肥前山口早岐間が開通した。翌1898年に早岐─(大村)─諫早─(長与)─長崎間、および早岐からスイッチバックする形で佐世保への短距離支線が同時に開通し、これが最初に佐世保線を名乗る路線となった。その後、長崎への短絡ルートとして1934年に肥前山口肥前鹿島─諫早間が開通したことで、こちらが長崎本線を名乗るようになった。長崎本線から分離された区間ののうち、肥前山口早岐間が早岐佐世保間と合わせて新たな「佐世保線」となり、残る早岐─大村─諫早間が「大村線」として独立し、現在に至っている。

佐世保線は軍港・佐世保への路線として、海外へ開かれた港町・長崎へ至る長崎本線とほぼ同等の幹線としての扱いを受け、長崎本線と同時期に電化もされた。一方、大村線は広域輸送の機能を失って長崎県内の二大都市を結ぶ地域路線となり、毎時1本の快速「シーサイドライナー」が走るものの、現在に至るまで非電化のまま。ハウステンボスの開園時、真横を走っていた大村線ハウステンボス駅が開業し、早岐ハウステンボス間の1駅間のみ電化され、博多からの特急が久しぶりに1駅間のみとはいえ大村線を走るようになった。しかし、全線電化には至っていない。

早岐駅は、開業以来佐世保の入り口として、また分岐駅として鉄道の拠点であり続けており、その広大な駅構内を活用して長崎駅高架化に伴う車両基地の移転先となるなど、今なお存在感を保っている。

f:id:stationoffice:20180725231428j:image早岐駅駅名標。隣駅が複数ある駅名標は分岐駅ならでは

ハウステンボス方へは行き止まりとなっている隣の1番線を見ると、"或る列車"の回送列車が止まっていた。

f:id:stationoffice:20180725233806j:image威風堂々とした佇まいの"或る列車"
f:id:stationoffice:20180725233802j:image元がキハ47とは思えないほど徹底的に手が加えられた車内
f:id:stationoffice:20180725233758j:image"JR KYUSHU SWEET TRAIN"らしく、車内でスイーツを楽しめる
f:id:stationoffice:20180725233809j:image783系特急みどりと並ぶと、そのスタイルの差が際立つ

或る列車とは、明治の鉄道黎明期の九州を走っていた幻の豪華客車。大正・昭和期に入ると戦時輸送最優先となり、普通列車用の客車や事業用車両に改造されるなど、悲運の豪華客車として知られた。愛称もなかったことから鉄道ファンからは「或る列車」として呼ばれ、それが定着したものだ。2015年に「カジュアルに楽しめる"ななつ星"」というコンセプトをもとにJR九州がキハ47を種車として復刻させ、現在長崎─佐世保間や大分─日田間などを走っている。今回はJR九州自慢のこうした観光列車には乗れなかったが、「乗ること自体が目的」となるような観光列車はJR九州が日本をリードする存在であり、いつかは乗ってみたいものと思う。

・港のまち、佐世保

僅か6分間の"或る列車"との邂逅を果たし、早岐を出発。進行方向が変わるが、終点佐世保までは9分しかないので、殆どの乗客は座席を回転させず、逆向きのまま座っている。早岐佐世保間は特急ながら特急料金不要の特例が適用されるため、高校生も乗り込んできた。大塔(だいとう)を通過し、最後の通過駅・日宇(ひう)を通過する前、進行方向左手にジャパネットたかたの大きな建物が見えるが、ここがテレビCMにも出てくる住所(長崎県佐世保市日宇町)で間違いないだろう。ジャパネットたかたは今や佐世保を背負って立つ大企業である。

次第に長崎らしい斜面にへばりつく市街地が広がってきて、線路も高架に上がると、博多から1時間54分を経た18:25、特急みどり19号はJR最西端の終点・佐世保に到着する。

f:id:stationoffice:20180725235915j:image隣駅が片方しかないのは終着駅の証拠
f:id:stationoffice:20180725235930j:image船の帆を思わせる上屋が印象的。高架駅ながら開放的な造り
f:id:stationoffice:20180725235919j:image平地が限られる佐世保らしく、高層マンションが駅を囲む
f:id:stationoffice:20180725235926j:image一旦正面口に背を向け、海側の「みなと口」から出る

f:id:stationoffice:20180726002126j:imageここがJRの西の果て。しかし鉄路はまだ西へと続く
f:id:stationoffice:20180725235922j:image駅を出るとすぐ港。離島行きのフェリーターミナルは目の前

f:id:stationoffice:20180726001820j:imageかつての鉄道のヤードが再開発されていた

西九州道の高架をくぐると、改札口から2〜3分程度でもう岸壁である。これほど駅と港が近い駅というのも珍しいように思う。佐世保鉄道連絡船が就航していたわけではないので、函館、青森、高松のように岸壁と直角にぶつかる形ではなく、岸壁と駅がほぼ平行。貨物の積み替えをメインにした構造だったのだろう。今ではみなとみらい21の街区が広がり、岸壁までは遠くなってしまったが、かつては横浜の桜木町駅もこんな感じだったのだろうか。港らしくボラード(船を係留するロープを掛けるための杭)に腰掛け、駅ナカの「ログキット」で購入した佐世保バーガーを開く。

f:id:stationoffice:20180725235935j:image佐世保バーガーを港で頂く。これぞアメリカ文化がもたらしたものだ

海風を受けながら頬張る佐世保バーガーは格別。

f:id:stationoffice:20180726001709j:image

ふと遠くに目をやると、汽笛を鳴らしながら、離島からやってきたフェリーが入港してきた。佐世保は、今も昔も活気ある西の港町なのだ。

 

(つづく)

21.和歌山電鐵貴志川線 -"日本一心豊かなローカル線"の素顔- #和歌山

「キャー、この電車カワイイ!!」…さまざまな電車に乗ってきた自分ではあるが、見た瞬間に「カワイイ!!」なんて女性に声を掛けられる電車なんて初めてだ。白い車体に赤いイチゴをあしらったイチゴミルクそのものの電車が、和歌山駅9番線で愛想を振りまいている。

f:id:stationoffice:20180720165033j:image和歌山駅で発車を待つ"いちご電車"伊太祈曽行き

・"ローカル線のトップランナー"貴志川線

前回、紀勢本線和歌山駅に到着し、そのまま和歌山市行きに乗り換えたような展開をしたが、実はその前に貴志川線に寄り道をしていた。"ローカル線のトップランナー"として名高い貴志川線だけに思うところが多くあり、とても前回の記事内には収まらず、貴志川線は別記事に分割することにしたというわけ。さて、さっそく和歌山駅から貴志川線の旅を始めよう。

f:id:stationoffice:20180720165226j:image南海スタイルの駅名標が残る和歌山駅

貴志川線和歌山駅の改札口から最も離れた9番線に発着する。改札口はJRと共用…というかJRに委託しており、貴志川線ホーム端に中間改札と窓口を設けることで対応している。貴志川線の玄関となる場所であり、ここで一日乗車券やグッズの販売、ICカードの精算(貴志川線はIC非対応のため)などを一手に引き受けるが、あまり広くはないホーム幅のさらに半分程度に押し込められた窓口は、いかにも狭い。しかし、入場・出場各1通路で足りる程度しか乗客の波がないという実態も示していよう。

窓口で一日乗車券(780円)を買い求め、有人改札で入鋏を受ける。終点・貴志まで14.3kmの運賃は400円なので、貴志まで往復するなら一日乗車券の方が安い始末。裏を返せば、貴志から和歌山まで"普通運賃を払って出る人"がそれだけいないということか。或いは、普通運賃を払って出る人はいるが、その普通運賃が割高であるということか。まあ、その両方なんだろう。

ちなみに、紀の川の対岸を貴志川線と並行して走るJR和歌山線であるが、和歌山から13.3kmの岩出駅までは普通21分(快速14分)、240円で着く。一つ先、15.5kmの下井阪駅までは320円・25分で着き、どちらも貴志川線より速く、運賃も安い。JR西日本の中ではローカル線に分類される和歌山線であるが、和歌山県内で最も拓けた紀の川筋に沿い、岩出市紀の川市(旧打田町・粉河町)、橋本市といった諸都市を結び、朝夕には快速も運転されるなど、県内においては重要な位置を占める。和歌山から21.5kmの粉河まではきのくに線(紀勢本線)普通と同等の2本/hの普通が走り、和歌山の近郊路線として立派に機能している。5〜6kmの距離をおいて並行する貴志川線和歌山線は、一種のライバル関係にあると言えよう。

貴志川線は、和歌山線きのくに線と違って都市間輸送や行楽輸送の役割は少ないものの、JR各線と同等の普通2本/hを確保し、ラッシュ時には伊太祈曽折り返しが1〜2本/h加わるという都市近郊鉄道としてはまずまずのダイヤであり、終電車も和歌山23:40発貴志行きと遅くまで走ることから、うらぶれたローカル線のイメージは薄い。終日にわたり様々な客層の利用が見られ、生き生きとした地方私鉄の有り様を今に見せてくれる。

そして、観光地らしい観光地を沿線に持たないはずの貴志川線に、「この電車カワイイ!!」と言わしめるほどの観光客をもたらし、ひいては貴志川線和歌山県全土にその効果を波及させつつあるのが、貴志川線を運営する和歌山電鐵が打ち出す施策の数々である。それら取り組みについての詳述は別項に譲るが、ここでは鉄道趣味者から見た貴志川線の印象を綴って行きたいと思う。

・"いちご電車"に揺られて

貴志川線のホームに立つと、「いちご電車」が扉を開けて乗客を待っていた。元南海車らしいヘッドライトはそのままだが、車体の随所にいちごがあしらわれ、なんとクーラーのキセまでいちご色。白い車体に点々と赤いいちごが浮かぶ様は、なるほどいちごミルクそのものだ。

f:id:stationoffice:20180720165405j:image入り口からしていちごの香りが漂ってきそう
f:id:stationoffice:20180720165401j:imageクーラーのキセがいいアクセントになっている

車内に入ると、ごく普通のロングシートが並んでいるばかりであるが、驚くべきはその内装。床にはフローリング板が敷き詰められ、座席のモケットはポップないちご柄、つり革は木製。連結面寄りには小さなテーブルも据え付けられ、これならイベント対応も容易だろう。

f:id:stationoffice:20180720165620j:image見た目は派手だが構造はごく普通のロングシート
f:id:stationoffice:20180720165611j:image車端部にはカウンター風のテーブルもある
f:id:stationoffice:20180720165615j:image改装費を拠出したサポーターの名が連なる。関心は高い

いちご電車」が走り始めたのは2006年。それまで貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字のため撤退することになり、その引き受け先として名乗りを上げたのが、遠く岡山で路面電車を走らせる岡山電気軌道。社長の小嶋氏はかねてより地方鉄道の衰退に危機感を募らせており、人口35万の和歌山市に直結する路線であれば、やり方次第で存続は十分可能と踏んだそう。そして岡山電気軌道側の動きに合わせ、沿線自治体が線路や駅などの鉄道用地を南海から買い上げて上下分離方式に移行し、新会社の負担を軽減させている。こうして岡山電気軌道の100%子会社として和歌山電鐵が設立され、2006年4月1日に南海から貴志川線の運営を引き継いだ。

4月1日の時点では「南海」「NANKAI」の字を消しただけで、特にこれといった変化もないスタートであったが、新会社発足から4ヶ月後、8月から走り始めたデザイナーズ電車第一号こそが「いちご電車」というわけ。デザイナーはJR九州ばかりでなく岡山電気軌道とも関わりが深い水戸岡鋭治氏。いちご電車は、新会社のスタートを沿線住民に強烈にアピールする、貴志川線のイメージリーダーの役目を果たすことになった。これといった観光地もなかった沿線の「いちご農園」にスポットライトを当て、「いちご電車でいちご狩りへ」と、まずは沿線住民を誘う。「沿線住民に乗ってもらえる電車」になることで、観光客に頼らない日常利用を増やし、まずは足腰を鍛える。新会社の狙いはここにあっただろう。

それまで南海本線高野線の中古車両が回ってくるばかりで、設備投資もままならない、古くて汚い田舎電車に過ぎなかった貴志川線に、既存車両のリニューアルとはいえ、センスあふれるデザイナーズ電車が走り始めたのだから、その宣伝効果は絶大だった。今となっては貴志川線のデザイナーズ電車たちの中ではやや大人しめの存在になってしまったが、貴志川線のイメージを変えたパイオニアとして、いちご電車は今日も地元客に観光客を乗せて走っている。

16:49、和歌山発。和歌山電鐵貴志川線普通伊太祈曽(いだきそ)行き。まずは夕方の増発列車である伊太祈曽止まりに乗り、沿線の様子を見てみよう。

・増発/等間隔化への課題:交換駅移設を

和歌山の次、田中口駅は市街地続きの密集した住宅街の中。二つ目の日前宮(にちぜんぐう)駅は最初の交換駅で、上り和歌山行きと交換する。貴志川線和歌山駅ホームは1面1線のみなので、上り和歌山行きが日前宮を出て、折り返し下り電車となって日前宮に戻ってくるまでが貴志川線の最短運転間隔になる。和歌山〜日前宮間は4〜5分といったところで、折り返し時間5分を入れても15分間隔運転は可能だろう。しかし、日前宮の次の交換駅は神前(こうざき)、竈山(かまやま)、交通センター前を経た4駅先の岡崎前駅まで無く、この間8分を要する。このため、この8分×2に交換余裕の1分を加えた17分が貴志川線の最短運転間隔であり、朝7・8時台は16〜18分間隔での運転となっている。

f:id:stationoffice:20180720170000j:image日前宮で上下列車が交換。対向は南海色を残す一般車
f:id:stationoffice:20180720165956j:image旧スタイルの駅名標が残る

データイム10〜12・14〜15時こそ和歌山発貴志行きの発車が25・55発に揃えられているものの(13時台のみ伊太祈曽折り返しが1本割り込むため若干崩れる)、それ以外の時間帯は運転間隔が60の約数でないため、「和歌山発毎時X分」という覚え方ができない。さりとて時刻表要らずの頻発運転とも言えない本数なのが、今の貴志川線の苦しいところだ。

このように、日前宮〜岡崎前間に交換駅が無いことが列車増発・等間隔運転化の障害になっているため、岡崎前の交換設備を1つ和歌山寄りの交通センター前へ移設してはどうだろうか。交通センター前駅は南側に隣接する和歌山県運転試験場や和歌山交通公園の最寄駅として、南海時代末期の1999年に開業した新駅であり、敷地には余裕がある。交通センター前駅に交換設備が移動すれば、和歌山←(5分)→日前宮←(6分)→交通センター前←(6分)→伊太祈曽←(12分)→貴志と、和歌山〜伊太祈曽間の交換駅の間隔がほぼ一定になる。交換余裕を加味しても和歌山〜伊太祈曽間の15分間隔運転、伊太祈曽〜貴志間の30分間隔運転(これは現行通り)が可能になり、増発・等間隔化が叶う。和歌山発を00・15・30・45発に揃え、00・30発は貴志行き、15・45発は伊太祈曽折り返しとすれば、覚えやすく便利なダイヤになる。また、和歌山で接続する阪和線が15分間隔、きのくに線(紀勢本線)・和歌山線が30分間隔での運転なので、和歌山駅での接続改善にも繋がるだろう。

現状、日中ダイヤは和歌山〜貴志間の全線運転が30分間隔だが、伊太祈曽折り返しの区間列車が加わる朝夕ラッシュ時は、和歌山〜伊太祈曽間が16〜18分間隔運転のため、伊太祈曽〜貴志間が最低34分間隔(17×2)となり、却って日中よりも運転間隔が長くなってしまっている。末端区間のサービス改善のためにも、ぜひ取り組んでもらいたいところだ。

貴志川線の中枢:伊太祈曽駅

岡崎前で2本目の上り和歌山行きと交換。和歌山16:49発の伊太祈曽行きはここまであまり大きな下車は無く、各駅で2〜3人ずつ降りていくといった小幅な動きしかなかったが、次の吉礼(きれ)で20人程度が一気に降りた。地図を見ると商店街や団地に囲まれており、駅前に止めてある自転車の数も多い。自転車で駅まで来て電車に乗り継ぐという都市型のスタイルが定着しているようで、言い換えればそれが成立するレベルの需要はあるということになるだろう。吉礼で多くの乗客を降ろした伊太祈曽行きは回送列車同然になってしまい、自分の他にもう1人だけの乗客を乗せ、17:09に終点・伊太祈曽に到着。和歌山から20分の短距離列車だった。いちご電車は折り返し和歌山行きとなり、僅か6分後の17:15に出発。

f:id:stationoffice:20180720170231j:image伊太祈曽到着。折り返し上り和歌山行きになる
f:id:stationoffice:20180720170227j:image2両編成がギリギリ収まる小さなホーム
f:id:stationoffice:20180720170223j:image旧字体が残る駅名標

いちご電車のポップな見た目は観光列車だが、その使われ方は日常の通勤通学列車そのもの。混雑に備えて収容力のあるロングシートの構造を維持しつつ、普段電車に乗らない地元住民や観光客へのアピールのために内外装のデザインを一新するという、実用と美観の両立をうまく図っている様子が窺えた。

伊太祈曽駅はその名の通り「伊太祁曽神社」の最寄駅。貴志川線はこの伊太祁曽神社と、竈山神社(竈山駅)、日前宮(日前宮駅)の3つの著名な神社を結んでおり、貴志川線開通の目的も和歌山近郊で「三社参り」を可能にするというものだった。駅名は伊太「祈」曽、神社名は伊太「祁」曽と表記が異なるのは、2006年の南海からの経営移管時、常用漢字外だった「祁」を、常用漢字の「祈」に変更したことによる。

f:id:stationoffice:20180720170719j:image伊太祈曽の住宅街を走る貴志川線

貴志川線の前身である山東軽便鉄道(さんどう─)が開通したのは1916年と、寺社参詣のための鉄道という意味では伊勢神宮を目指した近鉄山田線(1930年)や、成田山新勝寺を目指した京成本線(1925年)よりも開業が早く、当時の寺社参詣がいかに鉄道の需要源として重要視されていたかがわかるし、参詣鉄道の開業の早さという意味では、当時の和歌山市の先進性も窺い知ることができる。紀州徳川家のお膝元であった江戸期の和歌山市は、現在の和歌山市のプレゼンスよりもずっと高かった。山東軽便鉄道が開通した明治期はまだその文化が色濃く残っていたし、南海線はあったが阪和線が開通する前であり、大阪の経済力の影響を強く受ける前段階だったからだ。

f:id:stationoffice:20180720170851j:image立派な石鳥居が立つ伊太祁曽神社
f:id:stationoffice:20180720170839j:image
f:id:stationoffice:20180720170845j:imageこの神社を目指して貴志川線は開通した

・外も中もネコだらけな"たま電車"

一旦伊太祈曽17:32発の貴志発上り和歌山行きで和歌山まで戻る。目的は本日2本目のデザイナーズ電車、「たま電車」に乗るためだ。

f:id:stationoffice:20180720171237j:image伊太祈曽に到着するたま電車

貴志川線の「たま駅長」は、貴志川線を観光路線に仕立て上げた立役者として知られる。貴志駅は2006年の経営移管時に無人駅となり、駅舎取り壊しが検討されていた。駅舎に住み着いていた三毛猫「たま」の行き場がなくなることを案じた駅売店の店主らが、和歌山電鐵の社長に直談判したところ「たまを駅長にすれば退去しなくてよくなる」というアイデアをもって、2007年にたまが貴志駅長に就任。それ以降「電車の乗客を出迎えるネコ駅長『たま』」が評判となり、たま駅長目当ての観光客が増加。ついには貴志川線の客招きネコとしての業績を評価され、県から表彰されたり、果ては貴志駅舎が観光の中心となるべく「たまミュージアム」として2010年に建て替えられるに至っている。2015年にたま駅長は亡くなったが、それ以降も二代目三代目四代目のネコ駅長たちが後任にあたり、貴志川線の客招きネコとして日々奮闘している。

「たま電車」は、たま駅長ブームに沸く2009年に登場した。車体の内外装ともイラスト化されたたま駅長で埋め尽くされており、ネコの顔に見立てた電車の正面にはネコ耳とネコひげがあしらわれている。車内もたま駅長が乗車する時のためのケージがあったり、和歌山電鐵関連の書籍を公開している書棚があったり。たま駅長をはじめ貴志川線を強力にPRする電車となっているが、そこは観光列車でありながらも通勤通学列車が第一なので、ロングシートで収容力に富む構造は変わっていない。

f:id:stationoffice:20180720171412j:imageネコ耳とネコひげが生えたたま電車。愛嬌ある顔だ
f:id:stationoffice:20180720171417j:image足跡につられて車内へ
f:id:stationoffice:20180720171421j:imageどこもかしこもたま駅長だらけ
f:id:stationoffice:20180720171433j:image
f:id:stationoffice:20180720171429j:imageでも車内はロングシート
f:id:stationoffice:20180720171426j:image書棚もあるロングシート電車なんてここくらいだろう
f:id:stationoffice:20180720171437j:image車端部にはたま駅長ののれんがかかる

観光列車に寄り過ぎると日常のラッシュ時に使いにくくなってしまうし、通勤通学に寄り過ぎても今度はPR力が弱くなってしまう。相反する両者の性格をうまく両立させる力加減が、デザイナーの力量に依るところなのだろう。水戸岡デザインの電車には批判もあるが、自分としてはこれらの要求をうまく満たす力量に富む、素晴らしいデザイナーズ電車たちだと思う。

伊太祈曽を17:32に出た上り和歌山行きは、下りと同じく吉礼でやや多くの乗客を乗せ、その後も各駅でポツポツと乗客を集め、17:52に和歌山に到着。たま電車は折り返し18:00発の下り伊太祈曽行きとなり、家路を急ぐ学生や通勤客を乗せる。この時間とあっては、乗客たちはたま電車に目もくれない。これだけ強烈なインパクトを持つ電車なのに全く注目を集めないというのも、日常的に利用する定期客ばかりということを示していよう。電車の見た目と乗客の無関心ぶりのギャップが凄まじい。

・キスアンドライドが集中する貴志駅

和歌山18:00発の下り伊太祈曽行きとなったたま電車は、終点伊太祈曽に18:20に到着。折り返し上り和歌山行きとはならず、たま電車はそのまま車庫に引き上げていき、その様子を観察。18分後に続行してくる貴志行きを待つ。

f:id:stationoffice:20180720171738j:image下りホームに到着した伊太祈曽止まり
f:id:stationoffice:20180720171753j:image一旦下り貴志方の本線に引き上げて方向転換、上りホームへ転線
f:id:stationoffice:20180720171729j:image上りホームを行き過ぎた点で再度方向転換
f:id:stationoffice:20180720171735j:image誘導に従って車庫へ
f:id:stationoffice:20180720171743j:image留置線へ進む
f:id:stationoffice:20180720171749j:image車庫に収まったたま電車。明日の出番を待つ

和歌山18:18発→伊太祈曽18:41発の下り貴志行きは本日のデザイナーズ電車3本目、「うめ星電車」だった。和歌山すなわち紀州といえば紀州南高梅、という和歌山を代表する産物の名を冠した電車の中には、梅干しだけでなく漆器、日本酒、備長炭など、広く和歌山県全土の産物をPRするショーケースが設置されていた。うめ星電車のデビューは2016年と、デザイナーズ電車シリーズの中では一番新しいということもあり、車内のフローリング(水戸岡デザインといえばやはりフローリングなのか)もピカピカだ。途中駅での下車は少なく、座席を埋めた顔ぶれは貴志まであまり変わらなかった。和歌山から35分、伊太祈曽から12分を経て、18:53に終点・貴志に到着。

f:id:stationoffice:20180720172219j:image貴志に到着したうめ星電車
f:id:stationoffice:20180720172212j:imageリニューアルしたばかりの車内
f:id:stationoffice:20180720172223j:imageのれんでも梅干しをPR
f:id:stationoffice:20180720172215j:image電車内とは思えないショーケース

たまミュージアムとなった貴志駅だが、さすがにこの時間では観光客やそれに対応する駅係員の姿はなく、無人駅と同様に前扉から降車。待合室の機能も兼ねる「たまカフェ」は9:15〜17:45の営業(LO17:15)であり、この時間では真っ暗だ。たま駅長関連の展示に目を止めるのは自分くらいなもので、皆足早に駅舎を抜けていく。自分もその流れに乗って駅舎を出ると、狭い駅前を送迎の車が埋め尽くしているのに驚く。

f:id:stationoffice:20180720172509j:image貴志駅前に並ぶキスアンドライドのクルマ
f:id:stationoffice:20180720172518j:imageステンドグラスにもたま駅長
f:id:stationoffice:20180720172514j:image時刻表にもたま駅長
f:id:stationoffice:20180720172506j:image観光客へ電車での来駅を促す案内

貴志駅は旧貴志川町役場(現・紀の川市貴志川支所)と1kmほど離れており、オークワも位置する町の中心にあるとは言えない立地にある。そのため、人口の張り付きも駅付近では弱く、かといって電車・バスの結節輸送が成立するほどのボリュームもない(全ての電車に接続できるほどの本数が確保できない)ため、こうしたキスアンドライドが飛び抜けて目立つのだろう。暗い駅前をクルマのヘッドライトが明々と照らす様は、クルマ社会の真っ只中に生きる鉄道のいまを象徴しているかのようだった。

貴志川線に学ぶ地方鉄道の在り方

貴志川線は、その第一義である和歌山市ベッドタウンを結ぶ通勤通学輸送を安定的に成立させるため、地元住民と観光客へのPRを兼ねるデザイナーズ電車たちを走らせることで、通勤・通学と行楽・観光という、二つの収益源を確保しつつある。事実、たま駅長の奮闘もあって、貴志川線は南海時代とは比べものにならない知名度を得、貴志川線自体が和歌山県全土における観光名所の一つとなるまでに成長した。夕刻の和歌山駅から1時間に3〜4本の電車が立て続けに出発する様子からは、とても「貴志川線の廃止やむなし」という意見は見えないだろう。

f:id:stationoffice:20180720172802j:image終点貴志まで結構な人数が残る。全線利用は少なくない

しかし、その知名度の向上をよそに、貴志川線の地位が安泰になったわけではない。和歌山駅のホームには「沿線住民が1年であと4回(2往復)乗って貴志川線を存続させよう」というスローガンがあり、実績値と目標値の対比を公開している。言い換えれば、単年度ではなんとか収支均衡を果たしているものの、新車導入などの大規模な設備投資が覚束無い状況には変わりないということを示している。貴志川線を走る2270系の元になった南海22000系の製造は1970年と、まもなく製造から50年を迎えようとしているが、置き換えの話は具体化していない。さらに地方都市でも導入が進みつつあるICカード貴志川線では使えず、こうした設備投資の不足は否めない状況にある。言い換えれば、車両のリニューアルや貴志駅舎の建て替えなどの美装化に投資余力を振り向けてしまい、ICカード導入などの機能向上に結びついていないということも言えるかもしれない。

f:id:stationoffice:20180720172945j:imageここまで詳細な利用状況を公開しているのは珍しい

だが、こうして貴志川線の地位が向上した今こそ、貴志川線に対する近代化投資に、行政のバックアップがあって然るべきだろう。懸案となっている紀勢線直通による南海和歌山市駅乗り入れについても、貴志川線架線電圧の600V→1500Vへの昇圧、紀勢線紀和駅の高架化、紀勢線へのICOCA導入と、両者とも地道な投資が続けられており、南海和歌山市駅ビルの建て替えも控える。和歌山駅からではバスに乗らなくてはならない中心商店街のぶらくり丁へも、南海和歌山市駅からなら徒歩10〜15分となんとか徒歩圏。紀勢線と本町通りの交点に駅ができれば、この距離はさらに短くなる。市街地を取り囲むように走る紀勢線(JR和歌山〜南海和歌山市)と、和歌山駅と近郊のベッドタウンを結ぶ貴志川線が直接結ばれれば、和歌山市街地の半環状線として有効に機能することだろう。それに際しては、交換設備の増設・移設による15分間隔運転化や、ICカード導入による運賃支払いの簡略化など、ストレスなく電車に乗れる環境を整えることが肝要になる。

生まれ変わった貴志川線が観光客だけでなく地元住民へのPRを重ねてきたことで、市民の鉄道に対する評価は間違いなく変わってきている。和歌山電鐵の狙いは、こうして市民の意識を変えることにあったはずだ。その機が熟しつつある今、貴志川線は更なる発展の時を迎えつつあるのではないか───。

帰りは和歌山駅まで行かず、一つ手前の田中口駅で下車。駅近くにある和歌山ラーメンの有名店「井出商店」でラーメンを啜りつつ、そんなことを考えた。

f:id:stationoffice:20180720173058j:imageとろりとした和歌山ラーメン
f:id:stationoffice:20180720173103j:image「すし」=鯖の押し寿司と一緒に食すのが和歌山流

 

(つづく)

20.JR紀勢本線(紀伊田辺-和歌山市)・紀州鉄道線 -かつての"日本一のミニ鉄道"が生きる道- #和歌山

「と、都会の電車だ…」

和歌山まであと1時間に迫った、御坊駅の2番線ホーム。そこに滑り込んできた電車は、眩いばかりのステンレス車体に転換クロスシート。車内のLCDでは、芸能人が笑顔を振りまくCM広告が踊っていた。

f:id:stationoffice:20180713001801j:image

・長距離向けの113系で短距離運用?

14:16、紀伊田辺着。新宮から2時間51分を共に過ごした105系2両のワンマン電車ともお別れ。紀伊田辺では7分接続で113系2両の普通御坊行きが待ち受ける。紀伊田辺からは複線区間となり、普通・特急とも1時間に1本の地方幹線らしい体裁が漸く整う。14:23、紀伊田辺発。座席はほぼ埋まっており、ボックスシートの入りにくい部分が空いているくらい。意外にも(?)座り込みや座席を占領するようなマナーの悪い学生はおらず、皆行儀よくしているのは気持ちがいい。

f:id:stationoffice:20180713001858j:image接続を取る新宮発紀伊田辺行き(右)・紀伊田辺発御坊行き(左)
f:id:stationoffice:20180713001854j:image103系そっくりの顔が珍しい113系改造車

紀伊田辺までの単線区間とは線路の様子も大きく異なり、113系は複線の線路を流れるように走ってゆく。駅ごとにポイントの振動を受けるでもなく、ガツンゴツンというコイルばね台車の衝撃を受けるでもない。もともと105系福塩線可部線宇部線小野田線といった地方都市の小路線の運用を想定し、2両・3扉・ロングシート・便所なしを基本としており、長時間の乗車には向いていない。そのような短距離向けの105系を長距離運用となる新宮〜紀伊田辺間に充て、本来中距離向けの113系紀伊田辺〜御坊間の片道45分の短距離往復運用に充てるのは逆ではないのか、という気もするが、113系の2両編成が2本しか配置がないため、仕方なくこうなっているのかもしれない。ただ、さっきまで乗ってきた新宮発紀伊田辺行きは途中駅で特急に抜かれることなく先着するので、かなりの長距離利用も多かった。長距離利用も多い区間に短距離向けの105系を充てるのは不適切と思うが、もはや普通列車の長距離利用といった利用者そのものがほとんどいないのだろうか。東北地方の普通列車を軒並み置き換えた2両・3扉・オールロングシート701系に向けられる批判と同じ構図が、紀勢本線105系にも当てはまるだろう。

f:id:stationoffice:20180713002141j:image紀伊田辺以北の複線区間にも波打ち際を走る区間が(南部〜岩代)

普通御坊行きの113系は、113系らしからぬ103系の顔を持つ改造車という点を除けば、扉横に2席のロングシートを配し、扉間に4席ボックスシートを2組配置してあるといった、オーソドックスな113系近郊型電車のそれであった。複線のために対向列車との待ち合わせ停車もなく、途中駅で少しずつの乗り降りを繰り返し、淡々と走ってゆく。普通御坊行きは御坊まで先着するため、御坊までの乗り通しが多いかと思いきや、紀伊田辺からの乗り通しは半分もいなかった。終始同じくらいの乗車率をキープし、15:08、御坊着。紀伊田辺から45分のショートランナーであった。

f:id:stationoffice:20180713002508j:image折返し御坊発紀伊田辺行きとなり、和歌山発御坊行き到着を待つ

御坊駅での巧みな待避・折り返し接続

御坊からは25分接続で御坊始発の普通和歌山行きに乗り換え。やや接続時間が開くが、この間に特急くろしお24号が新大阪行きが先発していく。紀伊田辺方から3番線、和歌山方から2番線に折り返し列車が到着し、それぞれ対面で接続する間に、1番線を上り特急が発着し、先発していく。JRだけを見ても上下普通の接続と上り特急の待避を同時に行っており、これだけでも2面3線の限られた接続を最大限に活用する好ましい運用方法に思うが、御坊駅の場合はこれに加えて紀州鉄道線の接続まで加わるから驚く。

御坊駅御坊市街の町外れに位置し、中心市街地は紀州鉄道線に乗り換えて2駅先の紀伊御坊駅御坊市役所最寄りは3駅先の市役所前駅となる。4駅先の西御坊駅はもう終点であり、全線乗っても2.7kmの小さな鉄道。御坊駅御坊市街の連絡に徹しており、こういった環境にあるミニ路線にしては珍しく、1時間に1本の運転間隔を保っている。

f:id:stationoffice:20180713002625j:image紀州鉄道用0番線には駅名標すらなく、あるのはこの看板一枚
f:id:stationoffice:20180713002630j:image上りホームの片隅にある紀州鉄道用0番線。ホーム高さが違う

御坊駅における紀勢本線紀州鉄道の接続をまとめると、以下のようになる。

  1. 15:08 紀勢本線 紀伊田辺発普通御坊行きが3番線に到着
  2. 15:13 紀勢本線 新宮発特急新大阪行きが1番線に到着・出発
  3. 15:18 紀州鉄道 西御坊発御坊行きが0番線に到着
  4. 15:22 紀勢本線 和歌山発普通御坊行きが2番線に到着
  5. 15:24 紀勢本線 御坊発普通紀伊田辺行きが3番線から折り返し出発
  6. 15:27 紀州鉄道 御坊発西御坊行きが0番線から折り返し出発
  7. 15:33 紀勢本線 御坊発普通和歌山行きが2番線から折り返し出発

たった25分の間に、これだけの接続がすべてなされているから驚く。T字に乗り入れる各路線のうち、紀州鉄道紀勢本線上り特急以外はすべて接続しているのだ。どの方面から来てもいずれの2方面へ必ず接続しているというのは、綿密なダイヤ調整の賜物だろう。紀州鉄道は概ね紀勢本線の上下普通に接続しており、その分特急との接続は犠牲になっているようす。特急の利用者は御坊駅までクルマで乗り付けるのだろうが、普通列車の利用者は通学客が中心であり、クルマを持たない彼らが頼りにする普通列車を優先しているのだろう。列車本数が限られる路線同士であるからこその、きめ細やかな接続体系が維持されているのは、公共交通機関のネットワークを考える上でも非常に好ましい。しかしながら、こうしたミニ路線が今日まで維持されているのは、御坊とは縁もゆかりもない不動産会社による地域貢献の賜物なのだと思うと、それはそれで複雑な思いもしてくる。

f:id:stationoffice:20180713003056j:image1番線に特急くろしおが到着。普通列車を待たせ新大阪へと急ぐ

・人口3万足らずの"市内電車"紀州鉄道

紀勢本線のスター、オーシャンアロー283系の特急が先発していくのを見届けると、紀州鉄道が発着する0番線のか細い線路に、1両きりの気動車がやってきた。

f:id:stationoffice:20180713003240j:image紀州鉄道KR301号が御坊駅に到着

信楽高原鉄道SKR301号改め、紀州鉄道KR301号である。1995年に信楽高原鉄道でデビューした際はShigaraki Kogen Railwayの頭文字をとってSKR301号を名乗っていた。しかし新型車両の導入でお役御免となって2015年に紀州鉄道が譲り受けた際、偶然同社がKishu RailwayだったためにSだけ外してKR301号になったもの。なんと合理的な付番方法だろう。他に1992年製のKR205号がいるが、この2両が紀州鉄道の全車両である。全線2.7km、所要8分とあっては途中に交換駅もなく、2両運転となることもないので、どちらかが運用されている時はもう一方は紀伊御坊駅の車庫で予備として待機している。

f:id:stationoffice:20180713003358j:image宮子姫とは御坊に伝わる伝説の美女
f:id:stationoffice:20180713003355j:image信楽の「S」が外された車番。不思議な縁である

接近放送もなく、ガラガラと音を立てて行き止まりの0番線に到着したKR301号からは、数人の乗客が降りてきた。当然和歌山方面が多いが、紀伊田辺方面へ乗り換える人もいる。そして、折り返し西御坊行きとなるKR301号に乗り込む人もちらほら。数人の乗客を乗せ、わずか9分の折り返しでKR301号は西御坊へと出発。極めてゆっくりとしたスピードで急カーブを曲がり、御坊市街地へと向かってゆく。

全線2.7kmのミニ路線ながら、市街地からやや離れた駅と市街地を結ぶ役割を立派に果たす紀州鉄道。こういった幹線の駅から離れた市街地を結ぶ小さな支線は、旧国鉄だけでも篠山線(福知山線篠山口〜篠山間5.0km)、鍛冶屋線(加古川線西脇市[旧・野村]〜西脇間1.6km)、小松島線(牟岐線中田〜小松島間1.9km)など、かつては全国に存在した。ところが、国鉄改革と前後するタイミングで「非効率な短距離支線」と看做され、これら小さな支線はその多くが廃止されていった。また、大都市では新設された幹線に飲み込まれるケースもあり、かつての東海道本線支線(横浜〜桜木町間2.0km)はその代表的な例だ。横浜〜桜木町間は、東海道本線からやや離れた横浜駅と、神奈川県庁・横浜市役所をはじめとする横浜港付近の中心市街地を結ぶ役割を果たす行き止まりの支線であったが、これを延長する形で根岸線が開通したことで、横浜〜桜木町間もろとも根岸線に飲み込まれたというわけ。

地方ではバス転換が進み、都市内では発展解消されるなどして、こうした「市街地連絡線」はその多くが姿を消した。今なお地方で健在の「市街地連絡線」といえば、伊賀鉄道伊賀線(関西本線伊賀上野〜上野市間3.9km)、岳南鉄道岳南線(東海道本線吉原〜吉原本町間2.7km)など、もはや数える程しかない。こうした路線は、その性格から幹線との接続が至上命題であり、接続列車を確保するために運転本数が地方にしては多めであることも特筆される。今時、地方にありながら1時間1本の運転本数を確保することも難しくなってきているなかで、紀州鉄道も含め、1時間1本を切ることはない。

※本項の路線・区間は市街地連絡の性格が強い区間を抜粋しており、実際の区間とは一部異なります。

ただ、紀州鉄道伊賀線や岳南線と異なる点があるとすれば、紀州鉄道が走る御坊市の人口(27,000人)が、伊賀線が走る伊賀市(88,000人)、富士市(245,000人)に比べても非常に少ない点であろう。これは、全国の例に漏れず経営難に陥っていた旧・御坊臨港鉄道を、東京の不動産会社が「鉄道会社のネームバリュー」欲しさに買収したもの。紀州鉄道の本社は御坊や和歌山ではなく東京都中央区日本橋で、那須軽井沢などの別荘地における不動産事業が本業である。そのため、紀州鉄道における鉄道事業は会社による地元への貢献といった意味合いが非常に強く、仮に御坊臨港鉄道のままであったら早晩廃止されていたことであろう。御坊に小さな鉄道が残った背景には、こうした数奇な歴史に翻弄された過去があった。

かつては名実ともに日本一のミニ鉄道であった紀州鉄道であるが、2002年の芝山鉄道線(千葉県・東成田駅芝山千代田駅間2.2km)の開通によって、その座を明け渡すことになった。とはいえ、芝山鉄道線は全ての列車が京成線と直通運転を行なっており、朝夕には京成線を通り越して都営浅草線、更には京急線に乗り入れる列車まであり、実質的には京成線の延長である。そのため、短区間をひたすら往復し続けるという意味においては、紀州鉄道は今でも日本一のミニ鉄道ではないかと思う。

ともあれ、紀州鉄道はそんな歴史や経緯などお構いなく、今日も御坊の駅と市街地を結び、小さな気動車がトコトコと走っている。今回は時間の関係で乗車は叶わなかったが、今後和歌山を訪れる機会があれば、ぜひ紀州鉄道の小さな気動車に揺られてみたいものだ。

・"都会の電車"に揺られて和歌山へ

紀州鉄道の小さな気動車を観察しているうち、和歌山方から折り返し和歌山行きがやってきた。てっきりこれまでと同じような無骨な国鉄型電車がやってくるかと思っていたが、和歌山行きは白く眩しく光るヘッドランプを光らせている。驚くことに、阪和線関西空港線と共通の、JR西日本最新の電車、転換クロスシートを載せた227系4両編成がやってきたのだ。

f:id:stationoffice:20180713001801j:image227系の和歌山発御坊行きが到着。隣の紀伊田辺行きへは2分接続
f:id:stationoffice:20180713003755j:image折り返し和歌山行きとなる227系。フルカラーLEDが眩しい

これまでの105系113系と異なり、227系に乗り込んで驚くのは、その内装の上質さと居住性の高さ。厚手のクッションに覆われた転換クロスシートは座り心地が非常によく、適度に身体が沈み込む。走り出してもガクガクとした前後動やビビリ振動もなく、本当に滑るように走ってゆく。紀伊田辺からの113系ですら線路規格が高いために乗り心地が良いと感じていたが、御坊からはそれまでとは段違いの快適性。車内には"都会の電車の象徴"LCD画面も当然設置されており、広告の動画も流れている。車両の良さも相まって、鉄道技術の進歩を感じずにはおれなかった。

f:id:stationoffice:20180713004046j:image都会の電車ならではのLCD画面。大都市は近い

御坊までに比べあまりに快適な車内であった上、6時台から列車に乗り続けていることの疲労が重なり、御坊出発から程なくして眠りに落ちてしまった。御坊から和歌山まで約1時間、途中駅での特急待避もなく、和歌山の近郊電車としてそれなりに乗降も多かったことは覚えている。御坊までは2両編成が1時間1本だったが、御坊からは4両編成が1時間2本の運転になる。輸送力にして4倍の差があり、それに恥じぬ利用がある。ただ、和歌山まであと5駅に迫った海南までは特急停車駅を除きICカード非対応。4両編成が30分間隔で走る路線にしては設備投資が遅れている印象も否めない。御坊〜海南間よりも運転本数が少ない草津線貴生川〜柘植間や、桜井線高田〜桜井間ですらICカードには対応しているのだが…。和歌山県内へのJR線は、大阪からの阪和線か、奈良からの和歌山線に限られることもあり、他のICOCAエリアに跨っての利用が相対的に少ないことも影響しているのだろうか。定期券近畿圏の大都市区間とはまた違った事情があるようだ。

高架駅の海南を出ると、だんだんとビルやマンションが取り囲む中へと入っていく。最後の停車駅、宮前を出る頃には通路まで立客が大勢といった状況になり、16:36の定刻に和歌山へ到着。片側3扉のドアが一斉に開き、ドヤドヤと乗客が降りていく。半数は足早に改札を抜けていくが、もう半数は大阪方面への紀州路快速へと乗り換えていく。和歌山を素通りして大阪方面への流れも強いようで、今の和歌山が置かれた状況も浮かび上がってくる。

f:id:stationoffice:20180713004309j:image特急くろしおが発着するホームでは歓迎の大看板が出迎える
f:id:stationoffice:20180713004302j:image多くの列車が表示された電光掲示。流石は県下最大のターミナル
f:id:stationoffice:20180713004305j:image県下唯一の近鉄百貨店とホテルが隣接。行き交う人々も多い

・我こそ「紀勢線」"きのくに線"に非ず!市街地を囲む紀勢本線和歌山市支線

紀勢本線は和歌山に着いてもあと2駅先がある。和歌山市街地北端にある紀和(きわ)駅を経て、南海電鉄南海線ターミナル駅である和歌山市駅に至る支線がそれ。JR西日本管内の新宮〜和歌山間は「きのくに線」との愛称がつき、基本的にきのくに線と案内されているが、この区間きのくに線ではない。従って、和歌山駅において「紀勢線」とは御坊・紀伊田辺・新宮方面ではなく、和歌山市行きの短距離列車の名称として扱われているのは、なんとも興味深い。紀=紀伊はともかく、勢=伊勢にはかすりもしていないではないか。和歌山駅における「きのくに線」と「紀勢線」の関係は、関東でいえば黒磯駅の「宇都宮線」と「東北本線」の関係に近い。

かつての「紀勢線」は南海線と白浜や新宮を結ぶ観光列車が多数行き来し、幹線的な性格を持った区間であった。しかし現在は御坊方面との直通列車はなく、もっぱら和歌山〜和歌山市間のピストン列車が1時間1〜2本往復するのみ。車両も和歌山線と共通の105系ワンマン車の2両であり、和歌山駅のホームも和歌山線と共通なので、和歌山線の一部区間のような状況にある。この区間和歌山市役所などの中心部を経由して和歌山駅和歌山市駅を結ぶバスが10分間隔で頻発しており、1時間1〜2本の電車を選ぶ乗客は多くない。

f:id:stationoffice:20180713004759j:image県内で「紀勢線」を名乗るのはここだけだが、ナンバリングからも漏れた地味な存在
f:id:stationoffice:20180713004802j:image「きわ」は紀勢線の紀和、「たいのせ」は和歌山線の田井ノ瀬を指す
f:id:stationoffice:20180713004806j:image左は20:28発和歌山線王寺行き、右は20:16発紀勢線和歌山市行き

和歌山駅で最も改札から遠い8番ホームにやってきた和歌山市行きは、やはり105系の4扉・2両編成。和歌山市行きを待つ乗客は通学客が多い。JRであるために阪和線紀勢本線和歌山線とは運賃の通算が効くことから、運賃の安さにシビアな通学客は敢えて電車を選ぶのだろう。発車前には座席が埋まり、少々の立客も出る。全線乗っても7分なので、座ることに拘らない乗客もいるだろう。唯一の途中駅・紀和駅での乗降は殆どなく、ほぼ全員が和歌山駅←→和歌山市駅間の利用であった。

f:id:stationoffice:20180713005747j:image常磐線・千代田線直通用として生まれながらも遠く和歌山に落ち着いた。数奇な歴史を持つ105系
f:id:stationoffice:20180713005752j:image103系そのものの側面。初期車のため方向幕すらない。歴史を今に伝えるが置換が発表された
f:id:stationoffice:20180713005756j:image東京で10両編成を組み、地下鉄へ乗り入れていた頃の面影が残る

和歌山市駅でも南海線の片隅のような場所に到着し、迷路のような細い通路を辿って南海の改札口から外へ。かつて和歌山高島屋が入居していた大きな駅ビルは持て余し気味で、暗闇に浮かぶ大きな駅舎はどこか薄気味悪さを感じた。

1時間1〜2本の消極的ダイヤであっても思いのほか利用は多かった和歌山市支線。運賃が安いばかりでなく、時間が合いさえすればバスよりも速く(電車7分・バス11分)、メリットを感じる乗客も少なくないのだろう。和歌山市では、和歌山駅で接続する貴志川線をこの線に乗り入れさせるプランを温めており、市街を取り囲む半環状線ならではの秘めたるポテンシャルも感じないではなかった。

f:id:stationoffice:20180713010302j:image終点和歌山市。JR専用のホームだが様式は完全に南海流だ
f:id:stationoffice:20180713010310j:imageJR和歌山行きは"JR線"接続先もきのくに線でなく"紀勢本線"
f:id:stationoffice:20180713010306j:image南海線ホームからはなんば行きが頻発する

 

伊勢市を6:29に出てから約12時間。ようやく、いや本当にようやく、本日のお宿・和歌山市に到着。

f:id:stationoffice:20180713010614j:image遊休部の暗さが目立つ和歌山市駅高島屋跡が埋まる日は来るか

紀伊半島は大きく、大きく、本当に大きかった。

 

(つづく)

19.JR紀勢本線(新宮-紀伊田辺) -海とめはりと忍耐の紀州路- #和歌山

ガツン!「痛ぇ!」…腰骨を突く鈍痛に思わず声が出る。交換駅のポイントを渡る衝撃に揺さぶられ、腰がロングシート脇のパイプに激突。新宮を出て2時間以上、座り続けるが故の腰痛に加え、腰骨まで痛くなってきた。和歌山どころか紀伊田辺ですら、いつになったら着くのだろう…。

f:id:stationoffice:20180706203727j:image約3時間をワンマン電車の中で過ごす羽目に

紀勢本線のダイヤを読み解く

多気7:05→新宮10:21の普通で新宮駅に到着。特急くろしお20号新大阪行きが普通からの乗り継ぎ客を待っており、7分接続の10:28に出発していった。乗り換えれば和歌山に13:49、新大阪に14:50には着いてしまうが、こちらは11:25発の普通紀伊田辺行きを待つ。新宮〜紀伊田辺間は特急も普通も概ね2時間に1本で、合わせてようやく1時間に1本といったところ。新宮市の人口は約28,000人、県内では和歌山市に次ぐ都市の田辺市(紀伊田辺駅)でも72,000人なので、利用の実態、特に普通はローカル線そのもの。

f:id:stationoffice:20180706203923j:image特急くろしおが亀山発普通からの乗り継ぎを待つ

和歌山県大阪府境に接する県都和歌山市に県人口の40%、約350,000人が集中する一極集中型の分布であり、その和歌山市大阪市へのアクセスが良いため、大阪への依存度が高い。よって、和歌山県内の紀勢本線の乗客の動きとしては大きく和歌山を向くものの、全体としてはその先に控える大阪を向いており、和歌山・大阪双方への動きが重なっているような形だ。このため紀勢本線のダイヤもそれに沿う形となっており、新宮では普通2時間に1本程度だが、紀伊田辺から1時間に1本、御坊から1時間に2本となり、この状態で和歌山に到着する。和歌山からは1時間に4本となり、和歌山・大阪へ向かうほど本数が増え、遠ざかるほど本数が減る、典型的な先細りダイヤである。

大阪を頂点とする先細りダイヤに線路設備も従い、新宮を出るときは単線だが、白浜折り返しの特急や、始発の普通が加わって本数が増える紀伊田辺からは複線となり、増える列車を迎え入れる。

特急くろしおも普通列車の運転形態と似たようなもので、新宮では約2時間に1本(1日6本)であるが、白浜で倍以上に増えて約1時間に1本(1日15本)となり、さらに和歌山では通勤ライナー的な性格を持つ早朝の海南始発や和歌山始発の短距離列車を加え、日中約1時間に1本・朝夕ラッシュ時1時間に2本の1日18本が大阪へ向かう。阪和線に入った日根野からは、更に関西空港からの特急はるかが1時間に2本程度加わり、天王寺に到着する特急の本数は1時間に3〜4本を数える。特急街道というと北陸本線鹿児島本線がクローズアップされることが多いが、性格の違う特急が2系統合わさった結果とはいえ、1時間に3〜4本というとこれら有名どころに引けを取らず、あの近鉄大阪線名古屋線と同等の多さを誇る。阪和間は隠れた特急街道と言えるだろう。

新宮を出る普通の本数は、新宮以西の電化区間も、新宮以東の非電化区間も両方1日11本(途中駅までの短距離列車含む)。新宮以西は大阪からの特急のために電化されているとはいえ、普通列車に限れば非電化区間との利用者数の差はあまりない。

線路としては新宮から先も繋がってはいるが、電化・非電化の境目があることや、新宮を通り越す流動が少ない(名古屋発着の特急ワイドビュー南紀紀伊勝浦まで4往復中3往復が足を伸ばすのみ)ことなどから、実質的には和歌山方・津方どちらも新宮が終点のようになっている。そのため、記事中では新宮を境に、津・名古屋方のJR東海管轄の非電化区間を「紀勢東線」、和歌山・大阪方のJR西日本管轄の電化区間を「紀勢西線」と呼び分けることにする。

紀州名物めはり寿司を求めて

雨の新宮駅を出た。平日の午前中、しかも大雨のさなかとあって駅前に人影はなく、タクシーもわずかしか停まっていない。観光案内所でお弁当屋さんがないか聞いてみたが、駅前広場に面した店もこの大雨とあって閉めてしまったという。どうにも幸先の悪いスタートである。乗り継ぎ待ちの1時間とあっては熊野速玉大社や新宮城へ足を伸ばすわけにもいかず、とりあえず新宮駅近くにあるショッピングセンター、オークワ新宮仲之町店へ向かう。新宮駅近くにはオークワが2つあり、もう一つは新宮駅から真っ直ぐの駅前通りにある、その名も「新宮駅前店」であるが、こちらは普通のスーパーのよう。ただ、駅前店といっても徒歩4分とあり、駅の裏手に位置する仲之町店も徒歩5分だったので、より大きな仲之町店へ行くことにした。

線路に沿った商店街を歩く。新宮駅からオークワや新宮城への最短ルートとなっているせいか、小さな飲食店や雑貨店が軒を連ねる。中心部は駅の裏手にあたる国道沿いで、こちら側に市役所や裁判所が集まっている。人口27,000とはいえ裁判所まであるのは、紀南の中心都市たる所以であろう。人口の割に商店街が広く長く広がっている印象で、新宮市内のみならず近隣からの買い物客も多いと思われる。しかし平日の午前中にこの大雨とあっては、どこも閉まっているのは残念。

唯一口を開いていたのは弁当店。この調子では弁当の在庫があるかどうか怪しかったが、紀州名物めはり寿司のパックが複数並んでおり、迷わず購入。めはり寿司とは高菜の葉の浅漬けでおにぎりをくるんだもので、中のご飯も炊き込みだったり、酢飯だったりと、単純ながらバラエティに富む。その名は木材の産地であった紀州で、木工業の合間に簡便に食事を済ますべく、「眼を見張るほど大きい」ものであったことによるという。木材の産地、紀州ならではの産物と言えるだろう。その性質から、時間が経ってもパリパリの浅漬けの食感は保たれるので、列車の旅にはうってつけ。しかし残念なことに、新宮駅構内でめはり寿司はもはや買えず、こうした街中などで手に入れるしかない。駅弁の醍醐味はこうした地元の味を手軽に味わえる点にあったが、コンビニや惣菜店の台頭により、その衰退は顕著。新宮駅めはり寿司はかなり有名な駅弁であったが、それですらも撤退を余儀なくされたようだ。

f:id:stationoffice:20180706204117j:imageなんとか買えためはり寿司。高菜の食感が瑞々しい

・オークワと大内山牛乳と新宮駅の関係

めはり寿司を片手に紀勢本線の線路を踏切で渡ると、オークワ新宮仲之町店に辿り着いた。ただ、駅に最も近い側は裏口で、いきなり鞄売り場だった。やはり市役所や国道に向いた方が正面口のようだ。しかしその鞄売り場をはじめ、平日の午前中ながら買い物客がそこそこいた。中央部には吹き抜けがあり、エスカレーターがそれを取り囲むという現代的な意匠も感じられる。一階の食品売り場には特に多くの買い物客が行き交い、ショッピングカートが四方へ散ってゆく。

f:id:stationoffice:20180706204227j:image吹き抜けが印象的なオークワ新宮仲之町店

食品売り場を覗くと、牛乳コーナーに陳列されていたのは大量の大内山牛乳。そう、前回通った紀勢東線の普通停車駅、大内山の駅前にあったあの牛乳工場から来たもの。三重県内だけでなく、和歌山県内においても大手チェーンのオークワの流通に乗っていて、しかも脇にあるのではなくてメインの牛乳として広く棚を取っているのは驚きだ。ここでも三重県紀州和歌山県の繋がりの深さを感じる。それこそ、海沿いのわずかな平地に市街地が転々と連なる和歌山県内で、牧畜に適した土地は少ない。その点、盆地が広がる大内山では広く放牧地を確保でき、工場建設に要する土地もある。同じ地域内で産品を循環させている好例であり、牛乳の流通の在り方を見ればその地域の繋がりが見えてくる恒例でもある。牛乳は足が早いために長距離の輸送や保管が難しく、特に地場の牛乳はこうして地域内で消費される場合が多い。そうであるからこそ、牛乳の品揃えを見れば、その地域がどこへ繋がっているのかが容易に理解できるのだ。

f:id:stationoffice:20180706204332j:image陳列された大量の大内山牛乳

その大内山牛乳をはじめ、食料をいくつか購入。先述したように紀勢本線新宮駅ですら駅弁がなく、都市内のような駅ナカ・駅近コンビニも期待できないので、こうして余力があるうちに補給物資を仕入れておきたい。「仕入れられるうちに補給物資を仕入れておく」のは、長距離普通列車旅の鉄則である。

表口から新宮駅へ向かったが、やはり徒歩5分ほどで到着した。こうした大型スーパーが地方の駅、それも特急停車駅の近くに立地している例は、もはや珍しいといえる存在になってきている。かつては伊勢市駅前にジャスコや三交百貨店があったように、大きな駅の近くには大規模小売店が立地しているのは珍しくなかったが、モータリゼーションの深化によってそうした店舗は数を減らした。伊勢市でもジャスコはクルマでの来店を前提とした郊外へ移転し、三交百貨店は百貨店そのものの沈滞もあって閉店に追い込まれた。

しかし、そうした中で新宮のまちなかに大きなオークワがまだまだ頑張っているというのは、駅近くの小型店と、まちなかの大型店を両方維持し、来店しやすい環境を整えるといったオークワ自身の努力ももちろんであるが、紀伊半島の山々が海岸近くまで迫り、そのわずかな海岸沿いの平地にすべてが集中する紀伊半島ならではの地勢も関係しているだろう。結果として駅と大型店の距離も近く、現にオークワの袋を提げて新宮駅から普通紀伊田辺行きに乗り込む人も何人かいた。ローカル区間普通列車にとって、こうした駅近くの大型店の存在は大きい。結果、昼間の普通列車であっても買い物客の姿があり、「高校生専用列車」になることを防いでいる。普通列車の約2時間に1本という運転間隔も、結果的に買い物にはちょうどいいサイクルなのかもしれない。街に寄り添い、街とともに生きる鉄道と、オークワの姿がそこにあった。

f:id:stationoffice:20180706204429j:imageまちなかで頑張るオークワ。実に頼もしい存在だ

・「紀勢中線」区間を辿る

11:25、新宮発。紀勢本線普通紀伊田辺行き。普通紀伊田辺行きは2両編成に20人ほどの乗客を乗せ、新宮を出発した。その次の三輪崎、紀伊佐野といった1〜2駅の利用もあるあたり、普通列車が日常の足として機能している様子が窺える。駅と中心街が離れている場合は、駅に出るのも大変なのでこうした利用は少なく、「列車とは街の外に出て行くもの」という捉え方をされることも多いが、先の通り新宮駅はまちなかにも近く、紀勢本線はそうではないようだ。

f:id:stationoffice:20180706203700j:image新宮で発車を待つ普通紀伊田辺行き

新宮駅が中心街と近いのは、紀勢本線の歴史にも一因があるように思われる。紀勢本線のうち、紀勢西線の南端部にあたる新宮〜紀伊勝浦間(現在はすべてJR西日本管轄の電化区間)は、国鉄ではなく新宮鉄道という私鉄の手によって、1912年という紀勢本線のなかではかなり早い時期に開業した。新宮の街に川を下って集まってくる木材を、紀伊勝浦の港に運ぶために開業したものだ。村単位の飛び地として名高い和歌山県東牟婁郡北山村(村域すべてを奈良県三重県に囲まれる)など、新宮とその上流の村々は積出港と木材の産地として深い関係にあった。北山村が和歌山県へ属することになったのも、上流の木材の産地たる北山村と、下流の木材積出港たる新宮が別の県になるわけにはいかないという、北山村住民の請願が叶ったことによるもの。しかし明治以降の船舶の大型化によって新宮の港に大型船が接岸できなくなり、大型船が接岸できる紀伊勝浦までの輸送手段が必要になった。このため、紀勢東線の最初の区間より20年も早く鉄道が開通したのである。この経緯を持つため、木材の積出を容易にすべく、新宮の街の中心にきわめて近い場所に新宮駅が設けられたのではないだろうか。その歴史が、今日では「買い物にも便利な電車」であり続ける方向に作用しているのは僥倖。駅の数も紀勢中線区間はその他に比べてやや多く、乗車機会を増やしている。その代わり、時代が古いだけに急曲線が多く線路は低規格であり、105系はなかなかスピードを出せない。

f:id:stationoffice:20180706204723j:image波打ち際を走る

新宮から26分、紀伊勝浦には11:51に到着。ここで12分停車し、名古屋8:05発→紀伊勝浦11:56止まりの特急ワイドビュー南紀1号を待ち受ける。南紀1号の多気出発は9:24で、ここで2時間20分の差を詰められたことになる。途中には新宮での1時間待ちを含んでいるが、それを引いてもなお1時間以上特急の方が速いのは、特急の面目躍如といったところか。南紀が新宮を跨いで紀伊勝浦まで足を伸ばすのは、紀伊勝浦那智の滝勝浦温泉といった観光地の玄関口の機能を果たしているからで、普通紀伊田辺行きからも身軽な観光客が何人か降りていった。南紀からの乗り継ぎ客を10人ほど乗せて12:03に発車。

f:id:stationoffice:20180706204818j:image紀伊勝浦止まりの特急南紀を待ち受ける
f:id:stationoffice:20180706204814j:image2両ワンマンの普通に比べると特急は長い

本州最南端にして台風中継のメッカ・潮岬(しおみさき)最寄り、串本には12:50に到着。新宮から1時間25分かかった。ここからはやや向きを変え、北上を始める。「紀勢中線」として開業したのはここ串本まで。長距離路線だと「東線」「西線」、「南線」「北線」として部分開業し、全通後に路線名を統一する例は多いが、「中線」まで存在したのは紀勢本線が唯一の例。紀伊半島があまりに大きく、東西からだけでは建設が遅くなるためにこうなったようだ。その串本では1日2本だけ新宮からの折り返し列車があり、新宮を中心とした日常的な利用が串本くらいまで存在する様子が窺える。

f:id:stationoffice:20180706205407j:image本州最南端をPRする串本

f:id:stationoffice:20180706205003j:imageイルカ漁で有名な太地。駅の意匠でも名物をPR
f:id:stationoffice:20180706204959j:image手に取る距離に大海原が広がる

・忍耐の105系

新宮から2時間10分、串本から40分、13:36に周参見(すさみ)へ到着。周参見伊勢市からの所要時間が大阪経由と新宮経由で拮抗する地点にあたり、ここまで来るともはや伊勢の空気はない。ここで珍しいことに団体専用列車、サロンカーなにわとすれ違った。最後尾の展望客車、展望デッキにも人がおり、わずか2両のローカル列車との邂逅を楽しんでいるようだ。あちらは文字通りのサロンをはじめとした優雅な列車だが、こちらは無骨な4扉ロングシート国鉄型電車。あまりの環境の違いについ羨ましくなるが、今は見送ることしかできない。

f:id:stationoffice:20180706205159j:image周参見の駅構内いっぱいに停まるサロンカーなにわ
f:id:stationoffice:20180706205154j:image展望席が印象的だ

このあたりでいよいよ腰痛を感じるようになってきた。新宮からでも2時間以上、伊勢市からほぼずっとロングシートに揺られていると、同じ姿勢でいるからか、背骨に負担がかかるのだろう。しかも新宮からはそれまでの新型気動車キハ25でなく、経年40年以上の国鉄105系電車であり、金属ばね台車の乗り心地は良いとは言えない。単線区間ゆえ、駅ではポイントが連続するが、そのポイントレールに車輪が当たり、ギリギリと擦れる感覚が直に伝わってくる感じだ。しかも天気は相変わらず悪く、せっかく海沿いを巡る区間なのに海を見渡せないのは残念だ。もはや早く紀伊田辺に着かないものかと、残り30分を腰痛と戦いながら辛抱するしかなかった。

新宮から2時間38分で白浜に到着。パンダの繁殖で有名なアドベンチャーワールドをはじめ、白浜温泉も控える京阪神のリゾートとして名高い地である。それだけに大阪からの特急が半数以上折り返す、特急運行上の拠点駅であるが、あくまで観光客対応のためで、普通列車の乗客が多いわけではない。白浜折り返しの普通はなく、白浜からの上り普通は早朝1本の串本始発を除き、全て新宮始発。その数僅か1日9本と、紀勢本線の中でも普通列車の本数が極めて少ない区間にあたる。それでも紀伊田辺までの短距離利用か観光客が10人以上乗り込み、紀伊田辺までのラスト13分を彩る。

・いよいよ紀伊田辺

新宮から2時間51分を経て、久しぶりの市である田辺市の中心駅、紀伊田辺に14:16に到着。2両編成のワンマン電車とはいえ、いっぺんに乗客を降ろすと結構な人波になる。半数以上は改札口へ向かっていったが、20人程度は紀伊田辺始発普通御坊行きに乗り継ぐ。御坊行きもやはり2両編成だが、ここからは普通も1時間に1本に増え、単線だった線路も複線になる。だんだんと都会の空気が近づきつつあるようだ。

f:id:stationoffice:20180706205542j:image待ちに待った終点紀伊田辺。接続の普通御坊行きが待つ

 

(つづく)