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32.ANA羽田=那覇線ギャラクシーフライト(NH999) -航空の未来を占う羽田空港深夜便の素顔- #沖縄

無人島に行きましょう。ギャラクシーフライトで」

無人島。それを聞いて、何を連想するだろうか。心理テストに出てくるような、白い砂浜にヤシの木が1〜2本生えているだけの、小さい島。そんな所に辿り着いたら、何を思うことだろうか。そんな島での生活など困難を極めるだろうけど、「ちょっと行って帰ってこれる無人島」なんて、冒険心をくすぐってくれるではないか。

そして、そんな島へ「ギャラクシーフライト」なる飛行機で行くのだという。「銀河」「天の川」の名を冠したフライトなんて、なかなかロマンチックではないか。

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那覇到着はAM1:35! ANA"ギャラクシーフライト"とは

このブログにも何度か登場した沖縄通のO君。スケジュールとしては、金曜日の深夜便で羽田を発ち、翌・土曜日は朝から無人島へ。そして日曜日の最終便で羽田へ帰ってくるという、なんとも強行軍なもの。しかし、夏のうちに沖縄へ行きたいという思いが彼には強く、自分としても国内線の深夜便などという特異な存在に心惹かれるものがあった。

出発日は金曜日だったため、この日は自分もO君も仕事。通常運行便では羽田20:00発→那覇22:30着のANA(NH479)が最終。JALではさらに早く、羽田19:35発→那覇22:05着(JL925)が最終となる。ANA便に乗るにしても、チェックインを考えると遅くも都心を18:30頃には出発しなければならない。しかし、これに乗るには旅支度を会社へと持っていかなければならないし、沖縄にスラックス姿で降り立つのも観光気分が興ざめである。

そこで役に立つのが、夏休み期間にだけ運航する「ANAギャラクシーフライト」。2018年度は7/13〜8/31の運航で、羽田22:55発→那覇25:35着(NH999)・那覇3:35発→羽田5:55着(NH1000)という、下りは強烈に遅く、上りは強烈に早い設定である。

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東京から仕事終わりに沖縄へ直行できるのはもちろん、「下り便は国内各地から羽田への最終便に乗れば沖縄へその日のうちに行ける」「上り便は羽田から国内各地への始発に間に合う」こともセールスポイントとして挙げられていた。特に東北・北海道←→那覇は仙台と新千歳に1日1便が飛ぶのみで、選択肢が少ない。出発地によっては羽田をハブとする乗り継ぎが有効になるし、東京への飛行機が少ない南東北であっても新幹線に乗り継ぐことで、8〜9時頃には辿り着ける。羽田空港が文字通り日本のハブとして機能しているからこそ、ギャラクシーフライトのような便が成立すると言えるだろう。

しかし、羽田も那覇も24時間運用が可能にもかかわらず、ギャラクシーフライトでさえも季節運航の域を出ていない。「夏の沖縄」という国内最大のリゾート需要を背景にしないと、国内線の深夜便という特異な便は成立しないようだ。「仕事終わりに羽田へ直行、沖縄で思い切り遊んで翌朝そのまま羽田から出勤」なんて需要は結構あるのではないかと思うし、昨今の夜行バスの盛況を見るに、夜行そのものの需要が無いわけではないように思う。しかし、それが沖縄や北海道でも成立するかといえば、そこまでの需要量があるわけではないらしい。

・深夜便受け入れ態勢の不備

時刻の設定や深夜便の受け入れ態勢も、まだまだ不十分な点が目立つ。ANAは季節運航ゆえに1機でのシャトル運航となっており、本来であれば羽田の駐機場で滞泊する機体を使い、1機が羽田→那覇→羽田と1往復すれば済む運用になっている。このため、羽田発は理想よりも若干早く、羽田着が理想よりも若干遅くなるという結果になっている。2機使用にして上空で上下のギャラクシーフライトがすれ違う運用にすれば、時刻設定の問題は何とかなる。しかし、運航経費は2倍とまではいかないまでも嵩んでしまう。

上り便は那覇3:35→羽田5:55と、宿代がなんとか浮かせそうな設定ではあるものの、羽田からの始発電車には間に合わない(東京モノレール:5:11発区間快速浜松町行き、京急:5:23発エアポート急行印旛日本医大行き)。そして、ゆいレールの最終電車那覇空港23:58到着。ゆいレールで空港に着いても、3時間ほど待ち時間が生じてしまう。出発を若干早め、那覇1:00→羽田4:00着くらいの設定が望ましいところだ。

下り便も、羽田2:00発→那覇5:00着であれば、京急東京モノレールの最終電車羽田空港へ到着でき、翌朝は始発のモノレールやバスに乗って効率的に沖縄本島内を移動できる。しかし、羽田22:55→那覇1:35の設定では、遅くも21:30頃には東京都心を出発しなければならないし、那覇に着いてもホテルかネットカフェ、赤嶺駅前のマクドナルド等へ、ギャラクシーフライトの到着に向けて大量に空港へ集まってくるタクシーで移動せざるを得ない。宿代やネカフェ代が節約できるのは夜行のメリットなのだが、現行のギャラクシーフライトの設定では昼行と同様にかかってしまうのだ。

羽田へ向かう最終電車は、京急東京モノレールも羽田0:30頃到着であり、さしものギャラクシーフライトといえど最終電車では間に合わない。また、那覇空港からの公共交通機関は、那覇市内へのゆいレールも、本島北部の名護へ向かう111番高速バスも、6:00が始発。4時間ほど待ち時間が生じるうえ、ターミナル内での待機はできない。そして、24時間営業のレンタカーも沖縄では殆ど無く、ギャラクシーフライトで到着して夜のうちに出発!というわけには、なかなかいかない。

結果として、午前2時のターミナルビルから放り出されたら、大量に待機しているタクシーで那覇市街へ向かうしかない。このように、受け入れ態勢が整っているとは言い切れないものの、それでもこのユニークなフライトに乗ってみたい!という思いが強かった。ある意味、これからの国内航空を占うかのような存在でもある。かくして、僕とO君はその実態を確かめるべく、およそ半年ぶりに沖縄へ向かうことにした。

ただ、ANA以外にスカイマーク(SKY)も羽田─那覇の深夜便を運航しており、こちらは下りが羽田2:40発→那覇5:15着(BC527)、上りが那覇2:40→羽田4:55着(BC528)と、上空ですれ違う2機体制のため、理想に近い時刻で運航されている。上り下りどちらも公共交通機関の最終から搭乗でき、到着後の始発に間に合う設定で、夜行の概念に最も近いと言える。運航期間も7月から9月とANAより長い。その代わりに運賃はANAよりも若干高く、棲み分けがなされていると言えよう。

・ほぼ無人羽田空港第2ターミナル

さて、いくらギャラクシーフライトとはいえ、あまりギリギリに羽田へ向かうのは心中穏やかでないので、出発1時間前の22:00頃には保安検査場に到着しておいた。

f:id:stationoffice:20181004103316j:image殆どの施設がクローズされたターミナルビル

ラウンジ利用も最も長いところで21:30までとなっているため、ラウンジで出発を待つことはかなわない。

22時以降、羽田空港第2ターミナルからの出発便はこのANA999便だけで、第1ターミナルを含めても22:00発SFJ(スターフライヤー)93便北九州行き、22:55発SFJ95便北九州行き、そして前述の2:40発SKY527便那覇行きの4便しかない。こういった状況では保安検査場Aだけ、最低限の1ヶ所しか開いておらず、他のレーンは警備員ががっちりとガードしている。

f:id:stationoffice:20181004103349j:image残る第2ターミナルからの出発はANA999便だけ

f:id:stationoffice:20181004103352j:image第1ターミナルからはSFJ北九州行き、SKY那覇行きが残る

第2ターミナルからの出発便はANA999便しかないため、京急やモノレールから第2ターミナルへ流れてくる乗客も、必然的にANA999便の乗客ということになる。脇道への分岐点をことごとくブロックされているため、トイレ以外は保安検査場Aへ向かうほかなく、細いながらも乗客の流れができていた。

f:id:stationoffice:20181004103243j:imageここしか開いていないにも関わらず閑散とした保安検査場

つつがなく保安検査場Aを抜けると、Aにほど近い59番ゲートの前だけがロープで囲われた待合スペースとして解放されており、その他はやはりロープと警備員がガードしているという、少々風変わりな光景が広がっていた。59番の周りを除けば、掃除が行き届いた清潔なターミナルビルが、どこまでも広がっているばかり。照明は全部点いているし、空調も動いているのに、人の気配だけが綺麗さっぱり存在しない。まるで人類が突然地球から居なくなったかのようだ。

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言い換えれば、このANA999便以外に第2ターミナルからの出発はなく、ANA999便のためだけに第2ターミナルの設備が稼働しているという、何とも贅沢な状況。大阪や札幌、福岡といった大消費地を差し置いて、東京から最も遠い県である沖縄への便だけが残っているというのも、沖縄が置かれた環境の特異さを象徴している。

・満席で飛んだANA999便

機材繰りの関係か、出発が10分遅れる旨が案内されるも、もとより出発遅れを気にしている乗客などそういない。それよりも、空席待ちの案内状況がしきりに繰り返し放送されるあたり、「今日中に那覇へ着けるかもしれない」という一縷の望みをかける人が案外多いことに驚かされる。彼らは空席が無ければ羽田空港で夜を明かすほかないのだが、翌朝までどう過ごすつもりなのか。24時間解放されている国際線ターミナルのベンチにでも行くのか、それとも第2ターミナル隣接の羽田エクセルホテル東急でも既に抑えてあるのか、或いはこれから抑えるのか。

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しかしながら彼らの望みも虚しく、キャンセルは出なかった。キャンセルを待っていた8人ほどの旅人は、果たしてどこへ向かったのかはわからない。いずれにせよ、おおらかにして、何と無鉄砲な旅だろう。そんな旅人が一人でなく何人もいるのは、やはり沖縄ならでは。

そうこうしているうち、定刻22:55→繰り下げ後23:05の15分前、22:50頃には優先搭乗が始まった。旅行客ばかりかと思ったら、意外にもスラックス姿の出張帰りと思しき乗客の姿もある。疲れた顔で東京ばな奈の袋を提げ、一人で淡々と飛行機を待っているあたり、「仕事帰りに沖縄へ直行!」という浮ついた気持ちは感じられない。何も観光需要ばかりでなく、この時期限定の最終繰り下げ便という側面もあるわけで、「普段は懇親会までいられないけど、ギャラクシーフライトがある時期なら一次会なら参加できる」という人もいるだろう。那覇空港からの帰宅の足も、クルマ社会の沖縄であれば自分で運転して帰るか、家族に迎えに来てもらうなどは容易い。ギャラクシーフライトの新たな一面を見た。

f:id:stationoffice:20181004103118j:image誰もいないターミナルビル

しかし機内に入れば、そこはもうリゾートの空気。大学生グループはテンションMAXだし、家族連れの子どもの顔は晴れやかだ。はじめての飛行機におっかなびっくりなのか、離陸を前に不安な顔をしている子どもの顔もあるが。深夜便とはいえ、小さい子連れの姿もあるのは、現代の特徴なんだろう。23時過ぎなど、一昔前であれば、とっくに子どもはおやすみの時間である。

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「お待たせ致しました。お飲み物はいかがでしょうか」

深夜便であっても、ドリンクサービスは提供される。JTAだったらさんぴん茶があるらしいが、メニューは一般便と変わらない。ここはANA自慢のアイスコーヒーにしておこうか。うーん、酸味が喉に抜けてさわやか。まだまだ先は長く、寝てしまうわけにはいかない。

流石にドリンクサービスが終わると0時過ぎということもあり、眠りに落ちる乗客もちらほら。その雰囲気に合わせるかのように、減光がなされた。長くても3時間程度な上、運行時間帯が深夜になる便も限られる国内線での減光は、かなり珍しいのではないだろうか。通路付近のみ明るい間接照明が照らしているので、客席のあたりは暗くなっている。眠りを妨げない、じつに優しい光り方だ。LEDが一般的となり、調光がしやすくなったというのも、この快適な機内環境に寄与しているだろう。

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・静まり返っていた那覇空港

ドリンクサービスから約一時間で降機体制に入った。眠りに落ちていた乗客も目を覚まし、シートベルトを締める。しかしながら、先ほどまで眠りに落ちていたとは思えないほど、乗客の顔は晴れ晴れとしているのは、やはり沖縄への期待感がなせるものだろう。一度は眠りこけていた大学生グループも、またテンションMAXに戻っている。

そして1:45、定刻から10分遅れのまま那覇空港へランディング。もうこの時間では到着便が重なるはずもなく、静々とボーディングブリッジへ向かっていく。

f:id:stationoffice:20181004095835j:image羽を休めたANA999便。折り返し準備が早速始まる

那覇空港は到着フロアと出発フロアが同じで、南国らしくとても天井の高い開放感のあるつくりが印象的であるが、こうも遅い時間ではANA999便を迎えるだけ。一部の観光客は写真を撮ったりして沖縄の雰囲気に浸っているが、大多数は感慨もそこそこに到着フロアへ向かっていく。ANA999便は折り返し那覇空港3:35発ANA1000便となって折り返すが、ゲート前のベンチには早くも搭乗を待つ客の姿がちらほらある。最終のゆいレールで来たのであれば到着は23:58であり、この時点で既に一時間半ほど待っていることになる。搭乗まではもう一時間半ほどあり、彼らにとっては我慢我慢のフライトである。

f:id:stationoffice:20181004105211j:image開放感のある那覇空港ゲート前
f:id:stationoffice:20181004105218j:image深夜便の出発が控えている
f:id:stationoffice:20181004105216j:imageこの時間では羽田発のモノレール・京急の券売機の電源が落とされていた

f:id:stationoffice:20181004105307j:imageこの言葉を見ると沖縄に来た気がするというもの

f:id:stationoffice:20181004182610j:image美ら海水族館から出張してきた魚たちも眠りに就いていた
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・深夜のタクシー大行列とモラルの高さ

流れに乗ってターミナルビルを出ると、そこには何十台、いや百台は超えるタクシーが大挙して待っていた。ターミナルビル前の道路は停車レーンを含めて3車線あるが、殆どがタクシーで埋まっており、自家用車による送迎はごく少ないよう。大半は県外からの観光客のようだ。

那覇市内などの近距離と、那覇市外への遠距離で乗車位置を分け、それぞれに列を作らせる誘導になっているのは好ましい。自分は那覇市内のホテルへ向かうので近距離の列に並ぶ。何十人が列を作っていたのでかなりの待ちを覚悟したが、10分ほどで乗車できた。f:id:stationoffice:20181004105309j:image
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ただ、マナーの悪い観光客というものはどこにでもいるもので、タクシーの待機列に並ばず、車線と車線の間にスーツケースをいくつも並べて障害物を作り、びゅんびゅん通り過ぎてゆくタクシーを強引に止めて乗ろうとする者がいた。あまりに危険かつ非常識な行為であり、注意しに行く側も危険な状況だったために、タクシー整理員の注意が入ることもなかったが、ただ一台のタクシーも扉を開けることは無かった。最終的にその者は別に待機列に並んでいた同行者に呼び戻され、結果的に順番通りの待ち時間を経てタクシーに乗っていた。

どの空車タクシーもちゃんと車列に並び、通り過ぎてゆくタクシーは賃走か回送だけ。あのような横入りを許すことは観光客のモラル・マナーの低下に繋がり、観光客同士でのタクシー呼び止め合戦に発展しかねない。そうしたマナーの悪い観光客を乗せないことでルールを守らせ、ちゃんと列に並んでいた観光客に悪い印象を残さない。そうした積み重ねが沖縄ブランドを守っているのだ。沖縄のタクシーの高いモラルと、古くからの観光立県である沖縄の歴史を感じさせてくれる出来事であった。

順番が来てタクシーに乗ると、流れに乗って猛烈な勢いで市内へと飛ばした。こんな深夜では走っていないが、ゆいレールの60km/hなど比較にならない勢いだ。タクシーだけが飛ばしているのではなく、周り中がこの勢い。深夜で車が少ないからこそ飛ばせるのだろうが、クルマ社会ならではの現象とも思う。

明治橋国場川を渡ると、もう那覇都心部。空港からホテルまで10分程度で着いてしまった。夜中のホテル前に自分らを降ろすと、やはり猛烈な勢いで空港へと戻ってゆく。これは何も乗客へのサービスという側面だけではなく、寧ろ少しでも早く乗客を市内へ送り届け、少しでも早く空港へ戻ることが、一人でも多くの乗客を獲得することに繋がっているのだろう。上手くすれば3ターンはできるかもしれない。

 

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時は午前2時。タクシーが去った旭橋駅前は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 

(つづく)

31.西鉄貝塚線(2) -残された11.0kmの鉄路が向かう先- #福岡

西鉄新宮駅に佇む車止め。この先へと続き、福岡のベッドタウンを走っていたはずの電車は、本当に廃線にならなければならなかったのだろうか。よそ者の自分には、よくわからない。

f:id:stationoffice:20180927091828j:imageかつて津屋崎へと続いていた線路

 

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・地下鉄/JRとの連携に徹する西鉄貝塚線

大混雑の鹿児島本線快速門司港行きを千早で降り、高架下で隣接する西鉄千早駅へ向かう。両者の改札口は隣同士で、全く雨に濡れることなく乗り換えができる。慣れていれば2分もあれば乗り換えられる近さだろう。同じように、快速門司港行きから降りた人が西鉄千早の改札口を通っていく流れもある。快速門司港行きからは30人ほどが西鉄へ向かっただろうか。

f:id:stationoffice:20180925011912j:imageエスカレーター完備の高架駅。地下鉄直通用のホーム延伸準備もある
f:id:stationoffice:20180925011909j:image JRと同一駅だが「西鉄」がつく

f:id:stationoffice:20180925012034j:image上り貝塚行きが到着。20人ほどが乗った

JR→西鉄への流れがそこそこあったので、下り新宮方面への帰宅の流れの方が強いかと思ったが、意外と貝塚行きへの流れもあり、ほぼ拮抗していた。千早から貝塚へは僅か2駅で終点なので、貝塚行きに乗った乗客はほぼ地下鉄箱崎線への乗り継ぎ利用と見ていいだろう。地下鉄は6両編成・7〜8分間隔、西鉄は2両編成・15分間隔と輸送力にだいぶ開きがあるが、地下鉄・西鉄は一体的な利用がなされていることがよくわかる。

考えてみれば、JRも平均10分間隔程度での運行であり、15分程度運転間隔が開くこともざらにある。そうした状況であれば、JRと西鉄の本数の差はさほどでもなく、天神方面へは西鉄博多駅方面へはJRと使い分けがなされている状況と言えよう。

f:id:stationoffice:20180925012114j:image下り西鉄新宮行きが到着。上り貝塚行きはすぐに扉を閉めて出発
f:id:stationoffice:20180925012116j:image下り西鉄新宮行きの降車は少ない。JRからの乗換客を乗せて出発

下り西鉄新宮行きが到着しても降車はさほどでもなく、乗車が殆ど。ドア付近に立客がそこそこいるという状況で、西鉄千早を出発。夕ラッシュでもデータイムと同じ15分間隔なので、JRの快速ほどではないにせよ、なかなか混雑している。乗車率は100%を超えている。

高架駅ながら単式1面1線の香椎宮前(かしいみやまえ)はさほど乗降なし。「香椎宮前、宮前です」という略し方が独特だ。

f:id:stationoffice:20180925012251p:image単式1面1線の高架駅となった香椎宮前

駅名にもある香椎宮はここから徒歩10分だが、香椎宮自体はJR香椎線香椎神宮駅の方が徒歩3分と近い(『香椎神宮』は本来であれば誤記らしいが)。香椎宮前駅近くの国道3号にも「香椎参道口」交差点があり、香椎宮前駅もこの香椎参道に面している。古くからの参拝路だったことが窺える。駅間距離も短く、手前の西鉄千早からは0.5km、次の西鉄香椎へは0.6kmしかない。香椎宮前駅の開業は1959年と、開通から25年も経った後で、香椎宮参拝の便を図って開設されたものであろう。開業当初の蒸気機関車列車と違い、この時代には発進・停止が容易な電車になっていたことも、この短距離に駅が追加された要因であろうと思う。

次の西鉄香椎は千早と違い、JRとは少し離れているため乗り換えにはあまり適さないが、それでも千早と同じくらいの乗降がある。古くからの東区の中心地であり、乗降客自体が多いのだろう。

f:id:stationoffice:20180925012509p:imageマンションに囲まれた西鉄香椎。地下鉄直通に備えホーム延伸のスペースが確保されている

西鉄香椎でも上り貝塚行きと交換。西鉄千早西鉄香椎は高架化されており、地下鉄の乗り入れに対応した構造になっているが、西鉄香椎を出ると昔ながらの地平の線路になる。

f:id:stationoffice:20180925012906p:image西鉄香椎の先で地平に降りる。西鉄香椎まではマンションが多い

次の香椎花園前(かしいかえんまえ)はその名の通り、西鉄グループが運営する「かしいかえん」の目の前にあり、小さな遊園地が駅前に広がっている。しかし夕方とあっては遊園地で遊ぶ子供の姿はなく、むしろ駅近くにある福岡県立香住丘高校の下校の生徒がホームを埋めていた。

f:id:stationoffice:20180925013059p:image高校生が多く待つ香椎花園前。かつての2番線ホームは撤去された
f:id:stationoffice:20180925013053p:image輝きを失った線路が姿を留める

線路は2本あるが、2番線は西鉄新宮〜津屋崎間部分廃止・減便の際に使用停止となっており、ホームこそ撤去されたものの、錆びついた線路が残っているのが痛々しい。ホームを埋める高校生たちが発するエネルギッシュな空気から、2番線だけがぽっかりと取り残されてしまっている。せめて何とか有効利用できないものだろうか。

香椎花園前の次は唐の原(とうのはる)。ここでも上り貝塚行きと交換。この辺りまで来ると天神から30分ほどとなり、駅前でも中低層のマンションか戸建が中心の街並みになってくる。貝塚、千早から乗った帰宅客もだんだんと減ってきて、車内には余裕がでてきた。

f:id:stationoffice:20180925013232j:image全線単線ながら2駅毎に交換列車があるため密度はかなり高い

f:id:stationoffice:20180925013415p:image中低層マンションや団地に囲まれた唐の原

f:id:stationoffice:20180925013620p:image唐の原和白香椎線のキハ47とすれ違った

唐の原を出るとJR香椎線と並んで走るようになり、しばらく並走したところで次の和白。かつて同じ会社の路線であったJR香椎線と接続する。しかし貝塚線が15分間隔なのに対し、香椎線は20〜30分間隔と運転間隔が揃っておらず、特に接続が図られているわけではない。

f:id:stationoffice:20180925013626p:imageマンションに囲まれた和白。左に香椎線のキハ47が見えている

もっとも、和白での接続が有効に機能し得るのは香椎線西戸崎方面←→貝塚線貝塚(天神)方面くらいで、そもそもの需要がそれほどない。それに、その区間はすべて西鉄バスが並行しており、わざわざJR・西鉄・地下鉄の3社の運賃を払う人も少ないだろう。ただ、和白の乗降客数は西鉄が約2,000人に対してJRは本数が少ないにもかかわらず3,000人いる。JRなら香椎で乗り換えれば、博多駅までJRの運賃のみで安く行けるが、天神方面なら西鉄バスだと乗り換えなし。天神方面へは時間に正確な貝塚線と、乗り換えなしの西鉄バスに分かれることが、貝塚線の乗降客数がJRよりも少ない要因であろう。

次の三苫は福岡市最北の駅で、かつての区間列車の折り返し駅。かつて2番線は折り返し列車専用ホームであったが、部分廃止時に上り列車用ホームに変更された。JRとも離れているので、多くの乗客がここで降りる。三苫で最後の行き違いをし、西鉄新宮まで最後の1駅間を走る。

f:id:stationoffice:20180925013932p:image中低層マンションに囲まれる三苫

貝塚から25分、天神からは乗り換え時間含め約40分で終点・西鉄新宮。ここまで残ったのは10人ほどであった。ただ、この1駅間のみ福岡市を外れるため、地下鉄箱崎線との乗り継ぎ割引が適用されない。そのため、例えば天神から三苫までだと470円なのに対し、西鉄新宮まで乗ると530円と、一気に60円も上がる。

西鉄新宮から先、かつて津屋崎へと続いていた線路敷は代替バスが発着するバスターミナルに代わり、その先は宅地開発された。駅に対してやけに新しい終端部のフェンスと、新しいバスターミナルの施設だけが、この駅が終点になってまだ日が浅いことを静かに物語っている。

f:id:stationoffice:20180926013336j:image部分廃止後の終点となった西鉄新宮。新宮町の離島「相島」は島民280人とネコ160匹が暮らす"ネコの島"として知られる
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f:id:stationoffice:20180926013332j:image終端部。道路を跨いだ先はバスターミナル、更に先は宅地となった
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f:id:stationoffice:20180926013326j:image発車を待つ折り返し貝塚行き

代替バス廃線区間のその後

かつて西鉄新宮以遠は日中でも13分間隔で電車が走っていたが、代替となる西鉄バス【5】津屋崎新宮線(西鉄新宮駅〜津屋崎橋)の運転は概ね30分間隔。この代替バスも線路跡を忠実に辿るのではなく、旧西鉄福間駅は経由せず、JR福間駅を経由して津屋崎へ向かうように経路が変更された。このため、鉄道時代は西鉄新宮〜津屋崎間を22分で結んでいたが、代替バスは40分となり、大幅に時間がかかるようになった。

とはいえ、現状で津屋崎から西鉄新宮に出て貝塚線に乗り継ぐ乗客がそんなに多いとは思えず、天神にしろ博多駅にしろ、多くはJR福間駅から鹿児島本線に乗るだろう。そう思えば、この代替バスは津屋崎〜JR福間駅・JR福間駅西鉄新宮駅の役割の違う2系統をまとめただけに過ぎず、それに宮地岳線代替の機能を兼ねさせているだけとも言える。

このようなケースでは、補助金等の兼ね合いで鉄道ルートからの現状に即した逸脱(この場合はJR福間駅に立ち寄るルートへの変更)が許されず、あくまで鉄道代替に拘ってルートが硬直化し、住民の利便性が置き去りになるといった例がある。しかし、宮地岳線の場合は鉄道も代替バスも同じ西鉄による運営のためか、このあたりの扱いはかなり柔軟になされている。

このため、JRからやや離れている津屋崎・宮地岳の両駅からはJR福間駅へのバスが充実し、それ以外の各駅は鹿児島本線の代替駅が開業したことで、かなりの面でフォローがなされたと言えるのは、評価すべき点であろう。時代遅れと化した西鉄がいつまでも残るより、体質改善が進むJRへ移行してくれた方が良い、という住民も多かったはずだ。

しかしながら、廃線区間にあたる糟屋郡新宮町、古賀市福津市はいずれも人口が増加し続けている地域であり、このような地域と福岡市内を結ぶ鉄道でありながら宮地岳線廃線になってしまったというのは、やはり社会的な損失と言わざるを得ない。大都市圏内に含まれ、日中でも毎時4〜5本電車が走っていたところがいきなり廃線になるというのは、全国的にも珍しい事例と言えよう。

特に古賀市JR九州発足前後、鹿児島本線のテコ入れが進み始めたあたりからの人口増加が著しく、JR九州発足前の1985年に約41,000人だった人口が、2015年には約58,000人まで増加している。この間の1997年には人口増加に伴い、糟屋郡古賀町が単独市制施行を果たしている。寧ろ平成の大合併では動きがなく、この時期の単独市制施行は古賀市の伸びを象徴する出来事であり、特筆すべき動きと言える。

福津市も1985年に47,000人だったのが2015年に58,000人に増加。こちらも市制施行を経ているが、これは平成の大合併に伴うもので、2005年に宗像郡福間町と宗像郡津屋崎町が合併して福津市となった。2007年の宮地岳線廃線後、2010→2015年の5年で3,000人の増加を見ており、宮地岳線廃線が人口増の流れに何ら影響を及ぼさなかったのは、廃線後に人口が増えていることからも明らかである。

ただ、鹿児島本線は前回紹介したように混雑が激しい。特急、貨物列車と線路を共用する関係上、快速・普通の増発が難しいという側面もあるのだが、9〜12両編成の快速が走っていながら、それでも激しい混雑に見舞われている。隣を走る宮地岳線廃線になったことでその分の乗客を受け入れ、かつ沿線の人口が増え続けているのだから、混雑しないわけがないのだ。

そして、その貝塚線も最近では利用者が増加傾向にある。1992年に貝塚─津屋崎間全線で33,000人の利用者数を記録したのをピークに、部分廃止前の2006年には19,000人まで減少。部分廃止後の2007年には16,000人となったが(つまり全線の半分近くが廃線になっても16%減にしかならなかった)、2015年には20,000人にまで増加し、部分廃止前の水準以上になっている。

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f:id:stationoffice:20180926012829j:image福岡市の統計より。箱崎線は開通以来ほぼ一貫して利用者が増加傾向にある。貝塚線利用者も部分廃止後の2007年からほぼ一貫して増加傾向にあり、既に部分廃止前の利用者数を上回っている。また、その中でも貝塚西鉄香椎間の利用増が著しいことがわかる。

この結果、2017年度の混雑率は152%(名島→貝塚)と、近畿圏(阪急神戸線:147% 神崎川→十三)や中京圏(名鉄名古屋本線:143% 神宮前→金山・栄生→名鉄名古屋)を抑え、首都圏以外ではワースト1の混雑率となってしまっているのだ。ちなみに前年の2016年度は148%であり、1年で4%も悪化しているというのも、千早をはじめとした沿線の発展ぶりを窺わせる。加えて、部分廃止前よりも多くの乗客が、部分廃止で短くなった路線に乗っているのだから、貝塚口の密度は相当なものになっているだろう。

しかし、この混雑は部分廃止時に行われた6〜7→10分間隔への減便と、3→2両編成への減車が主因といえ、もはや部分廃止前よりも乗客が多い現在においては、混雑を放置していると言わざるを得ない。仮に部分廃止前のダイヤ・編成に戻したとすれば、少なくとも他の福岡近郊路線(西鉄天神大牟田線 西鉄平尾薬院:136%、地下鉄空港線 大濠公園→赤坂:136%)と同等かそれ以下に落ち着く程度ではある。

現状では香椎花園前駅の交換設備が使用停止となっているため、ここがネックとなって10分間隔以上への増発ができない。しかし、関西圏・中京圏をも凌ぐ152%の混雑率を放置していいとは思えない。

西鉄香椎までの暫定直通をすべきでは

さて、貝塚線の混雑緩和ならびに利便性向上策を考えたとき、どうするのが一番良いのかを考えると、「地下鉄車両の西鉄香椎までの直通運転」ではないかと思う。「地下鉄←→貝塚←→西鉄香椎」の直通電車と「西鉄香椎←→西鉄新宮」の区間列車が、西鉄香椎で接続するといったイメージだ。

直通運転に際しての最大の課題は、貝塚線箱崎線の輸送力に大きな開きがある点。貝塚線は2両編成なのに対し、箱崎線は6両。単純比較で3倍である。混雑緩和だけを解決するならば、貝塚線を3両編成に増強すれば混雑率は100%程度に落ち着く計算にはなるが、それだと末端区間の輸送力が過大になってしまう。

現在の貝塚線の混雑は千早の開発に伴うもので、貝塚口に偏っていると言える。香椎宮前西鉄新宮の乗降客数は、部分廃止後は概ね横ばいか微増で推移しているのに対し、千早は3,100人→5,700人、名島1,600人→2,900人と大きな伸びを見せている。従って、混雑緩和策は全線でなく千早近辺に重点的に手を打てば、小さな投資で効果を挙げられると言える。

そして、西鉄千早西鉄香椎間の連続立体交差化が2006年に完了しており、この際に地下鉄車両の6両編成が乗り入れるためのホーム延伸スペースが確保されている。これを活用しない手はないだろう。

従って、現在の貝塚線の混雑が貝塚近辺に偏っていること、および地下鉄直通のためのホーム延伸が準備されていることの2点を踏まえると、地下鉄車両の6両編成を西鉄香椎まで直通させ、西鉄香椎で2両編成の線内折り返し列車にホーム対面で接続とするのがベターではないかと思う。西鉄香椎のホームは島式1面2線であり、接続を取るには適した構造になっているのも好ましい点だ。

こうすることで、貝塚西鉄千早の混雑緩和になるばかりでなく、地下鉄箱崎線〜千早・香椎という線内で最も多くの需要を持つ旅客動向に合わせた運転系統になる。ただ、全線直通ではないため、香椎花園前西鉄新宮間の利用者にとっては、乗り換え地点が貝塚から西鉄香椎へとずれるだけになってしまうが、それでも貝塚西鉄香椎の混雑緩和、および乗り換え距離の短縮(最短60m→3m程度)というメリットは享受できる。

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f:id:stationoffice:20180926013059j:image貝塚駅で向き合う西鉄改札と地下鉄改札。双方は60m離れており、着席のために走る人もいて危ない場面も見受けられる

現行案では、地下鉄が4両、西鉄が2両の直通用車両を用意し、貝塚で分割併合。地下鉄線内は6両、西鉄線内は貝塚で4両を切り離して2両の運転とすることで、西鉄側のホーム延伸をはじめとした設備投資を極力抑制する案となっている。事業費として50億円が見込まれている。

貝塚駅で連結・分離の新案、福岡市営地下鉄・西鉄直通運転計画 : お出かけ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

メリットとしては西鉄側の設備投資が抑えられ、また西鉄新宮までの全線直通が可能なこと、および現行の箱崎線空港線直通電車と同じく西新・姪浜までの直通運転が可能で、中洲川端止まりでなく天神まで乗り換え無しのダイヤを維持できる、といったことが挙げられる。しかし、車両数は増えないため、千早→貝塚の混雑が解消できないのはデメリットである。直通運転による乗り換え解消・時間短縮による誘客効果も見込めるだけに、この案では千早→貝塚の混雑がさらに悪化する懸念がある。折衷案として2+4両ではなく3+3両とする案も考えられなくないが、今度は混雑が酷いとは言えない新宮寄りの末端区間までホーム延伸が必要になる上、日中は輸送力が過大になってしまう。

また、それまで検討されていた案としては、地下鉄・西鉄がそれぞれ3両編成を用意し、直通電車は3両、箱崎線内折り返し列車は6両とするもの。3両編成では地下鉄線内の混雑に対応できないため、天神に折り返し設備を新設するとしていた。

しかし、貝塚線直通と箱崎線内折り返し列車の混雑率の差が甚だしくなるのは目に見えている上、ラッシュ時は3両編成が空港線内に割り込めないために中洲川端止まりとなる可能性が高く、現行の貝塚乗り換えが中洲川端乗り換えに移るだけとなる公算が強かった。また、繁華街の天神に折り返し設備をわざわざ新設するため、事業費も250億円と高額であった。

この点、西鉄香椎までの直通運転とすれば、ホーム延伸はすでにスペースが確保されている名島・西鉄千早香椎宮前西鉄香椎のみで済み、編成も6両となるので千早→貝塚の混雑緩和にも寄与する。西鉄側で用意すべき直通運転用車両は6両編成×3本程度と見込まれ、この案であれば分割併合などの特殊装備も必要ないため、福岡市地下鉄と同じ車両を導入すれば良い。些細に検討したわけではないが、おそらく現行案とそう事業費が変わることはないだろう。

問題としては、並行して走る都心直通のバスを走らせている西鉄の同意をいかにして得るかに尽きる。先述したように、貝塚線利用者と比べてバス利用者は倍近い運賃を西鉄に払ってくれるわけで、そのバスの乗客を奪う提案に、西鉄がやすやすと乗ってくれるとは思えない。

しかし、ここで取り上げなくてはならないのが、バス運転士の慢性的な不足という問題。当の西鉄も、運転士不足を理由としてバスの本数の増発どころか維持ができず、福岡都心でも深夜帯の減便や、渡辺通りなど複数系統が束になる区間の減便などが断行されている。

f:id:stationoffice:20180926010750j:image渡辺通幹線バス」の概要。周辺部から路線が集まる西鉄大橋駅を乗り継ぎ拠点とし、各系統が輻輳していた大橋〜天神間を合理化している。福岡でもバス→バスor電車乗り継ぎのスタイルが始まりつつある

今までは「西鉄バスが運びきれない乗客を貝塚線がフォローしている」体制といっても過言では無かったが、昨今のバス運転士不足という情勢を鑑みると、地下鉄・貝塚線に並行するバス路線についても、その維持は容易ではないだろう。箱崎線貝塚線という既存インフラがありながら、並行する西鉄バスの存在のために、鉄道はその機能を満足に果たせていない。幹線的輸送は鉄道に任せ、バスは鉄道が行き届かない地域や、鉄道では乗り換えが避けられない路線などに注力してゆくべきではないだろうか。

天神直通のバスが当たり前であった渡辺通りのバスですら西鉄大橋駅乗り継ぎに改められたという出来事は、西鉄バスの在り方の大転換を象徴している。貝塚線もそれに続くと考えるのは、早計だろうか。

 

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f:id:stationoffice:20180926142009j:image隣に地下鉄の駅名が加えられる日は来るか

貝塚駅で足早に西鉄と地下鉄の改札口を行き来する人の波を見ていると、貝塚線が北九州まで繋がっていれば、こんなことにはなっていなかったのになあ…と、天神大牟田線との生まれの違いから来る不遇ぶりを思わずにはいられなかった。

傍流の存在が生きながらえるのは、人も鉄道もなかなか難しい。


f:id:stationoffice:20180926142014j:image三方への流れが交錯する中洲川端の乗り換えはとても混雑する
f:id:stationoffice:20180926141938j:image博多方面→貝塚方面への流れも多い
f:id:stationoffice:20180926142004j:image福岡空港へのメインアクセスはやはり便利な地下鉄
f:id:stationoffice:20180926141853p:imageさらば九州

(西九州編 おわり)

30.西鉄貝塚線 -時代に翻弄され続けた"バスを補完する鉄道"- #福岡

貝塚駅の車止めを介して向き合う西鉄と地下鉄。素人目には直通運転しないのがおかしいくらいなのだが、そこには時代に翻弄され続けた西鉄貝塚線の歴史が影を落としている。

f:id:stationoffice:20180917150759p:image貝塚駅に到着する西鉄の前面から。右側には地下鉄の電車が待っているのが見え、地下鉄のレールも西鉄側に向かって伸びているが繋がっていない。1986年の地下鉄開通以来足踏みが続いている

 

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・他の西鉄各線と"違う"…西鉄貝塚線

西鉄貝塚線福岡市地下鉄箱崎線の終点である貝塚(福岡市東区)を起点とし、東区の海側を縦断、福岡市から1駅外れた西鉄新宮(糟屋郡新宮町)を終点とする、全線11.0kmの短距離路線。起点の貝塚で地下鉄箱崎線と接続するほか、西鉄千早でJR鹿児島本線(JRは千早駅)、和白でJR香椎線と接続があり、短距離ながら接続路線が多いという都市型の特徴を持つ。

f:id:stationoffice:20180905143644j:plain赤色:西鉄貝塚線(営業中区間) 灰色:西鉄宮地岳線(廃線区間) 青色:福岡市地下鉄箱崎線 新博多(千鳥橋)─貝塚間は1979年廃止、西鉄新宮─津屋崎間は2007年廃止。地下鉄箱崎線全通は1986年。両端区間が廃止された現在は貝塚西鉄新宮間11.0kmのみの営業。新博多(千鳥橋)─貝塚間および地下鉄は一部の駅のみ記載。Google Mapに加筆。駅/路線の位置は正確なものではありません

しかしながら、この貝塚線はかなり癖の強い路線だ。まず、西鉄の本線である天神大牟田線をはじめ他の西鉄各線との接続はなく、孤立した路線であること。西鉄各線の軌間が1,435mm(標準軌)であるのに対し、貝塚線のみはJRと同じ1,067mm(狭軌)であること。起点の貝塚で接続する福岡市地下鉄箱崎線との直通運転が準備されながら、1986年の箱崎線全通から一向に進展がないこと。それどころか、2007年に全線の半分近い西鉄新宮─津屋崎(つやざき、福岡県福津市)間9.9kmが廃止されるという憂き目に遭っている。

f:id:stationoffice:20180905050310j:image貝塚駅停車中の地下鉄箱崎線。終点からも線路が若干延びており、車止めを外せばすぐ西鉄の線路と接続できるよう準備がなされている。しかし30年以上経っても直通は実現していない

その他にも、専用の新車が全く導入されず車両はすべて天神大牟田線の旧型車で賄われていること、SFカード(ストアードフェアカード。関東でいうイオカードパスネット)が最後まで導入されなかったこと(西鉄ICカードnimoca天神大牟田線にやや遅れて導入された)など、貝塚線は本線である天神大牟田線に比べ、冷や飯を食わされてきた側面が大きい。

同じ福岡市内に乗り入れる西鉄電車なのになぜここまで扱いに差があるのかといえば、それは貝塚線の出自が天神大牟田線系統と違うことに端を発しているのではないかと思う。

しかしながら、貝塚線にはかつて筑豊方面への延伸計画があり、福岡市─北九州市を結ぶ幹線に発展したかもしれなかった。現在は福岡市の片隅で小さく走るのみであるが、今回は貝塚線が辿った数奇な歴史を辿ってみよう。

f:id:stationoffice:20180905032652j:image高架化された西鉄千早で発車を待つ貝塚行き600形。設備は近代化されたが車両は全車経年45年以上と老朽化が進む

・傍流故の冷遇

西鉄貝塚線は2007年の西鉄新宮─津屋崎間の廃止まで「宮地岳線(みやじだけせん)」を名乗った。これは廃線区間にあった宮地岳駅最寄りの宮地嶽神社に因むもので、創建1600年以上の歴史と多数の国宝を収蔵する大社である。その宮地岳神社と博多を結ぶべく、1924年博多湾鉄道汽船の手によって新博多(現在の地下鉄箱崎線千代県庁口駅付近)─和白間、翌1925年に和白宮地岳間が開業したのが、貝塚線の端緒である。

宮地岳線を建設した博多湾鉄道汽船(湾鉄)とは、糟屋炭田から産出される石炭を博多港へ運搬するため、1905年に西戸崎(さいとざき)─和白─香椎─宇美間25.4kmの「糟屋線」を建設したのを祖業とする。当初はむろん貨物輸送がメインであったが、後に旅客輸送にも力を入れるようになり、和白から分岐して博多の街中へ直結する支線を建設することになった。これが発展したのが宮地岳線、現在の貝塚線である。

糟屋線が国鉄と貨車を直通するため軌間を1,067mm(狭軌)としていたので、宮地岳線も必然的に軌間1,067mmとなった。貨物輸送を行わなかった天神大牟田線軌間が違うのは、この出自の違いによるものである。

f:id:stationoffice:20180905051834j:image貝塚線(宮地岳線)と同じ博多湾鉄道汽船を出自とするJR香椎線。兄弟路線であったが戦争によって別々の道を歩むことになった

湾鉄の一員であった宮地岳線西鉄に組み入れられたのは、戦時体制の深度化によって1942年の陸上交通事業調整法が施行され、天神大牟田線を運営していた九州鉄道をはじめとする5社が合併したことによる。この時、新社名が「西日本鉄道(西鉄)」となったことで、宮地岳線も「西鉄宮地岳線」として新たなスタートを切った。その後、更なる戦時体制の激化によって、糟屋炭田の運炭路線であり、宮地岳線の兄貴分的な路線であった糟屋線が1944年に国鉄に買収されて国鉄香椎線となった。この時以来、宮地岳線は他の鉄道との直通を一度もしていない。

戦後の1954年には福岡市街区間千鳥橋(新博多)─貝塚間が同じ西鉄の運営であった路面電車、福岡市内線に組み入れられるも、1979年には道路渋滞の激化により路面電車が廃止されてしまった。これにより、宮地岳線は福岡市街への接続を失い、市街地のはずれの貝塚駅から郊外に向けて細々と電車が走るだけという、孤立した路線となってしまった。西鉄本体としても、屋台骨となる天神大牟田線の輸送力増強と路面電車の後を継ぐ西鉄バスの拡充に追われ、宮地岳線の改善にまで手が回らなかったという事情もあるだろう。宮地岳線は、博多湾鉄道汽船の市街地直結線として華々しく開業しながらも、その後を継いだ西鉄によって市街地への接続が断たれるという、苦しい状況に追い込まれてしまったのである。

・復活からの落日

西鉄の一員となって以降、苦しい状況が続いていた宮地岳線にようやく光が差したのは1986年、福岡の中心・天神へ直結する福岡市地下鉄箱崎線貝塚まで延伸したこと。宮地岳線は再び福岡市街へのアクセスを獲得し、これを契機に終日全線13分間隔の運転を行い、フリークエントサービスの提供に舵を切った。福岡市末端となる三苫(みとま)駅に折り返し設備を設け、全線単線ながらラッシュ時には貝塚三苫の福岡市内区間で6〜7分間隔の高頻度運転を行った。

しかし、どん底から復活した宮地岳線の前に立ちはだかったのは、同じくどん底から復活したJR鹿児島本線だった。国鉄破綻というどん底から民営化し、再生したJR九州福岡近郊区間の利便性向上に注力。駅が多く天神方面へのアクセスが良い宮地岳線と、幹線ゆえ駅が少なく博多方面へ向かう鹿児島本線とで、並行しながらも役割を分担していた。しかし、JR九州九産大前(香椎花園前から1km・1989年)、千鳥(花見から1.4km・1991年)と、宮地岳線の駅と競合する新駅を相次いで開設し、もとから競合関係にあった香椎、古賀、福間を含め、宮地岳線の乗客を奪いにかかった。結果、地下鉄と接続したとはいえ旧型車両のままで、旧態依然とした宮地岳線から、新型車両の導入が進み、便利になった鹿児島本線への乗客流出が顕著になってしまった。

f:id:stationoffice:20180905052550j:imageJR九州オリジナル電車第一号の811系。JRは新車導入・新駅開業を積極的に行い、矢継ぎ早に鹿児島本線の改善に取り組んだ

2006年に西鉄香椎駅が高架化するなど、一部では改善も見られた宮地岳線であるが、津屋崎方の末端区間ではその後も乗客流出が止まらなかった。末端区間の輸送密度(利用者数を路線1kmあたりで割った数)は2,201人と、旧国鉄の廃止基準(4,000人)の約半分にまで乗客が減少。ついに西鉄は撤退を決断し、地元自治体も第三セクター化による引き受けを断念したことで廃止が確定。2007年に廃止され、この区間は82年の歴史に幕を下ろしたのである。

残る貝塚西鉄新宮間は、路線名の由来であった宮地岳駅が廃止されたことで「貝塚線」に改称。かつてのラッシュ時6〜7分・昼間13分間隔運転はラッシュ時10分・昼間15分間隔に減便、一部3両編成もあった車両は全車2両編成に減車と、残る区間もスリム化が進み、利便性が低下している。ただ、毎時の発車時刻が安定しない13分間隔運転を15分間隔運転に改めたことで、元から15分間隔運転だった地下鉄箱崎線空港線直通電車との運転間隔が揃い、貝塚での地下鉄接続が改善したのは数少ない改善点である。

皮肉なことに、宮地岳線廃止後もかつての沿線は鹿児島本線沿線のベッドタウンとして開発が進み、新宮中央(西鉄新宮から1.4km・2016年)、ししぶ(古賀ゴルフ場前から600m・2016年)の2つの新駅が開業している。これによって廃止区間で唯一代替駅が無かった古賀ゴルフ場前駅近くにも鹿児島本線の新駅が開業し、末端で鹿児島本線が並行しない宮地岳駅・津屋崎駅を除いた全ての駅を、鹿児島本線が代替するに至っている。

・「福北本線」になり損ねた貝塚線

紆余曲折の末、ほぼ福岡市東区内に収まるまでに縮小してしまった西鉄貝塚線であるが、かつては福岡市と北九州市を結ぶ、西鉄第二の幹線となりうる路線であった。

廃線区間の途中駅、西鉄福間駅から東へ25kmほど進んだところに、西鉄グループの一員である筑豊電気鉄道線筑豊直方(ちくほうのおがた)駅がある。筑豊電鉄は路面区間こそ無いが路面電車タイプの車両を用い、駅の間隔も短いため、LRTとして分類されることもある、これまたユニークな鉄道。かつての筑豊炭田の中心都市・直方市筑豊直方駅と、八幡製鉄所をはじめとした産業都市・北九州市黒崎駅前駅の16.0kmを結んでいる。そしてこの筑豊電鉄、かつては黒崎駅前から出ていた軌道線・西鉄北九州線に乗り入れ、北九州市の中心・小倉まで直通運転を行っていた。八幡製鉄所至近に「製鉄西門前」を名乗る電停があったように、明治以来日本の重工業を支えた北九州市沿岸部と、筑豊電鉄線沿線に開発された住宅地を結び、日々通勤客を乗せて電車が走っていた。

この時代、福岡・小倉(北九州)に加え、筑豊炭田の中核を担った直方は「三都」と呼ばれた。1950年代中頃の人口は、福岡市が54万、現在の北九州市が87万、そして筑豊(直方・飯塚ほか)が77万の人口を誇った。既に北九州と筑豊は1959年に筑豊電鉄によって結ばれていたため、これを福岡まで延長し、西鉄の手で北九州─筑豊─福岡を直結させることは、西鉄発足以来、いや前身の博多湾鉄道汽船、そして九州電気軌道の宿願であった。

筑豊電鉄は1959年に黒崎から筑豊直方まで到達し、その筑豊直方は延伸を前提とした途中駅としての構造。筑豊直方延伸前の1956年には「筑豊電気鉄道線建設線路図」が発行され、その中で筑豊直方駅から福岡へのルートは、宮地岳線を活用でき、建設距離が25kmと短い「福間ルート」(仮)と、より多くの需要が見込める飯塚を経由するものの、建設距離が35kmと長くなる「飯塚ルート」(仮)の2つが検討された。

f:id:stationoffice:20180903183826j:plain赤:西鉄グループの鉄道路線(営業中) 灰:西鉄グループの鉄道路線(廃線) 黄:西鉄福北線の検討ルート 宮地岳線を利用した福間ルートと、人口が多く需要を見込める飯塚・糟屋炭田の南部の核であった宇美を経由し、福岡市南部の雑餉隈(ざっしょのくま)で西鉄天神大牟田線に接続する飯塚ルートの2つが検討された。また同時期に天神大牟田線のバイパス路線として西鉄雑餉隈線(博多~雑餉隈)が計画されており、両方実現していれば現在は普通しか止まらない雑餉隈駅が天神・博多、大牟田・北九州各方面への接続駅となっていたことだろう。※Google Mapに加筆。なお、路線・駅の位置は正確なものを示すものではありません。

しかし、「西鉄福北線」が実現することはなかった。それには、筑豊炭田の閉山という基幹産業の衰退に伴う筑豊地域の人口減少と、国鉄篠栗線の開通という2つの要因がある。

まず人口減少であるが、現在は福岡市が150万を突破し3倍に成長した一方、北九州市はさほど増えず87万、そして基幹産業であった炭鉱を失った筑豊は約半分に落ち込んだ43万となっており、完全に福岡と筑豊が逆転してしまった。つまり、筑豊発の需要が半分になってしまったのだ。

そして、筑豊直方延伸から僅か9年後の1968年に、飯塚ルートとほぼ並行する形で国鉄篠栗線が全通したことがとどめを刺した。篠栗線は博多〜新飯塚を約45分、直方までを約60分で結び、篠栗線開通を契機として飯塚・直方は福岡のベッドタウンとしての発展を始めることとなった。こうして、筑豊地域の人口減少と、並行する国鉄線の開通によって西鉄線は建設の意義を失い、1971年には事業免許を失効し、建設中止に追い込まれてしまったのである。

f:id:stationoffice:20180917151622j:image1968年に全通した篠栗線。当初は非電化であったが福岡と筑豊を直結する路線として成長し、2001年に電化。「福北ゆたか線」の愛称がつき、発展を続けている。写真の長者原駅は香椎線との交点に1988年に開業した新駅。

なお、鉄道が走らなかった未成区間のうち、飯塚~宇美間はバス路線が無く、JR香椎線とJR福北ゆたか線長者原駅で乗り継ぐのが代替となっている。そのほかの区間は(かろうじて)バスで結ばれており、福間ルートを構成する福間~直方間はJR九州バスがJR福間駅~JR直方駅を1日5往復のみ運行するほか、沿線最大の需要地となったであろう宮若市の「若宮インターチェンジ」バス停は福岡~北九州間の高速バスが多数経由し、日中でも5本/hが停車する。また、雑餉隈~宇美間は西鉄バス【11】上宇美(JR宇美駅)~西鉄雑餉隈駅~JR南福岡駅が1時間1~2本運行されており、こちらは福岡都市圏内ということもあって比較的本数が多い。

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f:id:stationoffice:20180917152118j:image西鉄電車が来なかったJR香椎線・宇美駅前。現在は西鉄バス博多駅・天神方面や雑餉隈・南福岡方面を結んでいる。かつてはこの駅も西鉄の前身・博多湾鉄道汽船糟屋線の駅であった

かくして、宮地岳線は直方と結ばれることは無くなり、発展の機会は失われた。そして津屋崎という中途半端な終点で止まっていたのが仇となり、並行する鹿児島本線の発展に残存区間もろともとどめを刺される形となった。かくして、残った宮地岳線も福岡市外区間が殆ど廃止され、現在に至っている。

・鉄道の借りをバスで返す!西鉄の意地

西鉄による福岡~北九州の鉄道はついに実現しなかったが、その代わりに西鉄バスによる高速バス、福岡~北九州線(西鉄天神高速バスターミナル~JR小倉駅前・砂津)が1980年に運行を開始した。この前年、1979年には九州自動車道が福岡~北九州間で開通しており、追って福岡都市高速北九州都市高速も充実してゆく。西鉄高速バスの発展は、高速道路網の拡充と二人三脚であった。

そして現在、福岡~北九州間の輸送は、安くて(往復きっぷ・片道あたり1,030円)本数が多いが(10~20分間隔)時間がかかる(約90分)西鉄バス、そこそこ安く(2枚きっぷ・片道あたり1,440円)そこそこ本数があり(30分間隔)そこそこ速い(約50分)JR特急、高いが(2,110円)本数が多く(10-20分間隔)とても速い(約15分)山陽新幹線が分担し合う状況となっている。1980年まではほぼ国鉄の独占であったところ、現在では西鉄がその一角を担うまでにシェアを拡大したというわけだ。

f:id:stationoffice:20180917152631j:image本数の多さと運賃の安さをアピールする西鉄バスの広告。定期券には福岡・北九州市内路線バス無料というサービスぶり

現在は1社単独運行にして1日124往復(平日)と、日本の高速バスでは桁違いの運行本数を誇るまでに成長した。日本のバス業界の中では、一般路線バスも含めた輸送人員で、西鉄バスが日本最多となっている。

西鉄がなぜこれほどまでに高速バスに注力したかといえば、福北線の挫折をはじめ、天神大牟田線の熊本延伸(大熊鉄道・だいゆう─)の挫折など、西鉄による鉄道ネットワークの拡大が悉く国鉄→JRによって阻害されてきたという、いわば冷や飯を食わされ続けてきた苦い経験によるものではないかと思う。

その反骨ゆえなのか、今や西鉄バスは九州一円どころか、福岡~東京・新宿間「はかた号」をはじめ、超広域のネットワークを広げている。2011年の九州新幹線全線開通によって博多~熊本のJRは値上げとなったためにJR特急の利用者が完全に新幹線に転移せず、低価格志向の利用者を寧ろ高速バスに取り込み、福岡~熊本間における高速バスのシェアが拡大した…などというエピソードは、西鉄のJRへの対抗心がいかに強いものであるかを物語っていよう。鉄道の借りを、高速バスで返したというところだ。

・"バスを補完する鉄道"貝塚線

福北線へ発展する機会を失い、元々の区間さえもほぼ半分が廃止されてしまった現在の貝塚線に残された役目は「西鉄バスの補完」。「西日本鉄道」という社名とは裏腹な役目である。

千早、香椎、和白、新宮などといった沿線の各駅からは、博多駅や天神へ直行する西鉄バスが数多く発着する。例えば、和白駅近くの「和白」バス停からは都市高速経由の天神行きが10〜20分間隔で出ており、天神までは25分、運賃は520円。対して、貝塚での乗り換えが必要な西鉄貝塚線+地下鉄箱崎線は35分かかり、バスの方が10分も早い。ただ、電車ならば西鉄・地下鉄の乗り継ぎ割引が適用されるため、運賃は470円とバスよりも50円安い。こうした状況とあっては、天神直行のバスを選ぶ人も多いであろう。

しかし、各地からおびただしい数のバスが集まる天神一帯は渋滞に見舞われることも多く、特に朝夕のラッシュ時は定時性が覚束ない。対して、電車であればまだ時間は読める。こうしたことから、バスで運びきれない乗客を地下鉄にリレーする役割としての鉄道という、完全にバスの裏方としての仕事に徹しているのが、今の貝塚線に与えられた役目なのだ。

バス会社と鉄道会社が違っていれば競合も起こっただろうが、どちらも同じ西鉄がやっているからこその分担とも思う。西鉄にとって、貝塚までの電車に230円しか払ってくれない乗客と、天神へのバスに520円を払ってくれる乗客のどちらがありがたいかを考えれば、その結論は自明である。

しかしながら、今の貝塚線三大都市圏以外ではワーストとなる混雑率150%を記録するほど混雑するようになってしまった。これは、部分廃止前に比べて千早・香椎の人口が増加していることに加え、博多湾の人工島「アイランドシティ」の玄関口が千早であり、アイランドシティ発のバスから貝塚線、そして地下鉄に乗り継ぐ流れも重なっていることが挙げられる。また、部分廃止前のラッシュ時は貝塚三苫間6〜7分間隔の高頻度運転であったのに対し、現在はラッシュ時でも10分間隔でしか走らないことが影響している。利用が増えているにもかかわらず古い車両を放置し、部分廃止前の水準にすら増発もされないのは、幾ら何でも利用者軽視と言われても仕方ないのではないかと思う。

 

次回はそんな貝塚線と地下鉄箱崎線に乗り、現在の貝塚線が置かれた状況と今後の展望について考えてみたい。

 

(つづく)

29.福岡市地下鉄七隈線(延伸区間)・JR鹿児島本線(博多-千早) -"キャナル新駅"が変える福岡都心- #福岡

「車内中ほどまでお進みください。快速門司港行き、ドアが閉まります」

夕刻の博多駅ホーム。ドアに手をかけ体を押し込んで乗るレベルの混雑は、東京の夕ラッシュと何も変わるところはない。

 

* * *

 

・バスがメインのキャナルシティ博多

地下鉄天神駅から那珂川畔を歩き、キャナルシティ博多へ向かった。

f:id:stationoffice:20180902190203j:image中央左のサーモンピンク色の建物がキャナルシティ博多

キャナルシティ博多へ最も近い地下鉄駅は地下鉄空港線祇園駅で、広大なキャナルの場所にもよるが徒歩5分程度。空港線に加え箱崎線が接続する中洲川端駅からは、博多最古の商業地域・川端通商店街を経由して徒歩8分と、地下鉄利用の場合は最もよく利用されるルートだろう。そして広域アクセスを担うJR博多駅まででも徒歩10分、繁華街の中心たる天神からでも徒歩15分程度。駅直結というわけではないが、どこの駅からも近くも遠くもない…という絶妙な距離感。

キャナルの性格からして普段使いのものを買うというよりは、キャナルにしかないブランドショップやアパレル、カルチャーショップ等が来店目的の中心と思われるため、毎日来るというよりはたまに来るところ、という感じ。従って買い物帰りは荷物も多いと思われ、駅からやや距離があるキャナルは、都心部にありながら車での来店が多数を占めるのではないだろうか。

f:id:stationoffice:20180902190339j:imageキャナルを象徴する水路を取り入れたオープンスペース。ここを核に各ショップが取り囲む

f:id:stationoffice:20180902190528j:image九州ではここしかない「ジャンプショップ」外国人の関心も高い
f:id:stationoffice:20180902190524j:image同じく九州ではここしかないトミカプラレールショップ。こうした"九州ではここだけ"のショップ達が重要な来店動機になる

博多駅からキャナルまでの道のりは一般的なビジネス街だからまだしも、天神からキャナルへの道のりは繁華街…というか、歓楽街として名高い中洲であり、昼間は眠ったように静かだが、夕刻ともなればネオンの光が輝きだす。歓楽街特有のにおいも立ち込め、那珂川の水面は爽やかだが、決して歩いていて心地よい道のりではない。川べりの歓楽街という様子は、目黒川に沿って連れ込み宿さながらのラブホテルが立ち並ぶ、東京・五反田を彷彿とさせる。

従って、キャナルへの公共交通機関キャナルの目の前からすぐ乗れる、西鉄バスが中心となっているようだ。天神〜キャナルシティ博多博多駅を最短距離で結ぶ「キャナルシティラインバス」が5〜10分間隔でシャトル運行しているのをはじめ、市内各所まで直通する西鉄バスが「キャナルシティ博多前」「キャナルイーストビル前」から多数発着している。キャナルからは博多駅へも天神へも福岡都心100円区間に含まれることから、博多駅から徒歩10分、天神から徒歩15分程度であってもバスを選ぶ来店者は多いだろう。

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f:id:stationoffice:20180903025453j:imageキャナルシティ博多のアクセス案内。公共交通機関利用ではまず西鉄バス利用が推されており、かなり丁寧なアクセスガイドが掲載されている。キャナル西鉄バスは相乗効果を発揮する関係

ただ、明らかに外国人観光客をはじめとした旅行者を対象にしたショップが少なくない中で、アクセスをほぼ西鉄バスに頼っている現状は、決して旅行者にとって優しくない。

博多駅キャナル〜天神をシャトル運行する「キャナルシティラインバス」や、博多駅〜天神〜ウォーターフロント地区を循環運行する「連節バス」など、単純かつわかりやすい運行に特化した系統もあるにはある。しかし、この2つも含め、似たような性格を持つ都心部シャトルバスが並存しているあたり、西鉄バスの複雑怪奇ぶりを象徴していると言えよう。

f:id:stationoffice:20180903023921j:imageキャナルシティラインバスと福岡都心100円をPRする広告。キャナルシティラインバスは博多駅キャナル〜天神の連絡に特化しているためこの感を最短経路で結んでいるが、遠回り経路のバスも多い。旅行者が西鉄バスを乗りこなすのは非常に難しい

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f:id:stationoffice:20180903024515j:image2016年に運行開始した連節バスのPRページ。停車停留所を絞り、ウォーターフロント地区〜天神〜博多駅ウォーターフロント地区の循環運行をしているが、観光客向け・博多駅〜天神の短絡と、目的の多くがキャナルシティラインバスと被る。許認可の問題があるにせよ、渡辺通一丁目経由をやめてキャナルシティ博多前を経由させ、「キャナルシティラインバス」と統合した方が良いように思うのだが

西鉄バスの複雑さは他都市の追随を許さない折り紙つきで、ちょっとやそっとでわかるものではない。「天神〜博多駅100円」に釣られて、適当に来た「博多駅行き」に乗ろうものなら、遠回りの経路(『住吉通り経由』など)だった上に渋滞に巻き込まれ、地下鉄なら6分・200円のところに30分もかかってしまった…なんて話は珍しくないのだ。

f:id:stationoffice:20180903030723j:image博多駅から天神を経由して百道浜方面へ向かう西鉄バス44番。観光客の利用も多いメジャーな系統だが、博多駅〜天神は遠回りの住吉通り経由のため(行先表示にも書いてあるが)定刻でも20分を要する。キャナルシティラインバスを含む「国体道路経由」なら13〜15分程度なのだが、旅行者には判別しにくい。

七隈線"キャナル新駅"への期待

そんなキャナルであるが、目の前に地下鉄七隈線の新駅が造られようとしている。

f:id:stationoffice:20180903032934j:image福岡市地下鉄路線図。天神南を起点に西南部へ向かう緑線が七隈線の既開業区間で、赤破線が七隈線延伸区間。延伸区間の中間駅がキャナルシティ博多の目の前にできる予定

現在の七隈線の起点は「天神南駅」であり、ここを起点として福岡市南西部の橋本へ向かう。天神南駅天神地下街空港線天神駅や、西鉄ソラリアステージ、岩田屋百貨店、大丸などの各種施設と結ばれてはいるが、天神の南の外れであり、空港線天神駅までは550m・徒歩8分と案内される。

f:id:stationoffice:20180903031927j:image福岡市交通局による空港線天神駅七隈線天神南駅の乗換案内。 "意外に遠くない"ことを強調しているかのよう

七隈線は起点の天神南空港線(・箱崎線)および西鉄天神大牟田線と、天神南から2つ目の薬院(やくいん)で同じく西鉄天神大牟田線と接続する以外は他路線との接続駅を持たず、天神南から鉄道空白地帯であった西南部へと伸びてゆくのみで、ネットワーク性を殆ど持たない。加えて天神南空港線乗り換えが不便であること、並行する西鉄バスとの調整もあまりうまくいかなかった(特に博多駅へは天神南空港線へ乗り換えるか、薬院西鉄バスへ乗り換える必要があり、最初からバスに乗った方が早くて安かった)こと等の要因が重なり、苦戦が続いている。2005年の開業から10年間、2015年までは予想を下回る利用実績に終わった。

そこで、集客力があり、且つどこの駅からも離れていたキャナルシティ博多を経由して博多駅へと延長する計画が持ち上がり、開業8年後の2013年に着工。現在は2022年の開通を目指し、建設中である。ただ、2016年にはかた駅前通りで大規模な陥没事故を起こしたのは記憶に新しく、この影響で開通が2020→2022年度に延びるなど、喜んでばかりはいられない。

f:id:stationoffice:20180902190833j:image地下鉄開通を睨んで全館規模のリニューアルが進む(奥)

天神南〜博多間の延伸がなれば、七隈線沿線の利便性向上に繋がるだけでなく、混雑が激しい空港線天神〜博多間のバイパスルートが形成されるために空港線の混雑も緩和され、七隈線から福岡空港へも不便な天神南でなく博多駅で容易に乗り換えられる…等、様々な効果が見込まれている。

七隈線"おとなりきっぷ"が福岡を変える

延伸区間唯一の途中駅となる"キャナル新駅"は台風の目となるはずだ。現状でも高い集客力を持つキャナルが"地下鉄直結"となれば、商圏がさらに拡大し、七隈線だけでなく地下鉄全線と相乗効果を上げるようになる。また、博多駅キャナル天神南キャナルといった短区間利用の掘り起こしも大いに期待でき、現状はほぼ沿線住民の利用に限られる七隈線が、福岡都心の域内移動にも利用できるようになるのは、大量輸送機関たる地下鉄の面目躍如となる。

そこで、復活を期待したいのが「おとなりきっぷ」である。七隈線開通すぐの2006年からスタートし、隣駅まで100円(ICカード利用含む)としたものだが、「所期の目的であった増客を果たした」として2016年に廃止、代替となるポイント加算に移行されてしまった。

f:id:stationoffice:20180903034449j:image当時のPR。100円を強調するあたり西鉄バスへの対抗心が透ける

明らかに西鉄バスの福岡都心100円(1999年開始)を意識した施策であったが、どうも長続きしなかった。地下鉄1駅のような短距離利用であれば、歩道からすぐ乗れるバスの方がラクだったということもあるだろう。

しかし、「博多駅キャナル」「天神(天神南)⇔キャナル」といった短距離利用の掘り起こしに際して、おとなりきっぷの復活は七隈線の利用促進に間違いなくプラスに作用する。歩いて10〜15分だが地下鉄なら僅か2分、博多駅でのJR乗り換えも便利とあらば、初乗り200円だと躊躇しても100円ならば乗ってみよう、という流れを生み出せる。この点、博多駅前の乗り場が非常にわかりにくい西鉄バスに対して、「七隈線のりば」という確固たるランドマークを持つ七隈線はバスに対しても非常に有利になる。

ただ単に造っても利用されなければ意味がないし、税金を投入したインフラが放置されるという最悪の事態を招いてしまう。歩いても行ける距離を利用してもらうには、ハードの整備ももちろんながら、効果的な運賃制度を構築するというソフトの拡充も怠ってはならない。おとなりきっぷの復活は、空港線から外れた福岡都心の南側を活性化させるという意味合いも持たせることができる。

f:id:stationoffice:20180903040157j:image博多駅のイメージ。空港線・JR乗り換えは150〜180mと、天神南の550mに比べ大幅に短縮される。JR乗り換えも空港線に劣らず、大いに利用を見込めるだろう

単なる地下鉄の延伸でなく、"線"の動きに留まっていた福岡都心の人の流れが、"面"的に拡大するといっても過言ではない七隈線の延伸。天神南─(七隈線)─博多─(空港線)─天神の間が実質的な環状線となり、この"福岡環状線"に囲まれた範囲は高度な都市機能の集積が図られることになろう。地下鉄のみで環状区間が形成されるのは、東京、名古屋、大阪以外では初となるのだ。

f:id:stationoffice:20180903040149j:image地下鉄路線図を再掲。七隈線天神南〜博多〜空港線天神間が環状となるのがわかる。環状線の内側はどこの駅へも近くなり、高度利用が進みやすくなる

西鉄バスとの調整は今後とも課題になるが、西鉄には具体化しないマリンメッセ福岡、および福岡タワー・ヤフオクドーム等のウォーターフロント地区への交通整備において頑張ってもらばよいと思う。現状は天神一帯にバスが溢れている状況であり、そのバスも渋滞に阻まれて遅く、時間通りに来ない。都心部のバス需要を地下鉄へ振り向け、その余力を開発が進むウォーターフロントのバスの充実に振り向けてもらえば、両者の棲み分けに繋がるだろう。

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駅から離れたキャナルの賑わいと、西鉄バスの混雑ぶりからは、七隈線を待ち望む街の声が透けて聞こえるかのようだった。

・大混雑の鹿児島本線快速

ひと通りの九州土産をキャナルで買い込み、JR博多駅へ歩いていった。道のりははかた駅前通りを経由してまっすぐ徒歩10分ながら、辺りは中小の雑居ビルが立ち並ぶビジネス街で、新幹線の駅に近いことから金融機関の支店やビジネスホテルが目立つ。キャナルの客層には縁がないものばかりで、キャナルが"ぽっと出"であることを強く認識させられる。言い換えれば、休日ともなれば無人であったはかた駅前通りに、キャナルが買い物客を呼び寄せたとも言えるのだが、それによる街の変化までには至っていないようだ。

f:id:stationoffice:20180903005013j:image天神地区の売り上げに影響を及ぼすほど成長したJR博多シティ

f:id:stationoffice:20180903005009j:image博多祇園山笠まつりのPRも行われていた。大きな山笠が収まるほどの大屋根

f:id:stationoffice:20180903005542j:image博多郵便局を再開発したKITTE博多。東京駅丸の内口前・東京中央郵便局に続く2号店

博多駅は人の渦だった。博多駅自体も2011年の九州新幹線全通を機に「JR博多シティ」として全面リニューアルを果たし、九州初の阪急百貨店や東急ハンズが強力に集客しているほか、日本郵政グループによるKITTE博多とも繋がり、天神地区に対抗する一大商業地区を形成するに至っている。そのため、九州新幹線開通以前は通過点・ビジネス拠点の性格が強かった博多駅にも、かなり彩りが出てきたように思う。

f:id:stationoffice:20180903041838j:image普通から特急まで同じホームから発着。法則性があまりないので念入りに確認しなければならない

博多18:24発快速門司港行きに乗るべく発車5分前のホームに上がると、既に行列が広いホームの反対側にまで達していた。1ドアあたり30〜50人は並んでいるだろうか。ホームが多数あるので先発・次発のような乗車区分こそないが、それでも東京圏顔負けの整然とした整列乗車である。

f:id:stationoffice:20180903011240j:image快速門司港行きが到着。長い長い整列乗車の列をあっという間に飲み込んでいく

博多18:24発快速門司港行き(荒木17:34→博多18:24→小倉19:36→門司港20:00)は、817系3両×3本の9両編成で18:22に到着。かつて近郊電車の主役だった811系や813系は転換クロスシート主体だったが、この817系はオールロングシート。着席時の快適性を若干犠牲にしてでも混雑緩和に重点を置いており、それが必要な状況であるということも理解できた。

また、着席時の快適性を求める向きは特急に誘導したということでもある。この時間帯、小倉方面へは快速も特急も約20分間隔であり、運転間隔は互角である。快速は小倉まで1時間10〜20分を要するが、特急ならば40〜50分。博多近郊を主眼に置いた快速と、対北九州を主眼に置いた特急とで役割分担をしているのだろう。

この18:24発の快速は博多から北九州市内の八幡まで特急に抜かれず、赤間・折尾・黒崎といった主要な特急停車駅まで先着という、毎時3本あるうち最も先着区間が長い快速だった。他2本はというと、18:04発区間快速(福間から各駅停車)は赤間、18:47発快速は古賀と、博多圏から抜け出す前に特急待避がある。他を見ていないのでわからないが、ともかく混雑はかなりのものだった。

地下鉄の6両編成に比べ、列車頻度が下がるが故の9両編成という長い編成の満員電車は、やはりボリュームが段違いだ。夕ラッシュは9両編成が最長だが、朝は名古屋圏にすらない12両編成の快速があるというから、その混雑の激しさが窺い知れよう。

到着した快速からはパラパラと降車があるが、降車が終わった途端、待ち構えていた乗客の長い列を飲み込んでいく。地方にありがちな、ドア付近ばかり混雑して車内中央が空いているということもなく、むしろ先頭に並んでいた乗客が率先して奥へ奥へと詰めていく。後からどんどん乗ってくるということが体で分かっているのだろう。発車間際に乗り込む乗客はドアの上に手をかけて自分の体を押し込んで乗るレベルで、まるで中央線の新宿駅さながらの乗車シーンである。

f:id:stationoffice:20180903042225p:imageなんとか乗客を押し込んだ快速門司港行き

それでも2分停車の間になんとか乗り込み、18:24の定刻に発車。ゆらゆらとポイントを渡り、都市高速を潜ってスピードを上げる。博多から3分、JRにおいては福岡県庁最寄りとなる吉塚でもさらに帰宅客を乗せ、車内の混雑は更に激しくなる。九州大学箱崎キャンパスに近く、大学生の姿が見える箱崎を高速で通過し、多々良川を渡る。一応福岡都心と言えるのは箱崎までで、段々と住宅街になっていく。

博多から8分で千早。さいたま新都心のように旧国鉄香椎操車場(貨物ヤード)を再開発した地で、2003年の駅開業以来高層マンションの建設ラッシュが続く。乗降客数も約24,000人(2017年度)とJR九州11位を記録しており、これは長崎(約21,000人)や久留米(約16,000人)、また同じ福岡近郊で伸びが著しい筑肥線九大学研都市(約17,000人)や筑前前原(約15,000人)より多い。

f:id:stationoffice:20180903042413j:image千早に到着。幾分混雑がやわらぐ

従って千早での下車がそこそこあり、乗車もあるが差し引き若干混雑がやわらいだ。自分も千早で降り、西鉄貝塚線へ乗り換える。それでも千早からの乗客はドアの上に手をかけて乗る始末で、9両編成にも関わらず相当な混雑であることに変わりはなかった。

f:id:stationoffice:20180903042641j:image千早は2面4線の標準的な高架駅。中央の線路は貨物列車用引上線
f:id:stationoffice:20180903042637j:image開業13年で香椎と並ぶ確固たる地位を築いた

・独占区間故の混雑なのか

正直、小倉方面への鹿児島本線快速がこれほど混むとは思っていなかった。久留米・大牟田方面へは天神から西鉄天神大牟田線鹿児島本線にほぼ並行して伸びているが、福間・小倉方面へは鹿児島本線一本しかないこともあるだろう。国鉄時代に進まなかった分、JRになってからの新駅設置も数多い。

ただ、列車本数という面においては、まだ名古屋に一歩劣る印象を受ける。夕ラッシュのピークでも特急3本/h・快速3本/h・普通4本/hの計10本/hと、日中と比較して特急・普通が1本/hずつ増えるに過ぎない。博多→千早のような快速停車駅間の短距離移動でも、18時台に14分待ちとなる穴があるなど、地下鉄や西鉄と比較するとJRの本数の少なさが際立つ。西鉄は18時台に特急2本/h・急行6本/h・普通8本/hの16本/hを確保し、三大都市圏に引けを取らない都市型ダイヤを組んでいる。

鹿児島本線しかないからこそ、不便なダイヤでもこれだけ混雑するのであろうが、都市鉄道の体裁を整えるにはせめて10分間隔程度の運転を期待したいところ。貨物列車や特急列車も多数走るために快速・普通の増発が難しいのだろうが、現状は本数が少ないために混雑を引き起こしている側面が否めない。

それでも、鹿児島本線沿線に開発されたベッドタウンへの足として、鹿児島本線快速は大いに乗客を乗せて日々走っている。しかし、2007年までは福間を経て津屋崎まで、西鉄のとある路線が伸びていた。鹿児島本線と並行する西鉄電車という意味では、天神大牟田線と似た環境であったのだが、なぜ福岡に直接乗り入れる大手私鉄の路線が一部廃止の憂き目を見たのだろうか。うがった見方をすると、西鉄電車の廃止によって鹿児島本線の混雑に拍車をかけているような気すらする。

f:id:stationoffice:20180903042848j:image西鉄千早駅の高架開業が進む一方で末端区間が廃止されるというちぐはぐな展開を見せた

その実態を確かめるべく、JR千早駅の改札を出て、隣接する西鉄千早駅の改札へ向かった。

 

(つづく)

28.JR筑肥線・福岡市地下鉄空港線(西唐津-姪浜-天神) -海辺の単線から大都会の地下鉄へ- #佐賀 #福岡

「いまお菓子の袋開けるけん、ちょっと待っとって」

九州ことばが筑肥線の車中に聞こえる。その長閑な風景とやわらかな方言の響きは、とてもこれから百万都市福岡の地下鉄に入っていく電車には思えない。

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*    *    *

 

・"地下鉄の終点"は地方交通線?

12:44に昭和バス呼子線西唐津駅前バス停に着き、目の前のJR西唐津駅へ。次の筑肥線福岡空港行きは13:04発と、20分の待ち時間がある。

f:id:stationoffice:20180828004806j:image駅名板がかなり控えめなので遠目からだと駅とわかりにくい
f:id:stationoffice:20180828004811j:image改札口は西側にしかないため、反対側へは跨線橋で結ばれる
f:id:stationoffice:20180828004814j:image外に表示している駅名板はこれだけ。JR九州標準のものはない
f:id:stationoffice:20180828004802j:imageバス時刻表も掲示されており、唐津駅より案内は整えられている

唐津西唐津間はほぼ筑肥線と一体化しているものの、唐津線として開業した経緯ゆえに路線としては唐津線である。福岡空港からの地下鉄が西唐津まで概ね終日1〜2本/h直通し、もちろんICカードSUGOCAにも対応している。が、JRの運賃区分としては筑肥線の「幹線」ではなく、割増運賃となる「地方交通線」であり、唐津線地方交通線のため、唐津西唐津間も地方交通線である。これは1980年施行の国鉄再建法制定時に区分されたものがそのまま残っているためで、当時の唐津西唐津間は博多方面の筑肥線と繋がっていなかった(前回記事参照)。地下鉄直通の6両編成が定期的にやってくる「地方交通線」など、ここ唐津西唐津間の他にはないだろう。

この「幹線」と「地方交通線」の区分が現状に即していない問題は各所にあり、例えば秋田新幹線が走り、東北の大動脈の一つである田沢湖線がローカル線扱いの「地方交通線」であったり、広島都市圏輸送を担い、輸送密度19,000人/日を記録する可部線がやはり「地方交通線」のまま。一方、9往復/日の筑肥線非電化区間や、10往復/日の美祢線(山口県)が「幹線」だったりと、40年近く前の基準からするといよいよ乖離が激しくなってきている。適宜見直す規定があっても良かったように思うが、1980年と同じ基準で見直しをしたとすると、過疎化・少子化および鉄道貨物輸送の衰退により、地方交通線から幹線に格上げになる路線よりも、幹線から地方交通線に格下げになる路線の方が多くなるに決まっている。つまり、割増運賃を取られる路線の方が増えてしまうわけで、値上げと捉えられてもおかしくない。

地方ローカル線を利用する通学生は過疎化・少子化によって減少傾向にあり、その減少傾向にある通学生から更に割増運賃を取ったところで大して増収にならず、値上げを契機にJRを使わなくなってしまったら逆効果だ。田沢湖線(秋田新幹線)や可部線など、地方交通線の運賃制度で割りを食っている利用者もいるのは事実だが、都市圏の利用者の収益で地方のローカル幹線が支えられている構図もまた事実。そうした事情から、40年近く前の運賃制度を今に引きずったままになっている。

そうは言ってもJR北海道のローカル幹線などは今すぐ地方交通線に指定しても良さそうなところが結構あるし(それも経営悪化の一因だろう)、何らかの手を打った方がいいとは思うのだけれど。

・"地下鉄の終点"は単式1面1線…西唐津駅

西唐津駅は1983年の筑肥線電化・地下鉄直通開始・唐津駅乗り入れの際に改築され、コンクリートの変哲のない駅舎が建つ。1面1線のホームの脇に唐津鉄道事業部唐津運輸センター(旧・唐津電車区)が隣接し、筑肥線の電車と唐津線筑肥線非電化区間気動車が配置されている。地下鉄直通の電車と、国鉄時代の雰囲気を色濃く残すキハ47形が同じ車庫に並んでいるのは、なんともユーモラスだ。

f:id:stationoffice:20180828005552j:image唐津線筑肥線非電化区間用のキハ47とキハ125が待機する。  車庫は電車と共用なので当然架線も張ってある
f:id:stationoffice:20180828005556j:image駅の全景。左の空き地に呼子線ホームが造られるはずだった

現在は住宅地の中の駅といった感じの西唐津駅だが、かつて1898年に唐津興業鉄道の手で開業した際は、唐津炭田から産出される石炭の積出港がここにあり、西唐津駅は旅客駅というよりも貨物駅としての役割の方が大きかった。石炭輸送当時の貨物ヤードが、筑肥線電化開業時に電車の車庫として転用されたというわけだ。門司や鳥栖のような「鉄道のまち」でこそないが、時代に応じて役割を変えつつ、100年以上も西唐津駅周辺の広大な敷地が鉄道用地であり続けているというのは、なかなかに意義深い。

ホームで電車を待っていると、全国でも筑肥線にしか走らない、103系1500番台の3両編成が入ってきた。接近放送はなく、事務室から適宜駅員さんが肉声放送を入れている模様。

f:id:stationoffice:20180831043242j:image見た目は105系だが中身は103系筑肥線にしか走らない両者ハイブリッドの希少車
f:id:stationoffice:20180831043239j:image筑前前原─西唐津間の区間運転は必ず103系によるワンマン運転となる

1983年の筑肥線電化開業時に6両編成で導入されるも、唐津方の需要に合わせて一部の編成が3両編成に短縮されたものだ。3両編成は15分間隔運転の境目となる筑前前原─西唐津間のみの運転で、筑前前原で6両編成の福岡空港行きと必ず接続をとる。12:52に西唐津に到着した3両編成は降車確認後ドアを閉め、奥の車庫へと引き上げていった。

f:id:stationoffice:20180831043623j:imageホームの奥からそのまま車庫へと繋がっている。103系は車庫へと引き上げていった

さて、データイム筑肥線西唐津筑前前原間は概ね2本/hの運転で、西唐津福岡空港間の全線直通が1本/h、西唐津筑前前原間の区間運転が1本/hとなるのが基本。次の13:04発は福岡空港行きの全線直通。12:52着の3両編成が引き上げていくと、同じ車庫から303系の6両編成が入ってきた。

f:id:stationoffice:20180831043745j:image6両編成はこの303系か新鋭305系に統一。流行りの顔だがJR九州らしいデザインが施されている
f:id:stationoffice:20180831043748j:imageモノトーンのインテリアに赤いドアが映える。全車ロングシート4扉で長距離乗車には不向き

先頭車の写真を撮るべくホームの先端まで歩いて行ったが、普通に電車が止まる部分のホームに大きな雑草が生えていた。とはいえ、6両編成は1時間に1本くらいしか来ないし、改札口から離れた屋根もないホームから電車に乗り込む乗客も多くないとあっては、ホームに草が生えていても大した問題にはならないのだろう。西唐津駅の乗降客数は約1,000人/日と、お隣唐津駅の4,500人/日に比べて少ない。昭和バスとの乗り換えは隣の唐津駅よりも便利とはいえ、観光案内所や土産物屋があるわけではなく、観光客が乗り降りする駅でもない。地下鉄電車の終点にしては、かなり地味な駅だ。

f:id:stationoffice:20180831044009j:imageホームの真ん中に大きな草が生えていた

発車前になると改札口近くの車両には1両10人ほどが乗ったが、そこから離れた車両は貸切状態。西唐津から地下鉄天神までは1時間26分と、そこそこの距離がある。地下鉄との境界になる姪浜まででも1時間10分かかり、これは東京メトロ日比谷線東武線直通列車の最長区間となる、北千住─南栗橋間に相当する所要時間。そう考えると、筑肥線福岡市地下鉄空港線の直通運転は、三大都市圏外ではかなりの長距離となる部類だ。

13:04、西唐津発。唐津線筑肥線福岡市地下鉄空港線直通、普通福岡空港行き。

・単線の筑肥線から大都会の地下鉄へ

地平の西唐津駅を出た福岡空港行きはほどなく高架に上がり、唐津の市街地を進んでゆく。西唐津唐津間には幻の呼子線の分岐点となるはずだった幅広の高架橋があり(いわゆる『イカの耳』)、呼子線建設に沸いた時代を偲ばせる。

西唐津から2分で市街中心部の唐津。やはりここからパラパラと乗車があり、1両に10人ほどとなった。西唐津唐津のみの利用もそこそこいて、気軽な足として電車が利用されている様子が窺える。西唐津唐津間は運賃160円・所要2分と、バスの200円・所要5分よりも早くて安い。運転間隔もどちらも30分間隔程度だ。

しかしながら、現在の筑肥線は昭和バスの高速バス「からつ号」としのぎを削る関係にある。筑肥線普通列車で天神─唐津間は1時間20分(1日5往復の快速なら1時間5〜10分)だが、からつ号は1時間10分と、10分とはいえバスの方が早い。運賃も筑肥線1,140円に対しからつ号1,030円と、バスの方が110円安い。車内設備も筑肥線は一般的な4扉ロングシートの通勤型電車なのに対し、からつ号は4列ながらリクライニングシート。しかし定期運賃は筑肥線の方が安いため、定期客は筑肥線、定期外客はからつ号という棲み分けがなされているのだろう。今回は西唐津唐津─天神・博多(東比恵箱崎宮前・六本松まで有効)の2枚きっぷを利用したため、片道930円相当で乗車できた。しかし、からつ号も4枚3,000円=片道750円相当の回数券を発売しており、運賃面での競合は激しい。

唐津の次、和多田駅のすぐ手前で山本・佐賀・伊万里方面への唐津線と分かれ、和多田駅を出たところでかつての筑肥線が渡れなかった松浦川橋梁を渡る。たしかに長い橋で、遠くにはさっき眺めた松浦橋や唐津ロイヤルホテル、宝当桟橋や唐津城が眺められた。松浦川橋梁を渡りきると東唐津駅。駅前には病院があり、病院帰りと思しき高齢者の乗降がそこそこ多い。東唐津を出たところで1983年開業の新線区間は終わり、再び地平の単線を走るようになる。

f:id:stationoffice:20180831044229j:image松浦川橋梁を渡る
f:id:stationoffice:20180831044231j:image東唐津駅から山本方面へ続いていた線路跡を横切る。うっすらと線路敷らしき跡が残る

次の虹ノ松原駅は、文字通り虹の松原の最寄駅。4.5kmにわたり松林が続く、江戸時代からの名勝である。駅名標はなぜか「虹の松原」となっていたが、単なる誤記とも思えない。北九州鉄道時代はたしかに「虹の松原駅」であったのが、1937年に国鉄筑肥線に転換された際に「虹ノ松原駅」に改められた歴史はあるが…JR九州標準の駅名標はどこへやら、筆文字の年代モノの駅名標だけが掲げられている。まさか80年前のものではないだろうが、その経緯が気になるところだ。

f:id:stationoffice:20180831044503j:image小さな木造駅舎が残る虹ノ松原イオンモール最寄駅という一面もあり当然ICカード対応
f:id:stationoffice:20180831044506j:image筆文字の駅名標が残る。国鉄標準のスミ丸ゴシックでもない独自の様式

次は浜崎(はまさき)。現在は唐津市だがかつての東松浦郡浜玉町(はまたまちょう)の中心駅で、唐津市街からの買い物帰りと思しき乗客が降りていく。唐津から乗っていた8人グループのおばちゃんも、浜崎で半分くらい降りた。また会えるだろうに、相当名残惜しそう。浜崎では乗車よりも降車の方が多く、唐津都市圏が概ねこのあたりまでであることが察せられる。

浜崎を出ると県境を越え、次の鹿家(しかか)は福岡県糸島市(旧・糸島郡二丈町)。この間5.2kmにわたり駅が無く、電車は6分かけて海辺のぐねぐねとした線路を辿ってゆく。筑肥線で最も地形が険しいあたりで、ここが佐賀と福岡、そして肥前筑前の境目なのも道理。

f:id:stationoffice:20180831044817j:image海辺に沿ったわずかな平地を国道と分け合う

海岸線沿いに国道と線路が並び、次々とトンネルをくぐる線路の様子は、関東で言うなら伊東線あたりの景色を彷彿とさせる。反対に言うならば、伊豆半島並みに険しい地形のなかを、6両編成の地下鉄直通電車が走っているというのも、全国的にも珍しい光景のように思う。鹿家で2分停車し、103系3両の普通西唐津行きと交換。単線ながら交換待ち時間は殆ど無く、各駅停車の割には案外スピード感のある走りだ。

f:id:stationoffice:20180831044952j:image

糸島市内に入っても福吉、大入(だいにゅう)は海辺の小駅といった感じで、快速は停まらない。しかし次の旧糸島郡二丈町の中心駅・筑前深江はまとまった市街地を形成しており、朝晩には福岡空港方面からの折り返しもあることから、徐々に乗客が増えてくる。やけにきれいな駅だと思ったら橋上駅舎化して間もないらしく、都市鉄道の駅としてレベルアップしつつある様子が見て取れる。駅名に冠される旧国名肥前○○から筑前○○に変わり、県境を越えたことが駅名からも見て取れる。

f:id:stationoffice:20180831045032j:image筑前深江で6両編成の普通西唐津行きと交換

筑前深江を出ると田園風景となり、地形の険しさは影を潜める。筑前深江を出て3つ目はいかにもな駅名の新駅・美咲が丘で、駅周辺は絵に描いたような新興住宅地。1面1線ながら2番線を増設できる準備がなされており、宅地化の波が筑前前原を越えて及んでいることがわかる。

西唐津から48分、13:52に筑前前原(ちくぜんまえばる)着。4分停車して時間調整。西唐津を出て以来単線だったが、ここから先は複線に変わる。列車本数も単線区間は約30分間隔だったが、ここからの複線区間は約15分間隔。3両編成ワンマン運転西唐津からここまでで、3両編成の場合はここで6両編成に乗り換え。この電車は西唐津から6両編成だったため、時間調整のみで発車。座席が完全に埋まり、ここからの乗客は立ちとなる。複線区間に入ると途端にマンションが増え、完全に福岡都市圏に入ったことがわかる。

f:id:stationoffice:20180831045302j:image糸島市の中心・筑前前原駅。シンボルは銅鏡でヤマト政権以前の伊都国(いとこく)があったとされるところ
f:id:stationoffice:20180831045300j:image折り返しが多いためホームは一定しないが、折り返し列車同士は対面接続となる
f:id:stationoffice:20180831045256j:image1番線で待機する福岡市地下鉄1000系。地下鉄車は基本的に筑前前原までの乗り入れ
f:id:stationoffice:20180831045306j:image発車を待つ西唐津福岡空港行きJR303系

筑前前原─波多江間の新駅・糸島高校前駅予定地はロータリー造成中といったところで、2019年度開業予定の駅の構造物は何もなかった。波多江、周船寺(すせんじ)を経て次の九大学研都市では、学生をはじめ多数の乗降があり、ホームドアも稼働中。九州大学伊都キャンパスの開校と同時に開業した駅で、箱崎・六本松など都心に存在したキャンパスを移転・拡大統合した(賛否両論あるが)、九州の新たなる知の拠点である。

筑前前原─姪浜間には先の糸島高校前をはじめ、九大学研都市(2005年開業)、下山門(1986年開業)と新駅が多く、電化前の駅間にほぼ1駅ずつ新駅が並び、それも福岡都心から離れるにつれて駅が新しくなっていくため、都市化の進展を窺わせてくれる。

ここまで来るともはや玄界灘沿いの長閑な単線を走っていた電車の空気は残っておらず、本当に西唐津からこの電車に乗っていたのかどうか、自信がなくなってくる。それほどまでに筑前前原の前後の環境の変化は劇的だ。数ある地下鉄・郊外鉄道の直通運転のなかでも、福岡市地下鉄空港線・JR筑肥線の直通運転はかなり際立った環境の変化を見せてくれる路線と思う。

九大学研都市を出てもう家並みは途切れないだろう、と思ったがそれも束の間、次の今宿(いまじゅく)を出たところで再び山が海岸まで迫ってきて、線路もまた海辺に押し出される。上り線はその名も長垂山(ながたれやま)を迂回するが、下り線はトンネルでショートカットする。この区間を含む今宿〜下山門(しもやまと)間の複線化は2000年と遅く、この近辺の都市化がつい最近であったことが察せられる。山越えとなるのはこの今宿〜下山門間が最後で、3.6kmにわたり駅がないため、家並みも一旦途切れる。それだけに緑が残り、長垂公園は海水浴やバーベキューの名所となっているようだ。

下山門を出ると、次は地下鉄空港線とJR筑肥線の境界駅にして、2面4線の立派な高架駅である姪浜(めいのはま)。筑前前原からの筑肥線は15分間隔だったが、姪浜からは地下鉄線内折り返し電車が更に増え、7〜8分間隔の頻繁運転になる。西唐津を出るときは30分間隔だったのが、姪浜を出るときになると7〜8分間隔・4倍の運転本数となる。重ねて言うが、同一路線内でここまで環境が激変するのは珍しい。8分後に続く姪浜始発が既に扉を開けて待っているが、そんなことはお構い無しに立客多数の西唐津発に乗り込んでくる乗客ばかり。姪浜から天神は僅か15分なので、着席に拘らない向きの方が多いのだろう。

姪浜を出たところで地下に潜り、外の様子は見えなくなる。福岡ドームなどが位置する百道浜(ももちはま)地区への最寄りとなる西新(にしじん)からは箱崎線直通貝塚行きが加わり、貝塚線が分岐する中洲川端までは約5分間隔と、更に電車が増える。ここまで来るとつり革もほぼ埋まってきて、もはや単線区間からの乗客がどれほど残っているかはわからない。乗るばかりでなく降りる乗客も徐々に増え、大都会・福岡の真ん中に入りつつあることがわかる。

そして14:30、福岡の中心地たる天神に到着。車内の八割方が降り、自分も天神で降りた。入れ替わりに天神から博多・福岡空港方面へ向かう乗客がなだれ込んでいく。差し引き同じくらいの混雑率になって、福岡空港行きは天神を出て行った。6両編成からごっそり降りた乗客でホームや階段は人だかりになり、エスカレーターの麓には行列が伸びる。

f:id:stationoffice:20180831050815j:image天神を出発していく福岡空港行き。3分後に西新発貝塚行きが続行してくる

改札口は複数あり、西鉄天神大牟田線の駅や、やや離れた地下鉄七隈線天神南駅へは天神地下街で結ばれる。人の流れが交錯し、買い物客やビジネス客、そして観光客とありとあらゆる人々が交わりあう。さっきまで長閑な呼子の港にいて、ガラガラの筑肥線に揺られてきた身からすると、その変わり身の早さに呆気にとられる。

f:id:stationoffice:20180831051003j:image福岡(天神)と博多を分かつ那珂川からキャナルシティ博多を望む

ここが九州一の大都会、福岡・天神なのだ。

 

(つづく)

27.昭和バス呼子線 -幻の「JR呼子線」とイカと朝市の町- #佐賀

「昨日はお客さんが溢れて大変。ばってん今日は平日だけんゆっくりしたもんだ」

呼子朝市通りのおっちゃんが呟く。土休日ともあらば、決して広くない朝市通りは観光客で大賑わいになるようだ。

f:id:stationoffice:20180827162629j:image平日でもそこそこ人出がある呼子朝市通り

松浦川右岸に残る「東唐津

翌6/25、「唐津第一ホテル リベール」で目を覚ました。松浦川左岸の河口、松浦橋の袂に位置するこのホテルは、交通アクセスにやや劣る代わりに朝食や大浴場が充実しており、松浦川の眺めも申し分ない。爽やかな朝を迎えられた。

そして、松浦川の対岸に建つ大きなホテル、「唐津ロイヤルホテル」こそは、かつての筑肥線経路変更前の東唐津駅跡地である。

f:id:stationoffice:20180826225850j:image松浦橋の対岸に唐津ロイヤルホテル、奥に高島を望む
f:id:stationoffice:20180826225846j:image左奥が宝当(ほうとう)桟橋。高島(右、宝当神社)への定期船が出る

f:id:stationoffice:20180827033805j:image呼子名物いかしゅうまいが朝食バイキングで出てきたのは嬉しかった。周りだけでなく中身もイカづくし

唐津へと最初に到達した鉄道は、現在の唐津線である。唐津興業鉄道の手によって山本─唐津─妙見(現・西唐津)間が1898年に開通。1903年長崎本線と接続する久保田まで全通し、佐賀方面と結ばれている。1909年に国有化され、この時に唐津線の名がついた。

しかし唐津線は博多方面へは遠回りであったことから、博多─唐津伊万里間を短絡ルートで直結すべく、1925年に北九州鉄道(現・筑肥線)が新柳町(福岡市中央区)─東唐津間を開通させ、この時初代東唐津駅が置かれた。唐津市街地には既に唐津線唐津駅があったものの、川幅だけで500mもある長大な松浦川に鉄橋を架けることができず、やむなく松浦川の対岸に東唐津駅を置くことで代替としたもの。筑肥線唐津線の接続駅は松浦川を7kmほど遡った山本駅とされ、山本駅は博多─東唐津─山本─伊万里間の筑肥線と、佐賀─山本─唐津西唐津間の唐津線がX字に交差する接続駅となった。

こうして唐津市には、博多方面へのターミナルとなる東唐津駅・市街中心部かつ佐賀方面への唐津駅筑肥線唐津線の接続駅となる山本駅という3つのターミナル駅が分立することとなった。このうち最も賑わったのは、松浦川を隔てて市街中心部とは2kmほど離れていたものの、やはり九州最大の都市たる博多方面へのターミナルとなった東唐津駅であり、みどりの窓口も佐賀方面へのローカル列車が発着するだけの唐津駅ではなく、東唐津駅に置かれていた。駅構内には車両基地も併設され(東唐津気動車区)、筑肥線の一大拠点となっていた。

f:id:stationoffice:20180827010330j:image東唐津駅移転前、1980年12月の時刻表。東唐津駅にはみどりの窓口および駅弁販売ありのマークがつき、博多─東唐津間の区間列車も多かった。筑肥線途中駅最大の拠点として機能した様子が窺える。しかし博多─唐津間の列車本数は今の半分もなかった

この名残として、かつての駅周辺には「東唐津」の住所が残っているが、1kmほど南に移転した現在の東唐津駅と離れてしまっている。また、現在の東唐津駅付近では土地区画整理事業が進められているが、この事業名は「新東唐津駅土地区画整理事業」となっており、旧駅との混同が防止されている。

東唐津駅とは実在しない駅名で、いっそ駅名を「新唐津駅」としても良かったんじゃないかと思うが、そこは東唐津の名が消えることを惜しんだ人たちがいるのだろう。旧駅からは現・東唐津駅も、この時同時に出来た和多田駅も大差ない距離だが、「松浦川右岸に出来た新しい駅」に東唐津の名を託したのだと思うと、駅名ひとつとってみてもドラマを感じるかのようだ。

呼子線玄海原発

そうした状況において1961年に建設が持ち上がり、1968年に着工されたのが「呼子線」である。呼子線筑肥線虹ノ松原駅(東唐津の一つ博多寄り)で筑肥線から分岐し、松浦川を渡って唐津線唐津駅に乗り入れ、唐津西唐津間は唐津線と共有し、西唐津呼子間は新線を建設するという計画だった。

f:id:stationoffice:20180831102257j:plain筑肥線旧線(茶色)と呼子線(青色)の関係。呼子線虹ノ松原唐津(─西唐津)間の開通と引き換えに虹ノ松原─(旧)東唐津─山本間が廃止され、同時に呼子線筑肥線編入された。西唐津呼子間が開通することはなかった。※Google Mapに加筆。それぞれの路線の位置は正確なものではありません。

呼子線は、実質的に博多方面への筑肥線唐津市街地の唐津駅へと引き込む役割を持っており、現にこの区間だけは1983年に開通したものの、西唐津以遠は非電化のローカル線として計画されていた。結果的に西唐津呼子間は開通することは無かったが、呼子線を単なる未成線と片付けるには、少々奇妙な点が多いように思う。

まず、呼子から先への延伸計画もあるにはあったが、例え延伸したとしても行き着く先は伊万里唐津伊万里間を結ぶ役割は既存の筑肥線で十分だったし、例え西唐津呼子伊万里間が開通したとしても、呼子伊万里間は西唐津呼子間以上の人口希薄地帯。呼子伊万里間を延伸したとしても筑肥線の遠回り並行路線となるだけ。つまり西唐津呼子間は行き止まりの盲腸線となる可能性が高く、鉄道ネットワークのミッシングリンクを埋めるわけでもなかった。なお、現在呼子伊万里間を結ぶバスは無く、途中全くバスが絶えている区間もあるため、公共交通機関でこの区間を移動するには一旦唐津を経由しなければならない。

また、旧・呼子町の人口は5,800人と、新線を建設するに値する規模でもない。それに、呼子は漁港ではあったが貿易港ではなく、海産物以外の大口貨物輸送が見込めた訳でもない。

さらに加えて、呼子線が着工された1968年といえば、国鉄が「赤字83線」を発表し、路線拡大にひた走ってきた国鉄が初めて新線建設にブレーキをかけた時期にあたる。唐津付近でも、短距離の盲腸線だった唐津線岸嶽支線(山本─岸嶽間4.1km)が1971年に廃止されている。

このように、旅客・貨物ともさほどの需要が見込めず、鉄道を必要とした理由も薄く、ミッシングリンクを埋めるわけでもなく、おまけに新線建設に殊更慎重になっていた時期に、なぜ呼子線が計画されたのであろうか。

ここからは推測の域を出ないが、九州電力玄海原発の立地が少なからず呼子線の誘致に関係しているように思う。玄海原発の計画が発表されたのは1968年6月と、呼子線が着工された1968年3月と奇妙に一致する(発表は1961年)。1971年には玄海原発1号機が着工、1975年には初臨界に至っている。

明治以来この地域を支え続けた炭鉱閉山後、残された産業といっても農林水産業以外に大して産業もなかったこの地域に、玄海原発がもたらしたものは極めて大きかったことだろう。玄海原発の成功を見てかどうか、隣の長崎県でも松浦火力発電所が1990年に発電を開始しており、東松浦半島玄海原発北松浦半島の松浦火発と、玄界灘沿岸には大規模な発電所が並ぶことになった。

玄海原発が直接立地する玄海町には、電源三法交付金制度などによって数多の補助金がもたらされるのに対して、その周辺地域となる呼子町などには、直接のメリットがあるわけではない。そのせめてもの埋め合わせとして、玄海町周辺よりも需要が見込める西唐津呼子間に鉄道建設が計画されたというのも、想像に難くない。

ともあれ、着工はしたものの西唐津呼子間は開業に漕ぎ着けられないまま1980年の国鉄再建法施行を迎え、一切の工事がストップしてしまった。対照的に、虹ノ松原唐津間の市街区間は工事がストップするも、唐津市の陳情によってきわめて例外的に再開し、1983年の開通を無事に迎えることができた。この時、筑肥線は電化・福岡市内区間(博多─姪浜)の一部廃止/地下鉄空港線への直通運転開始・虹ノ松原唐津間の開通という3つの近代化を同時に成し遂げ、旧態依然としたローカル線が大都市近郊路線へと生まれ変わったのである。

・アクセスに恵まれない呼子

呼子町呼子駅予定地周辺に住宅団地を造成するなど、呼子線を迎える準備を着々と進めていたようであるが、ついに呼子へ鉄道が来ることは無かった。博多・天神〜唐津を結んだ昭和バスのうち、一部の路線バスが呼子まで延長運転した時期もあったが、筑肥線の利便性向上によって昭和バス自体が打撃を受け、長続きしなかったようだ。

2004年に昭和バスが高速バス「よぶこ号」5往復/日の運転を開始し、博多バスターミナル西鉄天神高速バスターミナル〜唐津大手口バスセンター〜呼子間が直結されるも、やはり長続きせず、2011年に廃止されている。

現在の博多・天神〜唐津呼子間のアクセスとしては、博多・天神〜唐津間の昭和バスの高速「からつ号」と、同じ昭和バスの一般路線バス「呼子線」を唐津大手口バスセンターで乗り継ぐか、JRを利用する場合は電車の終点・西唐津駅で同じく昭和バス「呼子線」に乗り継ぐことになり、どちらも所要1時間半程度。

高速バスネットワークが大いに発達している九州において、呼子は珍しく大消費地たる福岡への直通手段がないという、いささか不便な状況が続いている。また、同じ佐賀県内でありながら呼子伊万里間がバスで繋がっておらず、福岡⇔伊万里・有田・平戸・佐世保方面への周遊観光ルートに組み込めないのも痛いところ。現状は唐津の先のどん詰まりであり、「呼子の朝市」で全国に知られながらも、行くまでのハードルがなかなか高い。

福岡から日帰りできる手頃な観光地であるにもかかわらず、なかなかアクセスに恵まれない呼子。需要がないわけではないのだろうが、どうも呼子絡みの交通の整備は長続きせず、うまくいかないような話が目立つ。

・外国人多数!昭和バス呼子線

前置きが長くなりすぎたが、いよいよ昭和バス呼子線に揺られてみよう。

松浦橋たもとのホテルから、昭和バス呼子線の始発である「宝当桟橋」バス停までは、松浦川沿いに徒歩15分。ほぼ川沿いの遊歩道を進むだけだったので、迷わずに着いた。

f:id:stationoffice:20180827022024j:image東唐津駅へ通じる松浦橋の青看板にも現「東唐津駅」の文字
f:id:stationoffice:20180827022028j:image海の向こうに唐津城を望む。大隈重信の生誕地を記念して誘致された早稲田佐賀中高も隣接する

宝当桟橋バス停は昭和バス最大の拠点である唐津本社営業所に隣接…というか広大な営業所の中にある。2時間に1本程度の高島航路への連絡というよりも、営業所の入出庫回送ついでの営業運転という側面の方が大きいようだ。その証拠に、全ての便が宝当桟橋始発というわけではなく、3分の1程度は市街中心部の唐津大手口バスセンターで折り返す。案の定、宝当桟橋からの乗客は自分だけだった。

長崎県内の西肥バスnimoca(西鉄系列の交通系ICカード、全国相互利用対応)が使えず、県内のみ流通する長崎スマートカードのみの対応であったが、昭和バスは福岡に隣接するからか、呼子線のような一般路線バスでもnimoca対応。整理券を取ったり降車前に両替で慌てなくていいのは助かり、これだけでも相当な不安要因の軽減に繋がる。もちろん運賃表はあるのだが、「次の○○まで○○円」といった書き方しかできないので、自分の目的地までいくらかなのは、乗務員さんに聞くか、予め携帯で調べるかしないとわからない。その点、タッチしさえすれば運賃の支払いができるICカードは、見知らぬ土地のバスであっても頼りになる。

9:39、宝当桟橋発。昭和バス呼子線呼子行き。

f:id:stationoffice:20180827022613j:image高速車、路線車、コミュニティバスと様々なバスが居並ぶ
f:id:stationoffice:20180827022616j:image営業所の真ん中にある宝当桟橋バス停
f:id:stationoffice:20180827022619j:image呼子線は中型ノンステップバスの運行だった
f:id:stationoffice:20180827022624j:image宝当桟橋からの乗客は自分だけ

5分ほどで唐津市内中心部の「唐津大手口バスセンター」に至る。ここで多くの乗客を迎え、座席が埋まる。驚くのが外国人観光客の多さで、15人ほどの乗客のうち、アジア系外国人観光客が7人。残りが地元客で、日本人観光客は自分だけだった。九州はアジア系外国人観光客が抜きん出て多いと聞くが、福岡からも近く、日本の港町の風景を残す呼子は人気があるのだろうか。

f:id:stationoffice:20180827024739j:image唐津大手口バスセンターを出発。2011年に近代的なビルになった

f:id:stationoffice:20180827033451j:image唐津大手口バスセンターから多くの乗客を迎え、体裁が整った

唐津大手口バスセンターは昭和バス最大のターミナルで、唐津市役所やまいづる百貨店本店ショッピングプラザ(日本百貨店協会非加盟。百貨店共通商品券は使えない)に隣接し、JR唐津駅よりも中心部に近い。

ただ、JR唐津駅とは徒歩7分の距離があり、JRとの乗り継ぎには少々難がある。唐津中央商店街がこの間を結んでいるものの、この昭和バス呼子線をはじめ唐津駅前を通らないバスが大半。立派な唐津駅前広場がほぼタクシー乗り場としてしか機能していないのは、公共交通機関同士の連携という意味では明らかにマイナスだ。高速バス「からつ号」は唐津駅の近くに停車するがそれでもロータリーには入らず、停留所名も「アルピノ前」と、頑なに駅前を名乗らない。福岡─唐津間でJRと昭和バスはライバル関係にあるとはいえ、もう少し遠来の者にも配慮すべきだろう。

しばらく唐津市街地を走るうちにもう3人ほど乗せた。電車の終点かつ「JR呼子線」の起点「西唐津駅前」でも2人を乗せ、総勢20人ほどになった。余談だが、JRとバスの仲が悪い場合、単に「西唐津」とだけ名乗ったりして駅の存在を隠す例も散見されるのだが、ここはちゃんと「西唐津駅前」を名乗っている。唐津大手口バスセンターと唐津駅の仲の悪さからすると対照的だが、やはり「JR呼子線」絡みの何かがあるのかもしれない。

西唐津駅前を過ぎると山間に入っていく。昭和バス呼子線は終日1〜3本/h程度と、そこそこ運転本数も多いものの、そのうち3分の2程度は唐津呼子をほぼ直線で結び、東松浦半島を横切る短絡ルートを採る。「JR呼子線」は半島の海沿いを辿るルートの計画であったが、そちらを通るバス(『湊経由』と案内される)は7往復/日のみの運転。要は唐津呼子を直通する利用が大半であり、鉄道が開通したとしても「湊経由」の中間駅の利用はさほど多くなかっただろう。福岡・唐津ベッドタウンとして開発するにしても、このあたりは半島の丘陵が急に海へ落ち込む急峻な地形であり、大々的な開発は難しかったであろう。

そして、宝当桟橋から35分、唐津大手口バスセンターから30分、西唐津駅前から25分。東松浦半島の尾根を越えると、海へと転げ落ちるかのように呼子終点に到着する。今まで山の中を走っていたのに、海が見えてくるとか、観光施設の看板が目立ってくるとか、そういった前触れもなしにいきなり港町の真ん中に着くから驚く。それだけ呼子の地形が急峻であり、だからこそ古くからの天然の良港であったことがわかろうかというもの。

10:15、呼子着。

f:id:stationoffice:20180827032331j:image呼子に到着した昭和バス呼子線
f:id:stationoffice:20180827032322j:image小さな観光案内所を併設。外国語案内が増えたが設備は昔のまま
f:id:stationoffice:20180827032327j:imageバス代替のワゴンタクシーが呼子線に接続して各方面へと散る
f:id:stationoffice:20180827032339j:image支線がワゴンタクシーとなるのは9〜16時の閑散時間帯のみ
f:id:stationoffice:20180827032342j:image唐津呼子間は終日1〜3本/hの運転。朝夕は支線直通になる

呼子名物「イカの活け造り」を堪能

さて、呼子といえば函館と並ぶ「イカの町」であり、「朝市の町」である。朝市といっても函館のように5時6時からやっているわけではなく、7:30〜12:00と決められている。商品を売り切るか、おっちゃんおばちゃんが疲れたら撤収してしまうのだろうが、10時過ぎに着いても朝市の雰囲気を楽しめるのはありがたい。朝市通りをぶらぶらした後、名物のイカ活け造りを楽しむことにした。

f:id:stationoffice:20180827035410j:imageバスターミナル徒歩1分のアーチから朝市通りが始まる
f:id:stationoffice:20180827035354j:image朝市通りは約200m続く
f:id:stationoffice:20180827035343j:imageその場で割って食べるウニのまあ甘露なこと
f:id:stationoffice:20180827035402j:image朝市通りから一本海側に出るともう岸壁
f:id:stationoffice:20180827035347j:imageどっしりとした銀行支店が構えるのは古い町の証拠

f:id:stationoffice:20180827040433j:image大小様々な漁船が集う
f:id:stationoffice:20180827035406j:imageイカ料理店の座敷に上がる。呼子漁港を一望できた
f:id:stationoffice:20180827035350j:imageコレが噂のイカ活け造り。まだ体液が活発に循環しているほど
f:id:stationoffice:20180827035358j:image透き通ったイカの刺身は硬さや臭みや粘り気が全く無い
f:id:stationoffice:20180827035414j:imageゲソの部分は天ぷらにしてくれる

西唐津駅

12:19、呼子発。昭和バス呼子線唐津大手口バスセンター・宝当桟橋行き。

f:id:stationoffice:20180827042115j:image唐津行きのバスは「大手口(唐津バスセンター)」をかなり強調

呼子の町は食事の時間を含めても2時間で十分廻れる程度で、市街地が漁港の周囲に凝縮されているため、歩き疲れないちょうどいい範囲で散策が楽しめた。

ただ、有名料理店や道の駅といった施設は少々離れた国道沿いに点在しているし、朝市通りにも捕鯨の旧家「中尾家住宅」が公開されているなど、観光スポットが他にも無いわけではない。もっと居ようと思えば居られたが、そろそろ福岡に戻らねば福岡を歩く時間が無くなってしまうので、少々駆け足だが切り上げることにした。

呼子からの乗客は行きと同じ15人ほど。平日の昼間でもこれだけ乗っているのは、地方の一般バス路線にしてはよく乗っている部類だ。唐津大手口まで30分と、長すぎず短すぎずな距離であることもプラスだろう。

ただ運賃は750円(西唐津駅前までなら700円)と、決して高くはないが安くもない、地方の一般路線バスとしては標準的な部類であるが、日常的に払うには少々値段が嵩む。「このバスは自治体からの補助金で運営されています」といった旨の放送まで流れており、幹線とはいえ安閑としていられない状況であることも透けて見える。

行きと同じく東松浦半島の尾根を越え、今度はゆっくりと海に近づいていくと、やがて西唐津の市街地へと入ってゆく。

12:44、西唐津駅前着。

f:id:stationoffice:20180827042403j:image駅の目の前にバス停がありJR乗り換えは唐津駅よりも至便

ここで筑肥線に乗り換え、福岡方面を目指す。

(つづく)

26.JR筑肥線(伊万里-唐津) -伊万里の未来を拓く"伊萬里百貨店"- #佐賀

鉄道の衰退を象徴するかのように、駅構内が道路によって分断されてしまった伊万里駅。鉄道にとっては危機的状況ではあるが、実はこの街に市街地復権、ひいては地方都市の未来を拓く種が蒔かれている…そこには、地元・伊万里を愛するアツい人々の姿があった。

f:id:stationoffice:20180823224338j:image左に続くはずの西九州線が無い。繋がっていたレールが断たれた

・駅の分断を乗り越えて

1898年に有田─伊万里間開業、1930年に松浦方面へ延伸、1935年に現筑肥線が博多方面から到達し、現在の路線網が形成された伊万里駅。しかし1988年に旧松浦線松浦鉄道西九州線に転換され、直通運転が無くなった。往年は博多から唐津伊万里を経由して平戸口、佐世保へ向かう結ぶ急行「平戸」が走ったルートである。しかしこの頃には筑肥線も西九州線も、長距離列車に対応した長いホームに時折1〜2両の普通列車が発着するだけのローカル線と化し、その重厚な設備を完全に持て余していた。

2002年の伊万里駅改築を機に、東西に長かった駅構内を縦に分割し、東側駅舎の筑肥線、西側駅舎の西九州線の間を、新たな都市計画道路が通ることになった。長大編成の発着もなく、筑肥線と西九州線の直通列車も一本もないという実態に合わせ、大きな駅一つを小さな駅二つに分割し、間に道路を通したというわけだ。

このようなケースでは駅を跨ぐ高架橋を架けるか、アンダーパスを通し、駅自体には手をつけないという事例が多い中で、その実態に合わせて駅自体を割るというのは、ほとんど例がない。工費も高架やアンダーパスより安く、画期的な手法だと思う。

しかしこれによって筑肥線と西九州線を結んでいたレールが断たれ、物理的にも直通運転が不可能になってしまった。新たな軸をつくり再開発を促すという意味では、市街地にとってはチャンスであっても、鉄道にとってはマイナスになりかねない事例でもある。

そのような選択をした伊万里駅をこの目で見ようと思い、西九州線で伊万里駅に辿り着いたのは6/24(日)の19:16。観光客はとうに姿を消し、地元客がぽつぽつと駅前にいる適度であった。

f:id:stationoffice:20180823113221j:image松浦鉄道側の西駅舎。二階に「伊万里・鍋島ギャラリー」が入居し、無料で鑑賞できる。列車本数もJRより多いので利用者も多い
f:id:stationoffice:20180823113225j:image西駅舎とJR側の東駅舎を繋ぐデッキ。駅舎内にエレベーターがありバリアフリーにも対応

f:id:stationoffice:20180823113131j:image東駅舎の更に隣にはJR単独の駅舎もある。みどりの窓口もこの中
f:id:stationoffice:20180823113123j:image駅舎間を貫く幹線道路と駅前ロータリーに入る西肥バス。市内の交通ターミナルとして機能している

f:id:stationoffice:20180823120815j:image駅前通りでは大きな古伊万里の美人像が出迎える
f:id:stationoffice:20180823120819j:image通常の数倍の大きさの古伊万里はさすがの迫力

・不思議なお店"伊萬里百貨店"との出会い

西駅舎併設のギャラリーが17時クローズで、駅周辺の見所はもうあまりなかったため、早めに駅に戻ってきた。20:30発筑肥線最終唐津行きまで1時間、どう時間を過ごそうかと思案した末、東駅舎に併設されていたお店に入ってみた。外に向けては蜂蜜を宣伝するポスターがあり、でも中には伊万里焼の大皿・小皿があったり、カフェのようなコーヒースタンドがあったり…。売店ともカフェともつかぬ、実に不思議なお店だった。

「このお店ですか?そうですね、私どもでも何屋かよくわかりませんね(笑)」

そう気さくに答えてくれたのは、この不思議なお店「伊萬里百貨店」のスタッフ、村上さんだった。

f:id:stationoffice:20180823112932p:image本業はIT関係という村上武大(むらかみたけひろ)さん

伊万里駅の近くに、ゆっくりできるカフェや、観光客の方々に伊万里を発信できるスポットがあまりなかったんですよね。だったら、自分たちがカフェでも、雑貨屋さんでも、なんでもやってしまえばいいんじゃないかと。そう思って、今年の5月に開いたばかりなんです」

確かに、駅前を一周しても目立つのは旧駅舎跡に建つ平屋のローソンくらい。伊万里駅前は、焼物のまち「伊万里」の知名度の割に、気軽に入れる喫茶店や、ちょっといいお土産を選べるようなお店に乏しい印象を受ける。

村上さんと話していると、もう一人の方もお話に加わって頂いた。村上さんはNPO法人「まちづくり伊万里」の副理事長、そしてもう一人の早田さんは理事長なんだそう。そして、そのNPOが「伊萬里百貨店」の運営主体になっている。まさか理事長と副理事長が直々に切り盛りされているとは思わなかった。

「私の本業は文房具屋で、村上はウェブ関係なんですけどね。なんの因果か、こうしてお店に立っていますけれども(笑)」

お二人とも本業が別にあるといい、そのことにも驚く。こうして地元のために働く人々がいるからこそ、現代の「地方」がなんとか支えられていることを痛感する。

地域活性化と銘打ってイベントを開いても、結局はその場限りのお祭り騒ぎをやって終わりで、確かに人出はあるけど『これが地域活性化なのか?』と言えば、それはちょっと違うな、と。何度かやりましたが、イベントはあくまで一過性で、続きがないんです」

皆が思っている違和感そのものだろう。イベントに携わってきた方だからこそ言えることだ。

f:id:stationoffice:20180823155932j:image店頭の紹介文。イベントや補助金に頼らないという力強い決意が述べられている

焼物だけではなく、稀少な蜂蜜だったり、海の幸山の幸を盛り込んだジェラートを開発したり、コーヒーに至るまで"松浦鉄道沿線のコーヒー店の豆を使う"というこだわり様。まさに伊万里のいいものを掘り起こし、時に自らプロデュース・開発し、国内外に発信してゆくのがこの「伊萬里百貨店」というわけだ。なるほど、それで陳列されている品物が多岐にわたり、村上さん自身「何屋かよくわからない」のも道理。

ほかのお客さんもいなかったので、地元のコーヒーを片手に話が弾む。

f:id:stationoffice:20180823160751j:image
f:id:stationoffice:20180823160747j:image伊万里といえばやはり焼物。大皿は手に届かなくても、持ち帰りやすく手に届く値段の中・小皿を取り揃える。村上さん自ら足を運んで揃えた品々だそう

話はいつしか駅舎の話になった。

「あれはね、前の前の市長がやったことなんですよ。昔の南側には何も無かったんですけど、駅が分かれて道路が通ってから、南側もだいぶ拓けました。そういう意味では、確かに地域活性化に貢献している面もありますが、地元での評価は賛否両論、という感じですね」

旧駅舎は北口しかなく、また駅を跨ぐ道路も無かったため、駅の南側へは大きく迂回しなければならなかった。そこで駅舎の東西分割に合わせ、北口の駅舎に突き当たって止まっていた駅前通りをそのまま南へ延長して、市街地中心部を貫く幹線道路を新設。駅南北の均衡ある発展を目指したというわけだ。

確かに、駅の南側にはガストやマックスバリュといった大手資本の店が建ち並び、駅前でありながらどこか郊外のロードサイド的な街並みになっている。それはやはり、駅を貫く道路ができてから造られた街だから、ということなのだろう。

唐津伊万里、そして平戸、九十九島佐世保といった、観光地を結ぶかなめの位置に伊万里があるわけですから、筑肥線と西九州線の直通ができなくなったのは、『ななつ星』のような周遊観光列車を誘致するにあたっては痛いところです。私自身は鉄道が好きなので、博多や小倉に出向く時は、西九州線で有田に出て、そこから佐世保線の特急みどりに乗るくらいなんですけどね」

鉄道のネットワーク性の喪失という意味においては、村上さんの指摘は尤もな話だ。行き止まりの線路を単純に往復するよりも、一周できる周遊ルートを構築する方がロスがなく、JR九州の「ななつ星」のようなクルージングトレインには適しているのは言うまでもない。

ただ、伊万里駅の改築は2002年。その時代において、筑肥線と西九州線の直通復活などは非現実的な話であったことだろう。加えて、筑肥線も西九州線も、1〜2両の気動車の運転に特化した設備へのスリム化が進んでいる。「ななつ星」のような長大編成の列車を受け入れるには、それ相応の設備を要する。線路があるからといって、あらゆる列車がすぐに走れるわけではない。「ななつ星」のような長大編成の列車が、再びこうしたローカル線に走るようになる時代が来るのは、予想もつかなかったことだ。東駅舎と西駅舎をつなぐデッキ部分の下に、筑肥線と西九州線をつなぐ踏切ができれば・・・。

「今は"百貨店"を名乗るには品揃えが満足できませんが、いずれ百貨店レベルにしていきますよ。尤も、それまでお店が続いていればの話ですけど(笑)」

…その心配は杞憂だろう。早田さん、村上さんのような心強い方々がおられる限り、地方はまだまだ元気になれる。自分ができることは何だろうか───その答えを見つけるために、自分は旅を続けているのかもしれない。

何屋さんかわからないけど、このお店を訪れれば、焼物だけではない伊万里の魅力に触れられる。ありがちな売店や食堂とはひと味違う、これからのスタイルを先取りするよう。ユニークな"百貨店"に、伊万里で出会った。

f:id:stationoffice:20180823190839j:imageこれからが楽しみな"百貨店"だ

地域商社『伊萬里百貨店』

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筑肥線非電化区間の明日

伊萬里百貨店を後にし、筑肥線ホームへ向かった。

今の筑肥線非電化区間は9往復/日しか走らない。伊万里発で見ると、学校登校時間帯である5・6・7時台は続けて1本/h程度走るが、その次は3時間半も開いた11時まで列車がない。データイムの運行はこの11時と13時のみで、これは通院対応の設定であろう。そのあとは下校に合わせた16・17・18時にやはり1本/hずつ走り、その次となると20時でもう最終。

登校・下校の時間帯が1時間1本となり、若干幅をもたせてある以外はローカル線の実態そのもの。実際この9往復/日というダイヤは、曲がりなりにも都市間輸送の機能を持つ路線としては最小限のダイヤといっていい。線区単位ではJR九州でもっとも過疎区間であろう宮崎県の吉都線(きっとせん)も8.5往復/日と、筑肥線非電化区間とほぼ同じ水準。これより少ない区間となると肥薩線の県境区間(人吉〜吉松)が3往復/日、指宿枕崎線の末端区間(山川〜枕崎)が7往復/日といった程度で、ここまで来ると深山幽谷や半島の最奥部といった地勢が厳しい地域になってくる。筑肥線非電化区間の沿線はそこまでの遠隔地というわけでもないので、このサービスレベルはやはり最低限の水準と言えよう。

福岡からそう遠くないにも関わらず、なぜこんなに筑肥線非電化区間の本数が少ないのかといえば、それは福岡連絡の機能をほぼ喪失したからなのかもしれない。

例えば伊万里5:38の始発普通唐津行きは、終点・唐津で地下鉄空港線直通の快速福岡空港行きに2分で接続し、福岡の中心・天神到着は7:39。伊万里〜天神間83.0kmを2時間10分、運賃1,770円で結んでいる。他の列車でも概ね2時間20分程度で到達でき、これだけを見れば筑肥線非電化区間のサービスレベルが特段低いというわけでもないのだが…

似たような距離で比較すると、例えば鹿児島本線の長洲(熊本県)から博多の場合、長洲6:12発普通大牟田行き→大牟田2分接続・快速小倉行き→博多着7:55、81.2kmを1時間43分で結んでおり、運賃1,650円。電化・複線の鹿児島本線でもこの程度はかかるのだ。

同じ非電化区間→電化区間の乗り継ぎとなる例では、久大本線の日田(大分県)から博多の場合、日田5:25発普通久留米行き→久留米7分接続・快速小倉行き→博多着7:15、83.3kmを1時間50分、やはり運賃1,650円。こちらも筑肥線よりやや条件が良い。筑肥線のスピードの遅さには、筑肥線快速が福岡市内の手前、糸島市内の筑前前原から各駅停車となる点も影響していると思われる。

久大本線などの他線とさしたる時間差はないにも関わらず、同じ福岡80km圏内の各線のなかで、筑肥線は異様に存在感が薄いという状況にある。その理由の一つには、高速バス「いまり号」の存在が挙げられるだろう。

伊万里と同じ佐賀県内の唐津を地盤とする昭和バスの高速バス「いまり号」は、伊万里駅前〜西鉄天神高速バスターミナル(地下鉄天神駅直結)を1時間40分と、筑肥線よりも30分早い。運賃も筑肥線の1,770円に対して1,850円と、やや筑肥線のが安いが大差ない。本数も9往復/日しかない筑肥線に対し、伊万里発最終18:31発まで1〜2本/hがコンスタントに出発するというフリークエントサービスを提供。車内設備も旧来のボックスシートロングシートでしかない筑肥線に対し、バスはリクライニングシートを備える。

つまり、運賃が80円安い点と、福岡方面行きの最終が2時間遅い(逆に伊万里方面行きの最終はバスの方が2時間半遅い)以外、筑肥線が勝っている要素がない。

さらに、2018年3月ダイヤ改正まではあった伊万里21:59発最終唐津行き、唐津21:38発最終伊万里行きがJR九州全体の減量ダイヤ化のなかで削減されてしまった。伊万里唐津方面への最終の遅さが縮まり(元々伊万里21:59発最終唐津行きは福岡方面への接続はなかった)、また伊万里方面への最終が天神20:26→18:57と早くなった。西鉄天神高速バスターミナル21:12発が最終のバスに対し、さらに競争力が削がれてしまっているのも事実。都市間輸送の舞台からは、JRはもう白旗を上げつつある。

ただ、伊万里唐津間に絞ってみれば、筑肥線が9往復・所要50分・運賃650円で結んでいるのに対し、さしものバスも10往復・所要50分・運賃1,030円とこちらは振るわない。筑肥線に限らず地方都市一般で見られる現象ではあるが、だいたいJRに並行するバスは運賃が高い。高速バスと違い、街々を縫って走る路線バスは一般道を経由せざるを得ず、スピードが出にくい。

よって、このような地域では、JRが都市間直行の輸送を担い、バスが各集落と中心地を連絡する輸送を担うという、補完関係になることが多い。並行すれども競合せず、といったところだ。北松浦半島における横串の松浦鉄道西九州線と縦串の西肥バスの関係と違い、筑肥線も昭和バスも縦串ながら、その機能が違うのだ。

それにしても、JRに残った筑肥線が1日9往復にまで列車が減ったのに対し、赤字ゆえに切り離された西九州線の方が1時間1~2本を維持しているというのは、まったくもって皮肉というほかない。

・暗闇をゆく最終列車

さて、そんな状況を頭に置きつつ、その伊万里20:30発筑肥線最終普通唐津行きの発車10分前にホームへ向かった。終端駅ながらこの時間では駅員配置はなく、当然みどりの窓口も閉まっている。ただ券売機は稼働しており、唐津まで650円の乗車券を購入。当然、改札口は素通りである。

f:id:stationoffice:20180823024306j:image伊万里駅の分断を象徴する車止め

明治期に開業した歴史ある駅ながら、2003年の改築を経たまだ新しく、そして簡素なホームには、その歴史の厚みは感じにくい。ただ、駅名標伊万里焼の陶板で作られており、ここだけは焼物の町・伊万里らしさを強く感じられた。

1面1線の寂しいホームに、1両のキハ125形がちょこんと停まっていた。中央部はボックスシート、扉付近はロングシートというセミクロスシート構造で、まだボックスシートを一人で占領できる程度ではあったものの、程よく座席が埋まっていた。唐津まで行く乗客はボックスシート、短距離の乗客は扉付近で乗り降りしやすいロングシートと明確に分かれる傾向にある様子。発車前には、乗客は20名ほどとなった。日曜夜の最終列車とあっては、まあこんなものだろう。

f:id:stationoffice:20180823011229j:image焼物の街を強く印象付ける陶板の駅名標
f:id:stationoffice:20180823011226j:image起点から86kmのキロポストが建つ伊万里駅。博多〜姪浜間・虹ノ松原〜(旧)東唐津〜山本間の廃止・虹ノ松原唐津間開通後も博多起点で変わっていないようだ
f:id:stationoffice:20180823011233j:image発車を待つ最終唐津行き

20:30、伊万里発。筑肥線普通唐津行き。

伊万里を出るとほどなく市街地は終わり、郊外の住宅地となってゆく。伊万里から1.6kmの上伊万里駅はその住宅地が尽きかけたところにあるが、乗降共に無し。9往復/日の過疎ダイヤでは伊万里→上伊万里のみの利用はなく、市内交通としてはもはや機能していない。上伊万里を出ると暗闇となり、農地からやがて山間へ。東松浦半島の付け根を横切っていく。農地のただなかにある金石原も乗降無し。伊万里から12分、8.3kmの桃川(もものかわ)で初めて下車があった。

伊万里から19分、12.8kmの大川野で下り最終普通伊万里行きと交換。伊万里〜山本(唐津線との合流点)間25.7kmの中間地点であり、この区間唯一の交換駅である。驚くことに?あちらはキハ47形の2両編成で、座席もそこそこ埋まっていた。唐津で地下鉄空港線からの快速を受けての発車ということもあるだろうか、やはり福岡が控える唐津伊万里の流れの方が強いようだ。

f:id:stationoffice:20180823012657j:image下り最終伊万里行きと交換。どちらからも下車があった

暗闇の中を走っては時折無人駅に停まるという淡々とした走りが続く。伊万里から下車があったのは先程の桃川と大川野、佐里くらいで、乗降無しの駅が半分ほど。やはりバスに比べ安くてそこそこ速いJRの乗客は、伊万里唐津の乗り通しが半分以上に及ぶようだ。

肥前久保を過ぎたところで唐津線と合流するはずだが、いかんせん暗闇の中なので全くわからない。筑肥線唐津線の並行区間にありながら唐津線にしかホームがなく、あたかも複線区間の片方にだけホームがあるように見えることで有名な本牟田部駅が一瞬で飛び去ってゆくと、まもなく山本。

かつて山本は筑肥線唐津線がX字にクロスした要衝であったが、現在は佐賀への唐津線から、伊万里への筑肥線が分岐してゆくのみ。大きな木造駅舎が残っていたが、その広い構内を含め持て余し気味の様子。とはいえ唐津市街地の南の入り口にあたり、伊万里以来のまとまった市街地を形成する。山本では数人が降りたが数人が乗り込む。伊万里を出て初めての乗車だった。

最後の停車駅、鬼塚でも数人を乗せる。終点唐津を目前にした唐津線区間に入ってから、にわかに乗客が増えてきた。鬼塚を出ると高架に上がり、福岡方面からの筑肥線にしかホームがない和多田を掠めると、まもなく終点唐津に到着する。

唐津到着の時点で、乗客は伊万里発車時点よりもやや多い30人ほど。伊万里以外での乗車は唐津線に属する山本・鬼塚を除いて無かった。伊万里からの20人のうち15人が唐津まで乗り通し、山本・鬼塚でさらに15人を加えたというところか。筑肥線非電化区間の途中駅が、何とも寂しい様子であることが際立つようだ。

21:21、唐津着。

f:id:stationoffice:20180823021424j:image唐津国鉄らしい堅牢な高架の2面4線。同時期開業の京葉線埼京線あたりに似ている
f:id:stationoffice:20180823021413j:image次が終点となる西唐津行き含め4方面への列車が発着する
f:id:stationoffice:20180823021427j:image唐津くんちの曳山を模した展示。福岡至近の観光地・唐津はPRにも余念がない
f:id:stationoffice:20180823021420j:image自動改札は3通路と意外に小規模。十字のサインが時代を物語る
f:id:stationoffice:20180823021416j:image広々とした観光案内所。減ったとはいえ鉄道で唐津を訪れる観光客も多いのだろう
f:id:stationoffice:20180823021409j:imageゆとりある駅前広場を持つ唐津駅前。大手口バスターミナルとは少々離れる

 

西九州の旅もいよいよ大詰め。明日の朝はまたバスに揺られ、港町・呼子を訪れることにしよう。

 

(つづく)