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30.西鉄貝塚線 -時代に翻弄され続けた"バスを補完する鉄道"- #福岡

貝塚駅の車止めを介して向き合う西鉄と地下鉄。素人目には直通運転しないのがおかしいくらいなのだが、そこには時代に翻弄され続けた西鉄貝塚線の歴史が影を落としている。

f:id:stationoffice:20180917150759p:image貝塚駅に到着する西鉄の前面から。右側には地下鉄の電車が待っているのが見え、地下鉄のレールも西鉄側に向かって伸びているが繋がっていない。1986年の地下鉄開通以来足踏みが続いている

 

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・他の西鉄各線と"違う"…西鉄貝塚線

西鉄貝塚線福岡市地下鉄箱崎線の終点である貝塚(福岡市東区)を起点とし、東区の海側を縦断、福岡市から1駅外れた西鉄新宮(糟屋郡新宮町)を終点とする、全線11.0kmの短距離路線。起点の貝塚で地下鉄箱崎線と接続するほか、西鉄千早でJR鹿児島本線(JRは千早駅)、和白でJR香椎線と接続があり、短距離ながら接続路線が多いという都市型の特徴を持つ。

f:id:stationoffice:20180905143644j:plain赤色:西鉄貝塚線(営業中区間) 灰色:西鉄宮地岳線(廃線区間) 青色:福岡市地下鉄箱崎線 新博多(千鳥橋)─貝塚間は1979年廃止、西鉄新宮─津屋崎間は2007年廃止。地下鉄箱崎線全通は1986年。両端区間が廃止された現在は貝塚西鉄新宮間11.0kmのみの営業。新博多(千鳥橋)─貝塚間および地下鉄は一部の駅のみ記載。Google Mapに加筆。駅/路線の位置は正確なものではありません

しかしながら、この貝塚線はかなり癖の強い路線だ。まず、西鉄の本線である天神大牟田線をはじめ他の西鉄各線との接続はなく、孤立した路線であること。西鉄各線の軌間が1,435mm(標準軌)であるのに対し、貝塚線のみはJRと同じ1,067mm(狭軌)であること。起点の貝塚で接続する福岡市地下鉄箱崎線との直通運転が準備されながら、1986年の箱崎線全通から一向に進展がないこと。それどころか、2007年に全線の半分近い西鉄新宮─津屋崎(つやざき、福岡県福津市)間9.9kmが廃止されるという憂き目に遭っている。

f:id:stationoffice:20180905050310j:image貝塚駅停車中の地下鉄箱崎線。終点からも線路が若干延びており、車止めを外せばすぐ西鉄の線路と接続できるよう準備がなされている。しかし30年以上経っても直通は実現していない

その他にも、専用の新車が全く導入されず車両はすべて天神大牟田線の旧型車で賄われていること、SFカード(ストアードフェアカード。関東でいうイオカードパスネット)が最後まで導入されなかったこと(西鉄ICカードnimoca天神大牟田線にやや遅れて導入された)など、貝塚線は本線である天神大牟田線に比べ、冷や飯を食わされてきた側面が大きい。

同じ福岡市内に乗り入れる西鉄電車なのになぜここまで扱いに差があるのかといえば、それは貝塚線の出自が天神大牟田線系統と違うことに端を発しているのではないかと思う。

しかしながら、貝塚線にはかつて筑豊方面への延伸計画があり、福岡市─北九州市を結ぶ幹線に発展したかもしれなかった。現在は福岡市の片隅で小さく走るのみであるが、今回は貝塚線が辿った数奇な歴史を辿ってみよう。

f:id:stationoffice:20180905032652j:image高架化された西鉄千早で発車を待つ貝塚行き600形。設備は近代化されたが車両は全車経年45年以上と老朽化が進む

・傍流故の冷遇

西鉄貝塚線は2007年の西鉄新宮─津屋崎間の廃止まで「宮地岳線(みやじだけせん)」を名乗った。これは廃線区間にあった宮地岳駅最寄りの宮地嶽神社に因むもので、創建1600年以上の歴史と多数の国宝を収蔵する大社である。その宮地岳神社と博多を結ぶべく、1924年博多湾鉄道汽船の手によって新博多(現在の地下鉄箱崎線千代県庁口駅付近)─和白間、翌1925年に和白宮地岳間が開業したのが、貝塚線の端緒である。

宮地岳線を建設した博多湾鉄道汽船(湾鉄)とは、糟屋炭田から産出される石炭を博多港へ運搬するため、1905年に西戸崎(さいとざき)─和白─香椎─宇美間25.4kmの「糟屋線」を建設したのを祖業とする。当初はむろん貨物輸送がメインであったが、後に旅客輸送にも力を入れるようになり、和白から分岐して博多の街中へ直結する支線を建設することになった。これが発展したのが宮地岳線、現在の貝塚線である。

糟屋線が国鉄と貨車を直通するため軌間を1,067mm(狭軌)としていたので、宮地岳線も必然的に軌間1,067mmとなった。貨物輸送を行わなかった天神大牟田線軌間が違うのは、この出自の違いによるものである。

f:id:stationoffice:20180905051834j:image貝塚線(宮地岳線)と同じ博多湾鉄道汽船を出自とするJR香椎線。兄弟路線であったが戦争によって別々の道を歩むことになった

湾鉄の一員であった宮地岳線西鉄に組み入れられたのは、戦時体制の深度化によって1942年の陸上交通事業調整法が施行され、天神大牟田線を運営していた九州鉄道をはじめとする5社が合併したことによる。この時、新社名が「西日本鉄道(西鉄)」となったことで、宮地岳線も「西鉄宮地岳線」として新たなスタートを切った。その後、更なる戦時体制の激化によって、糟屋炭田の運炭路線であり、宮地岳線の兄貴分的な路線であった糟屋線が1944年に国鉄に買収されて国鉄香椎線となった。この時以来、宮地岳線は他の鉄道との直通を一度もしていない。

戦後の1954年には福岡市街区間千鳥橋(新博多)─貝塚間が同じ西鉄の運営であった路面電車、福岡市内線に組み入れられるも、1979年には道路渋滞の激化により路面電車が廃止されてしまった。これにより、宮地岳線は福岡市街への接続を失い、市街地のはずれの貝塚駅から郊外に向けて細々と電車が走るだけという、孤立した路線となってしまった。西鉄本体としても、屋台骨となる天神大牟田線の輸送力増強と路面電車の後を継ぐ西鉄バスの拡充に追われ、宮地岳線の改善にまで手が回らなかったという事情もあるだろう。宮地岳線は、博多湾鉄道汽船の市街地直結線として華々しく開業しながらも、その後を継いだ西鉄によって市街地への接続が断たれるという、苦しい状況に追い込まれてしまったのである。

・復活からの落日

西鉄の一員となって以降、苦しい状況が続いていた宮地岳線にようやく光が差したのは1986年、福岡の中心・天神へ直結する福岡市地下鉄箱崎線貝塚まで延伸したこと。宮地岳線は再び福岡市街へのアクセスを獲得し、これを契機に終日全線13分間隔の運転を行い、フリークエントサービスの提供に舵を切った。福岡市末端となる三苫(みとま)駅に折り返し設備を設け、全線単線ながらラッシュ時には貝塚三苫の福岡市内区間で6〜7分間隔の高頻度運転を行った。

しかし、どん底から復活した宮地岳線の前に立ちはだかったのは、同じくどん底から復活したJR鹿児島本線だった。国鉄破綻というどん底から民営化し、再生したJR九州福岡近郊区間の利便性向上に注力。駅が多く天神方面へのアクセスが良い宮地岳線と、幹線ゆえ駅が少なく博多方面へ向かう鹿児島本線とで、並行しながらも役割を分担していた。しかし、JR九州九産大前(香椎花園前から1km・1989年)、千鳥(花見から1.4km・1991年)と、宮地岳線の駅と競合する新駅を相次いで開設し、もとから競合関係にあった香椎、古賀、福間を含め、宮地岳線の乗客を奪いにかかった。結果、地下鉄と接続したとはいえ旧型車両のままで、旧態依然とした宮地岳線から、新型車両の導入が進み、便利になった鹿児島本線への乗客流出が顕著になってしまった。

f:id:stationoffice:20180905052550j:imageJR九州オリジナル電車第一号の811系。JRは新車導入・新駅開業を積極的に行い、矢継ぎ早に鹿児島本線の改善に取り組んだ

2006年に西鉄香椎駅が高架化するなど、一部では改善も見られた宮地岳線であるが、津屋崎方の末端区間ではその後も乗客流出が止まらなかった。末端区間の輸送密度(利用者数を路線1kmあたりで割った数)は2,201人と、旧国鉄の廃止基準(4,000人)の約半分にまで乗客が減少。ついに西鉄は撤退を決断し、地元自治体も第三セクター化による引き受けを断念したことで廃止が確定。2007年に廃止され、この区間は82年の歴史に幕を下ろしたのである。

残る貝塚西鉄新宮間は、路線名の由来であった宮地岳駅が廃止されたことで「貝塚線」に改称。かつてのラッシュ時6〜7分・昼間13分間隔運転はラッシュ時10分・昼間15分間隔に減便、一部3両編成もあった車両は全車2両編成に減車と、残る区間もスリム化が進み、利便性が低下している。ただ、毎時の発車時刻が安定しない13分間隔運転を15分間隔運転に改めたことで、元から15分間隔運転だった地下鉄箱崎線空港線直通電車との運転間隔が揃い、貝塚での地下鉄接続が改善したのは数少ない改善点である。

皮肉なことに、宮地岳線廃止後もかつての沿線は鹿児島本線沿線のベッドタウンとして開発が進み、新宮中央(西鉄新宮から1.4km・2016年)、ししぶ(古賀ゴルフ場前から600m・2016年)の2つの新駅が開業している。これによって廃止区間で唯一代替駅が無かった古賀ゴルフ場前駅近くにも鹿児島本線の新駅が開業し、末端で鹿児島本線が並行しない宮地岳駅・津屋崎駅を除いた全ての駅を、鹿児島本線が代替するに至っている。

・「福北本線」になり損ねた貝塚線

紆余曲折の末、ほぼ福岡市東区内に収まるまでに縮小してしまった西鉄貝塚線であるが、かつては福岡市と北九州市を結ぶ、西鉄第二の幹線となりうる路線であった。

廃線区間の途中駅、西鉄福間駅から東へ25kmほど進んだところに、西鉄グループの一員である筑豊電気鉄道線筑豊直方(ちくほうのおがた)駅がある。筑豊電鉄は路面区間こそ無いが路面電車タイプの車両を用い、駅の間隔も短いため、LRTとして分類されることもある、これまたユニークな鉄道。かつての筑豊炭田の中心都市・直方市筑豊直方駅と、八幡製鉄所をはじめとした産業都市・北九州市黒崎駅前駅の16.0kmを結んでいる。そしてこの筑豊電鉄、かつては黒崎駅前から出ていた軌道線・西鉄北九州線に乗り入れ、北九州市の中心・小倉まで直通運転を行っていた。八幡製鉄所至近に「製鉄西門前」を名乗る電停があったように、明治以来日本の重工業を支えた北九州市沿岸部と、筑豊電鉄線沿線に開発された住宅地を結び、日々通勤客を乗せて電車が走っていた。

この時代、福岡・小倉(北九州)に加え、筑豊炭田の中核を担った直方は「三都」と呼ばれた。1950年代中頃の人口は、福岡市が54万、現在の北九州市が87万、そして筑豊(直方・飯塚ほか)が77万の人口を誇った。既に北九州と筑豊は1959年に筑豊電鉄によって結ばれていたため、これを福岡まで延長し、西鉄の手で北九州─筑豊─福岡を直結させることは、西鉄発足以来、いや前身の博多湾鉄道汽船、そして九州電気軌道の宿願であった。

筑豊電鉄は1959年に黒崎から筑豊直方まで到達し、その筑豊直方は延伸を前提とした途中駅としての構造。筑豊直方延伸前の1956年には「筑豊電気鉄道線建設線路図」が発行され、その中で筑豊直方駅から福岡へのルートは、宮地岳線を活用でき、建設距離が25kmと短い「福間ルート」(仮)と、より多くの需要が見込める飯塚を経由するものの、建設距離が35kmと長くなる「飯塚ルート」(仮)の2つが検討された。

f:id:stationoffice:20180903183826j:plain赤:西鉄グループの鉄道路線(営業中) 灰:西鉄グループの鉄道路線(廃線) 黄:西鉄福北線の検討ルート 宮地岳線を利用した福間ルートと、人口が多く需要を見込める飯塚・糟屋炭田の南部の核であった宇美を経由し、福岡市南部の雑餉隈(ざっしょのくま)で西鉄天神大牟田線に接続する飯塚ルートの2つが検討された。また同時期に天神大牟田線のバイパス路線として西鉄雑餉隈線(博多~雑餉隈)が計画されており、両方実現していれば現在は普通しか止まらない雑餉隈駅が天神・博多、大牟田・北九州各方面への接続駅となっていたことだろう。※Google Mapに加筆。なお、路線・駅の位置は正確なものを示すものではありません。

しかし、「西鉄福北線」が実現することはなかった。それには、筑豊炭田の閉山という基幹産業の衰退に伴う筑豊地域の人口減少と、国鉄篠栗線の開通という2つの要因がある。

まず人口減少であるが、現在は福岡市が150万を突破し3倍に成長した一方、北九州市はさほど増えず87万、そして基幹産業であった炭鉱を失った筑豊は約半分に落ち込んだ43万となっており、完全に福岡と筑豊が逆転してしまった。つまり、筑豊発の需要が半分になってしまったのだ。

そして、筑豊直方延伸から僅か9年後の1968年に、飯塚ルートとほぼ並行する形で国鉄篠栗線が全通したことがとどめを刺した。篠栗線は博多〜新飯塚を約45分、直方までを約60分で結び、篠栗線開通を契機として飯塚・直方は福岡のベッドタウンとしての発展を始めることとなった。こうして、筑豊地域の人口減少と、並行する国鉄線の開通によって西鉄線は建設の意義を失い、1971年には事業免許を失効し、建設中止に追い込まれてしまったのである。

f:id:stationoffice:20180917151622j:image1968年に全通した篠栗線。当初は非電化であったが福岡と筑豊を直結する路線として成長し、2001年に電化。「福北ゆたか線」の愛称がつき、発展を続けている。写真の長者原駅は香椎線との交点に1988年に開業した新駅。

なお、鉄道が走らなかった未成区間のうち、飯塚~宇美間はバス路線が無く、JR香椎線とJR福北ゆたか線長者原駅で乗り継ぐのが代替となっている。そのほかの区間は(かろうじて)バスで結ばれており、福間ルートを構成する福間~直方間はJR九州バスがJR福間駅~JR直方駅を1日5往復のみ運行するほか、沿線最大の需要地となったであろう宮若市の「若宮インターチェンジ」バス停は福岡~北九州間の高速バスが多数経由し、日中でも5本/hが停車する。また、雑餉隈~宇美間は西鉄バス【11】上宇美(JR宇美駅)~西鉄雑餉隈駅~JR南福岡駅が1時間1~2本運行されており、こちらは福岡都市圏内ということもあって比較的本数が多い。

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f:id:stationoffice:20180917152118j:image西鉄電車が来なかったJR香椎線・宇美駅前。現在は西鉄バス博多駅・天神方面や雑餉隈・南福岡方面を結んでいる。かつてはこの駅も西鉄の前身・博多湾鉄道汽船糟屋線の駅であった

かくして、宮地岳線は直方と結ばれることは無くなり、発展の機会は失われた。そして津屋崎という中途半端な終点で止まっていたのが仇となり、並行する鹿児島本線の発展に残存区間もろともとどめを刺される形となった。かくして、残った宮地岳線も福岡市外区間が殆ど廃止され、現在に至っている。

・鉄道の借りをバスで返す!西鉄の意地

西鉄による福岡~北九州の鉄道はついに実現しなかったが、その代わりに西鉄バスによる高速バス、福岡~北九州線(西鉄天神高速バスターミナル~JR小倉駅前・砂津)が1980年に運行を開始した。この前年、1979年には九州自動車道が福岡~北九州間で開通しており、追って福岡都市高速北九州都市高速も充実してゆく。西鉄高速バスの発展は、高速道路網の拡充と二人三脚であった。

そして現在、福岡~北九州間の輸送は、安くて(往復きっぷ・片道あたり1,030円)本数が多いが(10~20分間隔)時間がかかる(約90分)西鉄バス、そこそこ安く(2枚きっぷ・片道あたり1,440円)そこそこ本数があり(30分間隔)そこそこ速い(約50分)JR特急、高いが(2,110円)本数が多く(10-20分間隔)とても速い(約15分)山陽新幹線が分担し合う状況となっている。1980年まではほぼ国鉄の独占であったところ、現在では西鉄がその一角を担うまでにシェアを拡大したというわけだ。

f:id:stationoffice:20180917152631j:image本数の多さと運賃の安さをアピールする西鉄バスの広告。定期券には福岡・北九州市内路線バス無料というサービスぶり

現在は1社単独運行にして1日124往復(平日)と、日本の高速バスでは桁違いの運行本数を誇るまでに成長した。日本のバス業界の中では、一般路線バスも含めた輸送人員で、西鉄バスが日本最多となっている。

西鉄がなぜこれほどまでに高速バスに注力したかといえば、福北線の挫折をはじめ、天神大牟田線の熊本延伸(大熊鉄道・だいゆう─)の挫折など、西鉄による鉄道ネットワークの拡大が悉く国鉄→JRによって阻害されてきたという、いわば冷や飯を食わされ続けてきた苦い経験によるものではないかと思う。

その反骨ゆえなのか、今や西鉄バスは九州一円どころか、福岡~東京・新宿間「はかた号」をはじめ、超広域のネットワークを広げている。2011年の九州新幹線全線開通によって博多~熊本のJRは値上げとなったためにJR特急の利用者が完全に新幹線に転移せず、低価格志向の利用者を寧ろ高速バスに取り込み、福岡~熊本間における高速バスのシェアが拡大した…などというエピソードは、西鉄のJRへの対抗心がいかに強いものであるかを物語っていよう。鉄道の借りを、高速バスで返したというところだ。

・"バスを補完する鉄道"貝塚線

福北線へ発展する機会を失い、元々の区間さえもほぼ半分が廃止されてしまった現在の貝塚線に残された役目は「西鉄バスの補完」。「西日本鉄道」という社名とは裏腹な役目である。

千早、香椎、和白、新宮などといった沿線の各駅からは、博多駅や天神へ直行する西鉄バスが数多く発着する。例えば、和白駅近くの「和白」バス停からは都市高速経由の天神行きが10〜20分間隔で出ており、天神までは25分、運賃は520円。対して、貝塚での乗り換えが必要な西鉄貝塚線+地下鉄箱崎線は35分かかり、バスの方が10分も早い。ただ、電車ならば西鉄・地下鉄の乗り継ぎ割引が適用されるため、運賃は470円とバスよりも50円安い。こうした状況とあっては、天神直行のバスを選ぶ人も多いであろう。

しかし、各地からおびただしい数のバスが集まる天神一帯は渋滞に見舞われることも多く、特に朝夕のラッシュ時は定時性が覚束ない。対して、電車であればまだ時間は読める。こうしたことから、バスで運びきれない乗客を地下鉄にリレーする役割としての鉄道という、完全にバスの裏方としての仕事に徹しているのが、今の貝塚線に与えられた役目なのだ。

バス会社と鉄道会社が違っていれば競合も起こっただろうが、どちらも同じ西鉄がやっているからこその分担とも思う。西鉄にとって、貝塚までの電車に230円しか払ってくれない乗客と、天神へのバスに520円を払ってくれる乗客のどちらがありがたいかを考えれば、その結論は自明である。

しかしながら、今の貝塚線三大都市圏以外ではワーストとなる混雑率150%を記録するほど混雑するようになってしまった。これは、部分廃止前に比べて千早・香椎の人口が増加していることに加え、博多湾の人工島「アイランドシティ」の玄関口が千早であり、アイランドシティ発のバスから貝塚線、そして地下鉄に乗り継ぐ流れも重なっていることが挙げられる。また、部分廃止前のラッシュ時は貝塚三苫間6〜7分間隔の高頻度運転であったのに対し、現在はラッシュ時でも10分間隔でしか走らないことが影響している。利用が増えているにもかかわらず古い車両を放置し、部分廃止前の水準にすら増発もされないのは、幾ら何でも利用者軽視と言われても仕方ないのではないかと思う。

 

次回はそんな貝塚線と地下鉄箱崎線に乗り、現在の貝塚線が置かれた状況と今後の展望について考えてみたい。

 

(つづく)