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27.昭和バス呼子線 -幻の「JR呼子線」とイカと朝市の町- #佐賀

「昨日はお客さんが溢れて大変。ばってん今日は平日だけんゆっくりしたもんだ」

呼子朝市通りのおっちゃんが呟く。土休日ともあらば、決して広くない朝市通りは観光客で大賑わいになるようだ。

f:id:stationoffice:20180827162629j:image平日でもそこそこ人出がある呼子朝市通り

松浦川右岸に残る「東唐津

翌6/25、「唐津第一ホテル リベール」で目を覚ました。松浦川左岸の河口、松浦橋の袂に位置するこのホテルは、交通アクセスにやや劣る代わりに朝食や大浴場が充実しており、松浦川の眺めも申し分ない。爽やかな朝を迎えられた。

そして、松浦川の対岸に建つ大きなホテル、「唐津ロイヤルホテル」こそは、かつての筑肥線経路変更前の東唐津駅跡地である。

f:id:stationoffice:20180826225850j:image松浦橋の対岸に唐津ロイヤルホテル、奥に高島を望む
f:id:stationoffice:20180826225846j:image左奥が宝当(ほうとう)桟橋。高島(右、宝当神社)への定期船が出る

f:id:stationoffice:20180827033805j:image呼子名物いかしゅうまいが朝食バイキングで出てきたのは嬉しかった。周りだけでなく中身もイカづくし

唐津へと最初に到達した鉄道は、現在の唐津線である。唐津興業鉄道の手によって山本─唐津─妙見(現・西唐津)間が1898年に開通。1903年長崎本線と接続する久保田まで全通し、佐賀方面と結ばれている。1909年に国有化され、この時に唐津線の名がついた。

しかし唐津線は博多方面へは遠回りであったことから、博多─唐津伊万里間を短絡ルートで直結すべく、1925年に北九州鉄道(現・筑肥線)が新柳町(福岡市中央区)─東唐津間を開通させ、この時初代東唐津駅が置かれた。唐津市街地には既に唐津線唐津駅があったものの、川幅だけで500mもある長大な松浦川に鉄橋を架けることができず、やむなく松浦川の対岸に東唐津駅を置くことで代替としたもの。筑肥線唐津線の接続駅は松浦川を7kmほど遡った山本駅とされ、山本駅は博多─東唐津─山本─伊万里間の筑肥線と、佐賀─山本─唐津西唐津間の唐津線がX字に交差する接続駅となった。

こうして唐津市には、博多方面へのターミナルとなる東唐津駅・市街中心部かつ佐賀方面への唐津駅筑肥線唐津線の接続駅となる山本駅という3つのターミナル駅が分立することとなった。このうち最も賑わったのは、松浦川を隔てて市街中心部とは2kmほど離れていたものの、やはり九州最大の都市たる博多方面へのターミナルとなった東唐津駅であり、みどりの窓口も佐賀方面へのローカル列車が発着するだけの唐津駅ではなく、東唐津駅に置かれていた。駅構内には車両基地も併設され(東唐津気動車区)、筑肥線の一大拠点となっていた。

f:id:stationoffice:20180827010330j:image東唐津駅移転前、1980年12月の時刻表。東唐津駅にはみどりの窓口および駅弁販売ありのマークがつき、博多─東唐津間の区間列車も多かった。筑肥線途中駅最大の拠点として機能した様子が窺える。しかし博多─唐津間の列車本数は今の半分もなかった

この名残として、かつての駅周辺には「東唐津」の住所が残っているが、1kmほど南に移転した現在の東唐津駅と離れてしまっている。また、現在の東唐津駅付近では土地区画整理事業が進められているが、この事業名は「新東唐津駅土地区画整理事業」となっており、旧駅との混同が防止されている。

東唐津駅とは実在しない駅名で、いっそ駅名を「新唐津駅」としても良かったんじゃないかと思うが、そこは東唐津の名が消えることを惜しんだ人たちがいるのだろう。旧駅からは現・東唐津駅も、この時同時に出来た和多田駅も大差ない距離だが、「松浦川右岸に出来た新しい駅」に東唐津の名を託したのだと思うと、駅名ひとつとってみてもドラマを感じるかのようだ。

呼子線玄海原発

そうした状況において1961年に建設が持ち上がり、1968年に着工されたのが「呼子線」である。呼子線筑肥線虹ノ松原駅(東唐津の一つ博多寄り)で筑肥線から分岐し、松浦川を渡って唐津線唐津駅に乗り入れ、唐津西唐津間は唐津線と共有し、西唐津呼子間は新線を建設するという計画だった。

f:id:stationoffice:20180831102257j:plain筑肥線旧線(茶色)と呼子線(青色)の関係。呼子線虹ノ松原唐津(─西唐津)間の開通と引き換えに虹ノ松原─(旧)東唐津─山本間が廃止され、同時に呼子線筑肥線編入された。西唐津呼子間が開通することはなかった。※Google Mapに加筆。それぞれの路線の位置は正確なものではありません。

呼子線は、実質的に博多方面への筑肥線唐津市街地の唐津駅へと引き込む役割を持っており、現にこの区間だけは1983年に開通したものの、西唐津以遠は非電化のローカル線として計画されていた。結果的に西唐津呼子間は開通することは無かったが、呼子線を単なる未成線と片付けるには、少々奇妙な点が多いように思う。

まず、呼子から先への延伸計画もあるにはあったが、例え延伸したとしても行き着く先は伊万里唐津伊万里間を結ぶ役割は既存の筑肥線で十分だったし、例え西唐津呼子伊万里間が開通したとしても、呼子伊万里間は西唐津呼子間以上の人口希薄地帯。呼子伊万里間を延伸したとしても筑肥線の遠回り並行路線となるだけ。つまり西唐津呼子間は行き止まりの盲腸線となる可能性が高く、鉄道ネットワークのミッシングリンクを埋めるわけでもなかった。なお、現在呼子伊万里間を結ぶバスは無く、途中全くバスが絶えている区間もあるため、公共交通機関でこの区間を移動するには一旦唐津を経由しなければならない。

また、旧・呼子町の人口は5,800人と、新線を建設するに値する規模でもない。それに、呼子は漁港ではあったが貿易港ではなく、海産物以外の大口貨物輸送が見込めた訳でもない。

さらに加えて、呼子線が着工された1968年といえば、国鉄が「赤字83線」を発表し、路線拡大にひた走ってきた国鉄が初めて新線建設にブレーキをかけた時期にあたる。唐津付近でも、短距離の盲腸線だった唐津線岸嶽支線(山本─岸嶽間4.1km)が1971年に廃止されている。

このように、旅客・貨物ともさほどの需要が見込めず、鉄道を必要とした理由も薄く、ミッシングリンクを埋めるわけでもなく、おまけに新線建設に殊更慎重になっていた時期に、なぜ呼子線が計画されたのであろうか。

ここからは推測の域を出ないが、九州電力玄海原発の立地が少なからず呼子線の誘致に関係しているように思う。玄海原発の計画が発表されたのは1968年6月と、呼子線が着工された1968年3月と奇妙に一致する(発表は1961年)。1971年には玄海原発1号機が着工、1975年には初臨界に至っている。

明治以来この地域を支え続けた炭鉱閉山後、残された産業といっても農林水産業以外に大して産業もなかったこの地域に、玄海原発がもたらしたものは極めて大きかったことだろう。玄海原発の成功を見てかどうか、隣の長崎県でも松浦火力発電所が1990年に発電を開始しており、東松浦半島玄海原発北松浦半島の松浦火発と、玄界灘沿岸には大規模な発電所が並ぶことになった。

玄海原発が直接立地する玄海町には、電源三法交付金制度などによって数多の補助金がもたらされるのに対して、その周辺地域となる呼子町などには、直接のメリットがあるわけではない。そのせめてもの埋め合わせとして、玄海町周辺よりも需要が見込める西唐津呼子間に鉄道建設が計画されたというのも、想像に難くない。

ともあれ、着工はしたものの西唐津呼子間は開業に漕ぎ着けられないまま1980年の国鉄再建法施行を迎え、一切の工事がストップしてしまった。対照的に、虹ノ松原唐津間の市街区間は工事がストップするも、唐津市の陳情によってきわめて例外的に再開し、1983年の開通を無事に迎えることができた。この時、筑肥線は電化・福岡市内区間(博多─姪浜)の一部廃止/地下鉄空港線への直通運転開始・虹ノ松原唐津間の開通という3つの近代化を同時に成し遂げ、旧態依然としたローカル線が大都市近郊路線へと生まれ変わったのである。

・アクセスに恵まれない呼子

呼子町呼子駅予定地周辺に住宅団地を造成するなど、呼子線を迎える準備を着々と進めていたようであるが、ついに呼子へ鉄道が来ることは無かった。博多・天神〜唐津を結んだ昭和バスのうち、一部の路線バスが呼子まで延長運転した時期もあったが、筑肥線の利便性向上によって昭和バス自体が打撃を受け、長続きしなかったようだ。

2004年に昭和バスが高速バス「よぶこ号」5往復/日の運転を開始し、博多バスターミナル西鉄天神高速バスターミナル〜唐津大手口バスセンター〜呼子間が直結されるも、やはり長続きせず、2011年に廃止されている。

現在の博多・天神〜唐津呼子間のアクセスとしては、博多・天神〜唐津間の昭和バスの高速「からつ号」と、同じ昭和バスの一般路線バス「呼子線」を唐津大手口バスセンターで乗り継ぐか、JRを利用する場合は電車の終点・西唐津駅で同じく昭和バス「呼子線」に乗り継ぐことになり、どちらも所要1時間半程度。

高速バスネットワークが大いに発達している九州において、呼子は珍しく大消費地たる福岡への直通手段がないという、いささか不便な状況が続いている。また、同じ佐賀県内でありながら呼子伊万里間がバスで繋がっておらず、福岡⇔伊万里・有田・平戸・佐世保方面への周遊観光ルートに組み込めないのも痛いところ。現状は唐津の先のどん詰まりであり、「呼子の朝市」で全国に知られながらも、行くまでのハードルがなかなか高い。

福岡から日帰りできる手頃な観光地であるにもかかわらず、なかなかアクセスに恵まれない呼子。需要がないわけではないのだろうが、どうも呼子絡みの交通の整備は長続きせず、うまくいかないような話が目立つ。

・外国人多数!昭和バス呼子線

前置きが長くなりすぎたが、いよいよ昭和バス呼子線に揺られてみよう。

松浦橋たもとのホテルから、昭和バス呼子線の始発である「宝当桟橋」バス停までは、松浦川沿いに徒歩15分。ほぼ川沿いの遊歩道を進むだけだったので、迷わずに着いた。

f:id:stationoffice:20180827022024j:image東唐津駅へ通じる松浦橋の青看板にも現「東唐津駅」の文字
f:id:stationoffice:20180827022028j:image海の向こうに唐津城を望む。大隈重信の生誕地を記念して誘致された早稲田佐賀中高も隣接する

宝当桟橋バス停は昭和バス最大の拠点である唐津本社営業所に隣接…というか広大な営業所の中にある。2時間に1本程度の高島航路への連絡というよりも、営業所の入出庫回送ついでの営業運転という側面の方が大きいようだ。その証拠に、全ての便が宝当桟橋始発というわけではなく、3分の1程度は市街中心部の唐津大手口バスセンターで折り返す。案の定、宝当桟橋からの乗客は自分だけだった。

長崎県内の西肥バスnimoca(西鉄系列の交通系ICカード、全国相互利用対応)が使えず、県内のみ流通する長崎スマートカードのみの対応であったが、昭和バスは福岡に隣接するからか、呼子線のような一般路線バスでもnimoca対応。整理券を取ったり降車前に両替で慌てなくていいのは助かり、これだけでも相当な不安要因の軽減に繋がる。もちろん運賃表はあるのだが、「次の○○まで○○円」といった書き方しかできないので、自分の目的地までいくらかなのは、乗務員さんに聞くか、予め携帯で調べるかしないとわからない。その点、タッチしさえすれば運賃の支払いができるICカードは、見知らぬ土地のバスであっても頼りになる。

9:39、宝当桟橋発。昭和バス呼子線呼子行き。

f:id:stationoffice:20180827022613j:image高速車、路線車、コミュニティバスと様々なバスが居並ぶ
f:id:stationoffice:20180827022616j:image営業所の真ん中にある宝当桟橋バス停
f:id:stationoffice:20180827022619j:image呼子線は中型ノンステップバスの運行だった
f:id:stationoffice:20180827022624j:image宝当桟橋からの乗客は自分だけ

5分ほどで唐津市内中心部の「唐津大手口バスセンター」に至る。ここで多くの乗客を迎え、座席が埋まる。驚くのが外国人観光客の多さで、15人ほどの乗客のうち、アジア系外国人観光客が7人。残りが地元客で、日本人観光客は自分だけだった。九州はアジア系外国人観光客が抜きん出て多いと聞くが、福岡からも近く、日本の港町の風景を残す呼子は人気があるのだろうか。

f:id:stationoffice:20180827024739j:image唐津大手口バスセンターを出発。2011年に近代的なビルになった

f:id:stationoffice:20180827033451j:image唐津大手口バスセンターから多くの乗客を迎え、体裁が整った

唐津大手口バスセンターは昭和バス最大のターミナルで、唐津市役所やまいづる百貨店本店ショッピングプラザ(日本百貨店協会非加盟。百貨店共通商品券は使えない)に隣接し、JR唐津駅よりも中心部に近い。

ただ、JR唐津駅とは徒歩7分の距離があり、JRとの乗り継ぎには少々難がある。唐津中央商店街がこの間を結んでいるものの、この昭和バス呼子線をはじめ唐津駅前を通らないバスが大半。立派な唐津駅前広場がほぼタクシー乗り場としてしか機能していないのは、公共交通機関同士の連携という意味では明らかにマイナスだ。高速バス「からつ号」は唐津駅の近くに停車するがそれでもロータリーには入らず、停留所名も「アルピノ前」と、頑なに駅前を名乗らない。福岡─唐津間でJRと昭和バスはライバル関係にあるとはいえ、もう少し遠来の者にも配慮すべきだろう。

しばらく唐津市街地を走るうちにもう3人ほど乗せた。電車の終点かつ「JR呼子線」の起点「西唐津駅前」でも2人を乗せ、総勢20人ほどになった。余談だが、JRとバスの仲が悪い場合、単に「西唐津」とだけ名乗ったりして駅の存在を隠す例も散見されるのだが、ここはちゃんと「西唐津駅前」を名乗っている。唐津大手口バスセンターと唐津駅の仲の悪さからすると対照的だが、やはり「JR呼子線」絡みの何かがあるのかもしれない。

西唐津駅前を過ぎると山間に入っていく。昭和バス呼子線は終日1〜3本/h程度と、そこそこ運転本数も多いものの、そのうち3分の2程度は唐津呼子をほぼ直線で結び、東松浦半島を横切る短絡ルートを採る。「JR呼子線」は半島の海沿いを辿るルートの計画であったが、そちらを通るバス(『湊経由』と案内される)は7往復/日のみの運転。要は唐津呼子を直通する利用が大半であり、鉄道が開通したとしても「湊経由」の中間駅の利用はさほど多くなかっただろう。福岡・唐津ベッドタウンとして開発するにしても、このあたりは半島の丘陵が急に海へ落ち込む急峻な地形であり、大々的な開発は難しかったであろう。

そして、宝当桟橋から35分、唐津大手口バスセンターから30分、西唐津駅前から25分。東松浦半島の尾根を越えると、海へと転げ落ちるかのように呼子終点に到着する。今まで山の中を走っていたのに、海が見えてくるとか、観光施設の看板が目立ってくるとか、そういった前触れもなしにいきなり港町の真ん中に着くから驚く。それだけ呼子の地形が急峻であり、だからこそ古くからの天然の良港であったことがわかろうかというもの。

10:15、呼子着。

f:id:stationoffice:20180827032331j:image呼子に到着した昭和バス呼子線
f:id:stationoffice:20180827032322j:image小さな観光案内所を併設。外国語案内が増えたが設備は昔のまま
f:id:stationoffice:20180827032327j:imageバス代替のワゴンタクシーが呼子線に接続して各方面へと散る
f:id:stationoffice:20180827032339j:image支線がワゴンタクシーとなるのは9〜16時の閑散時間帯のみ
f:id:stationoffice:20180827032342j:image唐津呼子間は終日1〜3本/hの運転。朝夕は支線直通になる

呼子名物「イカの活け造り」を堪能

さて、呼子といえば函館と並ぶ「イカの町」であり、「朝市の町」である。朝市といっても函館のように5時6時からやっているわけではなく、7:30〜12:00と決められている。商品を売り切るか、おっちゃんおばちゃんが疲れたら撤収してしまうのだろうが、10時過ぎに着いても朝市の雰囲気を楽しめるのはありがたい。朝市通りをぶらぶらした後、名物のイカ活け造りを楽しむことにした。

f:id:stationoffice:20180827035410j:imageバスターミナル徒歩1分のアーチから朝市通りが始まる
f:id:stationoffice:20180827035354j:image朝市通りは約200m続く
f:id:stationoffice:20180827035343j:imageその場で割って食べるウニのまあ甘露なこと
f:id:stationoffice:20180827035402j:image朝市通りから一本海側に出るともう岸壁
f:id:stationoffice:20180827035347j:imageどっしりとした銀行支店が構えるのは古い町の証拠

f:id:stationoffice:20180827040433j:image大小様々な漁船が集う
f:id:stationoffice:20180827035406j:imageイカ料理店の座敷に上がる。呼子漁港を一望できた
f:id:stationoffice:20180827035350j:imageコレが噂のイカ活け造り。まだ体液が活発に循環しているほど
f:id:stationoffice:20180827035358j:image透き通ったイカの刺身は硬さや臭みや粘り気が全く無い
f:id:stationoffice:20180827035414j:imageゲソの部分は天ぷらにしてくれる

西唐津駅

12:19、呼子発。昭和バス呼子線唐津大手口バスセンター・宝当桟橋行き。

f:id:stationoffice:20180827042115j:image唐津行きのバスは「大手口(唐津バスセンター)」をかなり強調

呼子の町は食事の時間を含めても2時間で十分廻れる程度で、市街地が漁港の周囲に凝縮されているため、歩き疲れないちょうどいい範囲で散策が楽しめた。

ただ、有名料理店や道の駅といった施設は少々離れた国道沿いに点在しているし、朝市通りにも捕鯨の旧家「中尾家住宅」が公開されているなど、観光スポットが他にも無いわけではない。もっと居ようと思えば居られたが、そろそろ福岡に戻らねば福岡を歩く時間が無くなってしまうので、少々駆け足だが切り上げることにした。

呼子からの乗客は行きと同じ15人ほど。平日の昼間でもこれだけ乗っているのは、地方の一般バス路線にしてはよく乗っている部類だ。唐津大手口まで30分と、長すぎず短すぎずな距離であることもプラスだろう。

ただ運賃は750円(西唐津駅前までなら700円)と、決して高くはないが安くもない、地方の一般路線バスとしては標準的な部類であるが、日常的に払うには少々値段が嵩む。「このバスは自治体からの補助金で運営されています」といった旨の放送まで流れており、幹線とはいえ安閑としていられない状況であることも透けて見える。

行きと同じく東松浦半島の尾根を越え、今度はゆっくりと海に近づいていくと、やがて西唐津の市街地へと入ってゆく。

12:44、西唐津駅前着。

f:id:stationoffice:20180827042403j:image駅の目の前にバス停がありJR乗り換えは唐津駅よりも至便

ここで筑肥線に乗り換え、福岡方面を目指す。

(つづく)