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S駅の旅する業務記録

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4.沖縄バス【65】本部半島線[沖縄]

「わぁ――、おーっきいさぁ~」

 

ジンベエザメの大水槽の前で、小さな女の子が感動の驚きを口にする。

沖縄式アクセントに彩られた女の子の口ぶりからは、不思議と南国らしい優しさが感じられるのは何故だろう。

 

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* * *

 

僕が初めて来沖したのは16年前、2003年8月。夏休みの家族旅行だった。実はこの年の8月10日にゆいレールの開業を控えており、あと10日遅かったらゆいレールの一番列車に乗れたのに・・・と、そうとは知らず夏休み沖縄旅行の日程を組んでしまった父を激しく罵った記憶がある。

それはさておき、家族旅行であるからには当然レンタカー観光であり、そして旅行の最大の目玉が沖縄美ら海水族館だった。開館は2002年11月と、訪問当時1年も経っていなかったこともあり、今を時めく話題の観光スポットだった。大水槽を悠然と泳ぐジンベエザメに心躍らせ、夏休みの自由研究として意気揚々とクラスで発表したのも記憶に新しい。資料用に買った水族館公式のガイドブックは、今でも我が家の本棚に収まっている。

それから16年。大人になった僕は、再び沖縄美ら海水族館を訪れることになった。今の僕は、同じ施設を見学して、どう思うだろう。この16年で、水族館はどう変わっただろう。それを見るのが、とても楽しみだった。

 

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 ゲート前に着いたのは10:30頃。この後は記念公園前15:08の【65】本部半島線今帰仁経由名護BTゆきに乗る予定であったので、見学の時間は3時間強を見込んでいた。さすがに沖縄屈指の観光スポットだけあって、午前早目に到着したものの、ゲート前はそこそこ賑わっていた。外国人観光客の姿も見えるが、ここだとやはり日本人の方が多い。外国人の方がよりリゾート志向が高いのだろう。

 ヒトデやナマコに触れられるタッチプールはちびっこに大人気。ここはそこそこに通り過ぎ、まず目を奪われたのはサンゴの大水槽。

 

・ウチナンチューはサンゴに無関心?

 

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f:id:stationoffice:20180316081940j:image 生きているサンゴを、これほど大規模に展示している水族館は他にないだろう。色とりどりのサンゴ礁のなかを、熱帯の色に彩られた魚たちがすいすいと泳いでいく。この水槽を見れば、誰でも癒しの感慨や、美しさの感動を覚えるはずだ。これほど大規模なサンゴの展示が可能になったのは、1日12ターンも水槽内の海水を水族館沖で取水した新鮮な海水と入れ替え、環境の変化に敏感なサンゴが順応できるようになっているから、だそう。この美しいサンゴを見て、この素敵な海を汚すようなことはしてはいけない、と思うのは確かだ。

しかし、現実にサンゴのおかれた状況はいまだ厳しいという。ただ、それでもなお、当の沖縄県民はサンゴの危機に無関心なのだとも聞く。なぜなら、海に入ったことのない沖縄県民がかなり多く、従って多くの県民はサンゴを見たことがないから、なのだそうだ。どういうことだろうか。

沖縄県は公立小中学校のプール設置率がいまだ低く、70%程度に留まる。同じように離島を多く抱える鹿児島県が80%程度、長崎県も70%程度であり、離島ゆえの水資源の厳しさが伺える。沖縄県よりも設置率が低いのは北海道(35%)と青森県(55%)の2道県しかない。つまり、波打ち際での水遊びはできても、泳げない沖縄県民が多いということになる。O君も「沖縄の人は足が立たないところへはまず行かないですね。波打ち際で遊んでいる印象です。浮き輪や浮袋を使って浜から遠ざかるのは大抵県外からの観光客ですね」と話していた。そのような状況なのだから、シュノーケリングやダイビングを通して、サンゴに慣れ親しむウチナンチューなどかなり限られた存在になってしまう。

沖縄の子供は「海は怖いところだから、近づかないように」と大人から教わるのだという。波にさらわれるなどの海難事故はもちろん、クラゲに刺されたり、あるいは夜の浜辺では治安の問題もつきまとうからだろう。僕が思っていたよりも、現代ウチナンチューと海の距離は遠いもののようだ。東京都民が東京タワーやスカイツリーに案外行かない、という話と似たような構図もあるのかもしれない。

つまり、大多数の沖縄県民にとって、サンゴはメディアを通して見るものであり、「サンゴを守りましょう」と言われても、自分の話として捉えることができない以上、保護活動も盛り上がらないのだ、という。確かにそうだろう。東京都民であれば、「埋立地が満杯になりそうなので、ゴミの減量に努めましょう」と言われたところで、実感が湧かないのと同じだろう。だって、集積所に出しておけば今までと変わらず持って行ってくれるんだもの。

その点、生きたサンゴを大規模に展示しているこの水族館は、県外からの観光客に沖縄の海の美しさを伝えると同時に、沖縄県民に対しても「私たちの周りの海にはこんなに美しい景色が広がっているんですよ」という、教育的メッセージを発しているというわけだ。

1日12ターンという海水の入替回数は、水族館のすべての水槽の中で最も頻度が高い。水槽内では毎年サンゴの産卵が見られるという。それだけクリアな環境なのだ。その手間をかけてこれだけの展示を行う理由は、単なる観光の目玉なのではなく、海への親しみが案外薄い県民に対し、大きな説得力を持たせたかったということもあるだろう。

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多くの人を惹きつけてやまないサンゴの大水槽。その影で、実は強いメッセージ性を帯びているのかもしれない。

 

ジンベエザメとコバンザメ

いまや沖縄観光のもっとも代表的なシーンになった、ジンベエザメが泳ぐ「黒潮の海」の大水槽。長さ35m、幅27m、水深10m、容量7,500tという容量は国内最大、世界でも第4位につける。ちなみに、世界最大の水槽はアメリカ・フロリダ州のディズニーワールドのもので、容量は22,000tという。さすがアメリカ。

体長8mものジンベエザメが悠然と泳いでいるのを見れば、「わぁ――、おーっきぃさぁ~」と思ってしまうのは、僕らも同じだ。

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ジンベエザメの大きさには及ばないものの、それでも5mはありそうなマンタの姿にもなかなか愛らしいものがあって、ずっと見ていたくなる。それらに比べれば小さな(といっても1m近くあるのだが)アジは、寄り集まって大きな魚のような集団をつくっている。

ふと見ると、水面近くを泳ぐ1匹のジンベエザメのおなかに、コバンザメが3匹もくっついている。

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 コバンザメが3匹もくっついていたらさぞ鬱陶しかろうと思うが、当のジンベエザメは全く意に介していない。なんでも、ジンベエザメはとてもおおらかな性格の持ち主で、ダイバーがつかまったりしても気にしないのだそう。

コバンザメは頭の上部に吸盤を持ち、これを使ってジンベエザメやウミガメにくっつくそうだが、これだけ大きな体を持ち、振り払うこともせず悠然と泳ぐジンベエザメは、まさにコバンザメにとって理想的な存在。

コバンザメにとっても、海面近くで一日中オキアミやプランクトンを摂取し続けるジンベエザメにくっついていればまずエサに困ることは無いし、ジンベエザメにとってもコバンザメがいることで体表面に老廃物が溜まることを防いでくれたりして、お互いにとって何かと都合がいい。一方的な寄生関係ではないのだ。

2~3匹のコバンザメがくっついていても全く気にせず、悠然と泳ぐジンベエザメ

ジンベエザメのおこぼれにあやかりつつ、お肌のケアも怠らないコバンザメ。

黒潮の海」をゆったりと泳ぐ彼らを見ていると、なんだか理想的な人間関係の在り方を教わっているような気になってくる。魚たちに学ぶことも、また多いものだ。

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・大盛況の「レストラン イノー」

まだまだ書き足りないことは山ほどあるが、このままだとバスに乗れなくなってしまうのでやむなく割愛。ともかく、満ち足りた気持ちで水族館を後にする。大きい魚や珍しい魚を見た!!…という単なる感動でなく、彼らから教わるべきことは何だろうかと、水族館の持つ教育的機能についても思い至ることができたのは、16年越しの成長の証だろう。

昼食はぜひとも水族館併設の「レストラン イノー」(※イノー:浅瀬や潮溜まりなどの沿岸を指す沖縄語)自慢のランチバイキングを食べたかったが、土曜の食事時とあって45分待ちの盛況であった。バス出発まで一時間半を切っていたこともあり、断念。

いい店は無いか・・・とスマホを手にすると、「チャンプルー食堂」なる店が公園の駐車場裏にあるという。いかにも個人宅を改装したような、いい雰囲気の店じゃないか。ここにしよう。

 

【65】今帰仁経由本部半島線の発車まで、あと一時間半弱。

反対側の【66】本部港経由名護ゆきや、那覇ゆき高速バスが出るポールには10人程待っている人がいるが、那覇や名護から遠ざかる今帰仁方面に乗る人は、僕ら以外にいるだろうか。

 

 

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 * * *

 

(つづく)

3.琉球バス交通【76】瀬底線[沖縄]

 

「はぁー・・・最of高だなぁ・・・」

 65番で「瀬底」バス停に着いてから約2時間。

僕とO君はジャグジーに浸かりながら、瀬底島の海に沈む夕日を眺めていた。

 

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*  * *

 

※タイトルは【76】瀬底線となっていますが、本記事内では乗車しません(できませんでした)。

・駅のようなバス停

瀬底島のほぼ中央部にある「瀬底」バス停。といっても周囲にコンビニや銀行があるわけではなく、バス転回場のほかには、小さな居酒屋と、島出身者のための戦没者慰霊塔が立っているだけ。近づいてみると、沖縄らしい苗字の方々の御名前が慰霊塔に刻まれていた。バス停が3つしかない島でこれだけの方々が沖縄戦でお亡くなりになったという事実を、慰霊塔は静かに語ってくれる。手を合わせて冥福をお祈りした。小さな島であっても、バス停ならば人が集まるときがある。人が集まるからこそ、慰霊塔がバス停のすぐ近くに立っているのかもしれなかった。

そういった意味では、この「瀬底」バス停と鉄道駅との間に本質的な差は少ない。毎日決まった時間に、ここではないどこかへ向かう人々が集まってくるという意味合いにおいて、バス停と駅の違いはないだろう。地方のやや大きな駅前ともなれば、郷土の偉人の銅像だったり、平和都市だとか交通安全だとかの標語を掲げたモニュメントが立っているというのも、慰霊塔が立っているこのバス停と似通っている。空襲の激しかった町では、やはり慰霊塔が駅前に立っていることも珍しくないものだ。

 

 

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 ・瀬底の海に沈む夕日

 

バス停から歩くこと数分で、今宵の宿「フォールームス」に着いた。その名の通り、4部屋しかない小さなホテル。沖縄通のO君が前から気になっていたホテルだそうで、「ホームページが実にエモい」との理由でここに泊まることになった。何ゆえ「エモい」のかを敢えてあまり聞かずに現地まで来たが、彼が沖縄を愛してやまない理由を体感することになる。小高い丘の上にあるホテルに着くと、大きな犬2頭とネコ、やや遅れてご主人が僕らを迎えてくれた。

 

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 「ジャグジー、何時にしましょう。オススメはやっぱり日没の5時から6時の間ですよ」

 

はて、何のことやらと思ったが、聞けば屋上にジャグジーが設置してあり、1部屋1時間の予約を取ってゆったりと浸かることができるのだそう。星空を眺めるのもさぞかし良いであろうが、いくら沖縄といっても2月の夜はちと寒い。御主人のアドバイスに従い、ジャグジーに浸かりながら夕日を眺めることにする。もっとも、この日は僕ら以外の宿泊客はおらず、貸し切りだったが。部屋備え付けのハンモックを初体験しているうち、あっという間に5時になった。そして、最初の場面に戻るのである。

 

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 ジャグジーに浸かっている間は、何も考えず、ただただぼーっと夕日を眺めているばかりであったように思う。正直、どんな会話をしたのかすらあまり覚えていない。この開放感、自由、風、これこそが沖縄の醍醐味なのかもしれない。O君が沖縄に入り浸る理由が、なんとなくわかった気がした。伊江島へ帰る人を迎えに来たであろうフェリーが本部港へ入っていくのが見えたあたりで日没となり、ジャグジーの時間は終了した。といっても、誰かに呼ばれたり、チャイムが鳴ったりしたわけではない。ジャグジー近辺に、というかホテル全般に時計の類はほとんど置いておらず、「そろそろ時間だろう」と思ってなんとなく出ただけだ。事実、予約の1時間はとっくに過ぎていたのだが、この島の風に吹かれている限りにおいては、そんなことはどうでもよかった。
僕らの体にもウチナータイムが浸透してきたらしかった。

 

・「じゃあ、車で送りましょうねェー」

イチャリバチョーデー」というウチナーグチがある。「出会えば兄弟」他人同士でも一度出会ってしまえば兄弟同然の情が湧く・・・といった意味合いの、実に沖縄らしい素敵な言葉だ。実際、沖縄県民を対象とした意識調査においても、この「人間関係の豊かさ」は優れた県民性であると受け止められているそうだ。

一方、「ヒジュルー」というウチナーグチもある。イチャリバチョーデーとは対照的に「冷たい、無愛想な」といった意味合いになる。O君曰く、「基本的に沖縄人は誰もイチャリバチョーデーなんですが、初対面のナイチャー(内地人)が相手だと最初はよそよそしかったり、つっけんどんだったりもするんです」という。この話を聞いたとき、島社会特有の、よそ者(特に『ヤマト』)に対する警戒心のようなものは、21世紀になって尚あるのかもしれない、と思っていた。沖縄と本土、琉球とヤマトは、いつも微妙なバランスのもとに成り立つ環境にあったことに、変わりはない。

 

f:id:stationoffice:20180312184644j:image100%シークワーサージュースはいかにも身体に良さそうな味

 

ホテルの夕食は奥さんお手製のイタリア料理。ザ・沖縄料理・・・といったものを期待していただけに、ちょっと予想外。浅黒い肌に目がくりっとした、いかにも沖縄らしい顔立ちの奥さんだったが、料理の説明だけしてそそくさと引っ込んでしまった。決してヒジュルーとは言わないけれど、なんとなくそっけないような。そんな風に思っていた。

 

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翌、2/10朝。朝食で奥さんお手製のカレーリゾットを食べている時、僕とO君はタクシーを呼ぶか、島の対岸のバス停まで30分歩くかどうか迷っていた。

瀬底発のバスは1日4便あるが、土日祝は午前中の便が7:30しかなく、その次は12:30まで待たねばならず、チェックアウトから2時間以上も空いてしまい、お世辞にも観光に適した設定とは言えない。

この日は沖縄美ら海水族館を見学したのち、今帰仁廻りで名護バスターミナルへ戻り、そこから今度は【77】那覇ゆきで東海岸を縦断し、宜野湾市のホテルに泊まる予定でいた。瀬底島を足早に去ってしまうのは名残惜しいが、さりとて12:30まで待っていると水族館見学の時間が無くなってしまう。さて、どうしようか。

 

●参考:琉球バス交通「瀬底」発 バス時刻表 2018/2/10現在

07:30 【76】本部港経由 名護BTゆき

10:27 【66】本部港経由 名護BTゆき(平日運転) 

 ↑これがあればよかったが、この日は土曜日。

12:30 【65】記念公園経由 名護BTゆき(土日祝運転)

14:47 【66】本部港経由 名護BTゆき(土日祝運転)

15:15 【65】記念公園経由 名護BTゆき(平日運転)

19:40 【76】本部港経由 名護BTゆき

 

そう思っていたら、奥さんが顔を出してくれた。

「チェックアウトのあとは、どうするんですか?」

沖縄美ら海水族館へバスで行こうと思ってるんですけど、12時半までバスが無いんですよね。タクシーを呼ぶか、それとものんびり橋の向こうのバス停まで歩いていくか、悩んでます」

「じゃあ、車で送りましょうねェー」

 

ウチナーグチの一種だと思うが、「~しましょうねェー」(『ね』にアクセントがくる)というのは、「~しましょうか?/しませんか?」の提案の意味を持つ。つまり、「バスが無いなら、(水族館まで)車で送りますよ」というわけだ。願ってもない申し出だった。

決してヒジュルーなのではなく、旅の二人組へかける言葉がよくわからなかったのかもしれない。一晩泊まればイチャリバチョーデー。困っている人がいれば、我が事のように悩み、共感し、協力できる、それが沖縄人ならではの素朴な優しさを形成していよう。

 一見、断定のような「~しましょうねェー」。協力の申し出ゆえ、断られにくい提案であるからこそ、「~しましょうね」という断定の表現が、提案の意味を持つのかもしれない。

 

f:id:stationoffice:20180312184910j:image伊江島が見える

 

・水族館へ

 

 ご主人と犬2頭とネコに見送られ、僕らを乗せた奥さんの車はホテルを後にした。最後まで人懐っこい犬とネコたちだった。あんな歓迎を動物から受けたのは初めてだ。あの犬とネコたちも立派なウチナンチューだ。

この日の気温は18度と、沖縄にしては少々うすら寒く、奥さんはニットを着ていた。しかし僕らからすれば半袖に長袖を羽織るくらいで丁度良い。

「私からすると、ちょっと寒いですねェ。20度切ると、冬だーって思いますよ」

車中では、奥さんは打って変わって様々な話をしてくれた。前の晩までのヒジュルー?な感じがうそのよう。それだけ、打ち解けられるだけの時間が経ったのかな。

奥さんは地元の人だそうだが、御主人はなんと新潟の人なんだそう。数多の南の島を旅してきて、瀬底島に落ち着いて、そして奥さんと小さなホテルを開いたんだと。なんと旅人な人生だろう。ちょっとうらやましい。

瀬底島のなかでも最初期のお宿で、小高い丘にあるために眺めが良いのはいいけれど、水道の水圧が弱いのがお悩みだそう。でも、そんなの気にならないくらい、沖縄の風土に溶け込んだ、素敵なお宿だった。

15分ほどで、沖縄記念公園=沖縄美ら海水族館前に着いた。奥さんに改めてお礼を伝え、車を降りる。僕らのことを、手を振って見送ってくれた。また泊まる機会もあるだろうか、どうだろうか。

「良いホテルでした。リピート、アリですね」

沖縄通のO君にとっても、忘れがたい宿になったようだ。

 

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「めんそーれ」と彩られた花壇が迎えてくれた。海の方向には、水族館が控えている。

 

* * *

 

(つづく)

 

2.琉球バス交通【120】名護西空港線(2)[沖縄]

ウチナーグチとの出会い

「うまりじまぬ くとぅば わしぃねー くにん わしゆん。ちかてぃ いちゃびら しまくとぅば。」
沖縄を走るバスに乗っていると、120番をはじめ那覇市外線のみならず、那覇市内線でも時折こういったアナウンスが流れる。はじめは日本語とすら思わず、何か東南アジアあたりの異言語なのかとすら思ったくらいだったが、繰り返し聞かされているうちに(これが結構頻繁に流れるから驚く)、段々とそれが日本語であり、意味を持ったひとつながりのメッセージなのだとわかるようになってきた。あたたかなオバァ(ウチナーグチ=沖縄ことばで「おばあさん」の意)の口ぶりは、孫に語りかけるおばあちゃんのそれであった。
「生まれた島の言葉を忘れてしまうと、故郷のことも忘れてしまう。使っていきましょう、島ことばを」といった意味合いのウチナーグチであった。後で知った話だが、NHK連続テレビ小説ちゅらさん」でオバァ役を演じた、平良とみ(たいら―)さんの声なのだそう。御多分に漏れず、沖縄でも方言の衰退は著しい。しかしながら沖縄では「本土に追いつく」ことを旗印として、明治以来標準語が励行され続けてきた歴史があり、そう簡単に「島ことばを話せ」と言われても流れは変わらないのだろう。
バスで繰り返し流れる島ことばは、オバァの牧歌的な愛情に満ちているようで、実はこうした重いものを背負っているのかもしれなかった。

 

* * *

 

・外国人には路線バスが頼り

国道58号を走る120番は、宜野湾市の伊佐(いさ)で沖縄本島東海岸へと向かう77番等を分け、アメリカ文化を色濃く残す北谷(ちゃたん)町、広大な米軍基地を擁する嘉手納(かでな)町、日本一人口の多い村となった読谷(よみたん)村、リゾートホテルが集積する恩納(おんな)村へと進んでいく。
宜野湾市までは都市圏人口83万を擁する那覇都市圏に含まれるが、北谷町からは外れるため、那覇の空気というか、都会の空気もだんだん薄れてくる。それと同時に、旅行者が求める「沖縄っぽい景色」もぽつぽつと表れ始める。逆に言えば、本土のそこらの県庁所在地よりも那覇の景色はよほど活気があり、沖縄っぽい景色は首里城くらいのものだろう。国道58号をはじめとした幹線道路沿いに中高層のマンションや、ロードサイド店舗が延々と連なる光景は、沖縄っぽい景色とはかけ離れている。この「ファスト風土」的な空気が延々と連なることこそ、「那覇空港からリゾートまでが遠い」という印象を与えているのかもしれない。

 

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那覇空港から1時間半ほど経ち、恩納村まで来ると、さしもの国道58号も片側一車線の典型的な田舎国道になる。それと同時に、ヤシの木に白い砂浜といった、誰しもが思い描く沖縄のビーチが車窓いっぱいに広がってくる。
ルネッサンスホテル前」「ムーンビーチ前」といった、リゾート施設そのものを冠したバス停も現れ始める。そういったバス停では、外国人観光客の乗り降りが目立つ。異国でのクルマの運転には、ライセンスの取得をはじめ色々な手間がかかるし、特に右側通行の国からの観光客の場合、左側通行の日本の運転になじめないということもあるだろう。120番は那覇空港那覇市街地から名護までを(時間はかかるが)ダイレクトに結び、30分間隔という地方にしては高頻度運行であることもあり、外国人の利用も一定数あるのだろう。「那覇空港に着いたらまずレンタカー」が定着している日本人観光客よりも、外国人観光客のほうがバスで沖縄をめぐる率は高そうだ。
その外国人観光客に対しても、乗務員さんは「はいはい、こんにちは」と迎え入れる。外国人にとっても、ヘタに「ハロー」とか言われるよりもいいのかもしれない。歓迎のあいさつであることくらいはわかるだろう。

 

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「ブセナリゾート前」は、2000年の九州・沖縄サミットの会場の一つであった万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)の最寄り。万国津梁とは、首里城正殿にあった「万国津梁の鐘」に由来し、中継貿易で栄えた琉球王国のあり方、すなわち「国と国との懸け橋となること」を説いたものだ。サミットの目的と地域性が見事に合致した、良いネーミングであると思う。
その部瀬名岬を過ぎたあたりから、湾の奥に名護市街地が見えてくる。沖縄本島のほぼ中央の尾根を縦断するようにたどってきた沖縄自動車道の終点、許田(きょだ)インターがほどなく合流すると、那覇空港から2時間半を経て、いよいよ名護市街地へ入ってゆく。
沖縄道経由の高速バスなら1時間半程度で着くのだが、尾根をたどる沖縄道からは海が全く望めない。その点、120番であれば沖縄ならではの青い海の景色を存分に楽しむことができるのだ。

 

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・ウチナータイムとの戦い2

「まずいな。これ以上遅れると、次のバスに間に合わないかもしれない」
名護に着く達成感もそこそこに、僕とO君はまたしてもやきもきしていた。次に乗り換える65番・本部半島線(もとぶ―)との乗り換え時間を13分とっていたのだが、許田インターのあたりで10分以上遅れてしまっていたのだ。120番で終点の名護バスターミナルまで行ってしまうと、65番には間に合わない。65番は名護バスターミナルを始発とし、名護市街地をぐるっと回ってから、沖縄美ら海水族館で知られる海洋博記念公園方面へ向かうため、120番と65番がクロスする「北部合同庁舎前」での乗り換えなら13分の乗り換え時間を取れた。13分あれば乗り換えられるだろうと思っていたのだが、名護を手前にして10分以上の遅れ。
ここまで目立った渋滞に巻き込まれた覚えもないのだが、原因は言うまでもなく、ウチナータイム。乗務員さんから遅れを伝えたり、あまつさえ謝罪など、あるはずもない。10分以上遅れて到着するにもかかわらず、途中のバス停からの乗客に対し、乗務員さんは相変わらず「はいはい、こんにちは」である。10分の遅れなどウチナータイムの世界にかかれば、遅れのうちには入らないということか。次に乗り換える65番は始発の名護バスターミナルを出たばかりであり、そう遅れるとは思えないから、やきもきが募る。しかしながら、窓いっぱいに広がる青い海を見ていると、「まあ、いっか」という気持ちにもなってくるから、不思議なものだ。

 

「名護のひんぷんガジュマル」を過ぎると、いよいよ名護の中心街。ひんぷんとは屏風のことを指し、ガジュマルとは種子島屋久島以南に分布する樹木の一種で、名護市の木にもなっている。道の真ん中に生えており、沖縄特有の台風に伴う突風を除けるとともに、風水上の魔除けにもなっている。幹や枝が複雑に絡まりあいながら天へと伸びているガジュマルは、いかにも南の島の木らしい。
あまり活気を感じられない名護の商店街をしばらく走り、県の出先機関である「北部合同庁舎前」に着いたのは、定刻10分遅れの14:39であった。祈りが何かに通じたか、遅れは13分以上にはならず、ほっと一安心。その合同庁舎はどっしりとした構えで、「おきぎん」の字も見える。降りたのは僕らだけで、外国人観光客やわずかな地元客、合わせて10人程の乗客は、5分ほど先の終点、名護バスターミナルまで行くようだ。

 

14:39、北部合同庁舎前着。

 

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・産業盛んな本部半島

14:42、北部合同庁舎前発。

琉球バス交通【65】本部半島線、渡久地(とぐち)廻り、名護バスターミナルゆき。

 

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予想通り、65番は遅れることなく、定刻14:42にやってきた。韓国人のカップルが僕らより先に65番を待っており、4人で乗車。行先は「65 屋部・本部・今帰仁 名護」としか書いておらず、「記念公園経由」「瀬底経由」とダッシュボードに添えてあるだけで、例によっていまいちわかりにくい。記念公園=沖縄美ら海水族館であることも、知らなきゃわからない。65番は本部半島を右回りに一周、66番は左回りに一周するのだが、少なくとも始発を出たばかりの名護市内で「名護ゆき」としてやってくるのは不親切だ。
ともあれ、本日の最終目的地「瀬底(せそこ)」に向け、65番は本部半島へ向けて走り出した。

 

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本部半島は意外と産業の香りが濃く、山側の窓にはセメント工場や採石場が広がる。「セメント工場前」なんてバス停もあるくらいだ。サミットに合わせて整備されたらしい、片側二車線の立派な国道449号をたどるのかと思いきや、一本山側の旧国道らしき県道をそろそろと走っていく。こうした旧道のバス停で地元のオジィオバァが降りていく。オジィオバァが65番のお得意様だから、そうやすやすと経路変更もできないのだろう。美ら海水族館やその先のリゾートホテルまで直行する高速バスは当然国道経由になっているから、65番との役割の差は明確だ。ただ、こうした状況が地方の路線バスの遅さの原因でもある。

 

名護から20分ほどで「本部港」バス停に着く。本部港からは伊江島ゆきのフェリーが出ていて、30分ほどで着くという。周囲にはスーパーやタクシー会社もあり、ちょっとした街になっている。65番からも、伊江島に向かうらしい買い物帰りのオジィが一人降りた。

 

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・瀬底島へ渡る

本部港を過ぎると、大きな白い橋が見えてくる。この橋を渡ると、本日の最終目的地、瀬底島に到着する。沖縄にはこうした「離島の離島」を結ぶ橋がいくつもあり、こうしてバスが乗り入れていることも珍しくない。瀬底島には65番を含めて1日4往復のバスが乗り入れており、65番は瀬底島中央部の「瀬底」で転回して、引き続き記念公園方面へと運転を続ける。支線の終点という扱いではなく、立ち寄りの形になっているのが興味深い。名護方面から記念公園方面へ乗り通す乗客にとってはロスになるが、そこは沖縄のなせる業か、そんなに目立った問題にはならないらしい。

 

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瀬底大橋からは、今までに見たどの海よりも清らかな海が見渡せた。その先には、伊江島が浮かんでいる。のんびりと走るバスに身を委ね、この雄大な景色を見渡す。なんと贅沢な時間であろうか。本部半島にもまして交通量が少ない瀬底島を走ること5分、65番は「瀬底」に到着した。

 

15:15、瀬底着。

那覇空港から、3時間15分。

 

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バス停脇の転回場を通って65番が記念公園方面へと走り去ると、そこには風が吹いているだけ。

 

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* * *

 

(つづく)

1.琉球バス交通【120】名護西空港線[沖縄]

沖縄といえば、僕にとってはバスの楽園。

普通、青い海に白い砂浜であるとか、常夏の南の島の景色を思い浮かべるところであろう。

しかし、那覇市街地を走るモノレール以外に鉄道が存在しない沖縄では、バスがほぼ唯一の公共交通機関である。中には那覇から名護まで2時間半から3時間をかけ、一般道経由で街々を縫って走る長距離路線が健在で、しかもこれが30分間隔で走っていたりする。

東京で長距離路線というと、東京駅から多摩川べりの等々力までを結ぶ【東98】がそれなりに有名だが、それでもせいぜい1時間。鉄道が殆ど無い沖縄とはスケールが違う。

 

大学時代、47都道府県を全て回るべく躍起になっていた中でも、小学生当時に一度家族旅行で訪れていたということもあり、鉄道が殆ど無い沖縄にはなかなか足が向かなかった。

「駅事務室」というタイトルの第一稿としては甚だ不向きではあるが、現代に生き生きと走る長距離バスたちの姿を追うべく、会社の後輩・O君と共に、16年ぶりに沖縄を訪れることにした。

 

* * *

 

「ウチナータイム」という言葉をご存知だろうか。

ウチナーとは沖縄人のことを指す。つまり、「時間におおらかな沖縄人ならではのゆったりとした時間感覚」のことを言う。沖縄人は時間にルーズだ、ということは度々話題になるが、一方でこれが沖縄人ならではのおおらかさ、優しさを形成しているのだということも言え、一概に批判はできない。しかし、のっけからウチナータイムの洗礼を浴びることになろうとは。

 

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2018/2/9羽田空港の保安検査場を抜け、ゲート前に辿り着いたのは出発20分程前。

休前日の午前中ではあったが、那覇ゆきを待つ人々で、13番ゲート前は人だかりができていた。

しかし、搭乗が始まったのは出発のわずか4分前。保安検査場では「出発時刻は飛行機が動き出す時間です」という念入りな案内があったにも関わらず。本当に4分で出れるの?と思っていたが…

 

実際、JAL905便が動き始めたのは定刻15分後、8:40だった。

 

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那覇空港での乗り換え時間は35分を取っていたので、まあ間に合うだろうとは思っていたものの、これ以上遅れられると、昼食の調達や「沖縄路線バス周遊パス(高速バスを除くバス3日間乗り放題+ゆいレール24時間券1枚付きで5,500円)」の調達に支障が出る。12:00のバスに間に合わないと、その次に乗り継ぐバスが14便しかない過疎路線のため、たちまち行程が破綻してしまう。快適なフライトではあったものの、とにかく間に合ってくれと祈るしかなかった。

 

那覇空港到着はさらに5分遅れ、20分遅れの11:45であった。出発が遅れた上に上空で更に遅れるとは…。飛行機からしてウチナータイムで動いているとは思わなかった。沖縄人が操縦桿を握っていたんじゃないか?と言いたくなるが、フリーパスと昼食を調達すべく、16年ぶりに沖縄に着いた感慨もそこそこに、走るしかなかった。何しろ、ここを逃したら、宿に着いてなお補給ができる地点は皆無であったからだ。

沖縄に通いなれたO君の案内だけが頼りだった。

 

JTBで売っているはずの「沖縄路線バス周遊パス」は観光案内カウンターで買うよう案内される更なるハプニングに見舞われたものの、パスと昼食のポークおにぎり=スパムおにぎりこと「おにポー」を何とか仕入れた。

リラックスするために訪れた沖縄でいったい何でこんな目に遭うのか。

名護ゆきが出発するバスポールに辿り着いたのは出発3分前。そして出発予定時刻の1分前に、120系統 牧志経由 名護バスターミナルゆき」はやってきた。いきなり予定が狂うかと肝を冷やしたが、これで一安心。ドアが開き、いよいよ車内へ。乗務員さんにパスの日付欄を見せた。

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「はいはい、こんにちは。どうぞー」

 

何とも沖縄らしい挨拶であった。普通「お待たせしました、●●ゆきです」のような、事務的なアナウンスがあるところ、「こんにちは」である。思わずO君と頬が緩む。乗客は自分を含めわずか3名。2月にして車内は少々暑い。窓を開け、風が入るようにしておく。

 

さあ、いよいよ長躯2時間半におよぶ旅の始まりである。

 

 

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…と思ったが、定刻をいささか過ぎても出発する気配がない。乗務員さんは軽く伸びをしている。はて、バスを間違えたか…と怪しみだしたくらいで、ようやくドアが閉まり、出発。始発の那覇空港を出る段階で、特に理由もなく3分ほど遅れてしまった。

飛行機からしてウチナータイムなんだから、バスも多かれ少なかれそうなんだろう…と思うくらいで、この時点では気にも留めなかった。

が、この「理由なきウチナータイム」に度々悩まされることになるとは、知る由もなかった。

 

12:03、国内線旅客ターミナル発。

琉球バス交通120】名護西空港線 名護バスターミナルゆき。

 

16年ぶりの那覇は想像以上の都会的な活力にあふれていた。

福岡とまではいかないが、長崎や広島のようにバスがくっついたり離れたり、何車線もある立派な国道沿いにオフィスが立ち並ぶ。

エメラルドグリーンの国場川を渡り、那覇の中心部に入っていく。

「国場」を「こくば」と読むあたりも、いかにも沖縄らしい。

 

フロントガラスに「牧志経由」と青の掲示があるバスは、現代の那覇の目抜き通りたる、国際通りを貫いていく。道の左右に極彩色に彩られた土産物屋や沖縄料理屋、居酒屋が立ち並び、ヤシの木が青い空へ向かって伸びている。広い歩道には観光客がそぞろ歩き、呼び込みの声がこだまする。

とても30万都市のそれとは思えない、エネルギッシュな空気に満ちていた。

 

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そんな中を、いかにも地元の空気を載せた、路線バスが堂々と真ん中を走っていく。

国際通り上にある県庁北口、松尾、牧志(まきし)の3つのバス停を経るうち、いつしか乗客は15人ほどに増えていた。観光客風の顔は、僕らくらいしか見えない。

 

市街地を抜け、沖縄の背骨・国道58号に出た120番は、流れに乗ってスピードを上げる。

このあたりが那覇市浦添市の境目で、都会の景色から郊外のそれへと移り変わってゆく。

幾分空気が間延びしたところで、空港で買った「おにポー」を開いた。

こんがりと焼かれたスパムスライスと、甘い卵焼きが挟んであるという単純なおにぎりなのだが、塩気があってジューシーなスパムと、甘い卵焼きが見事にマッチする。一口頬張ると色々な味が飛び込んできて、実に愉快だ。ハワイ発祥というが、やっぱり南国の味なのだろう。

 

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バス停が、単に道路端に立つポールから、屋根・ベンチ・大型の案内掲示板を備えた、まるで小さな駅のように大きなものになってくると同時に、左手車窓に広大な米軍基地が広がる。

牧港(まきみなと)補給地区、通称「キャンプ・キンザー」である。

時折設けられている高速道路の料金所のようなゲートの屋根は赤瓦に漆喰といかにも沖縄らしいが、青々とした芝生の奥にスクエアな建物が立ち並ぶ光景は、いかにもアメリカらしい。

市街地のど真ん中にある嘉手納基地や普天間基地と異なり、国道58号から浜の手がすべて基地であり市街地から隔絶されているが故、表立った返還運動は起こらなかったそうだ。

しかしながら、密集市街地たる那覇の目と鼻の先にこんな広大な景色が広がっているのは、異様な光景と言わざるを得ない。事実、国道58号を挟んだ反対側は、浦添市を過ぎて宜野湾市内に入っても、マンションが脈々と連なる市街地なのである。

 

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延々と続いた牧港補給地区が尽きると、海側へ宜野湾バイパスが分かれてゆく。つまり、牧港補給地区があるが故に、一番交通量が多い那覇浦添にかけてバイパス道路を建設できなかったのであるが、驚くことに海上に高架橋を設けることで解決されようとしている。浦添北道路」と呼ばれるそれは20183月開通予定で、訪問時点では開通を記念する道路ウォーキングイベントの宣伝が、浦添市宜野湾市に留まらず広く各所でなされていた。

開通すると、那覇空港から宜野湾市沖縄コンベンションセンターまでの所要時間が現在の30分から21分になるというから(国土交通省資料による)、現状の国道58号がいかに猛烈に混雑するかがわかろうかというもの。

このように、米軍基地を回避するために海上に延々と高架橋を造らねばバイパスを建設できないというように、市街地の健全な発展を米軍基地が妨げている側面もあるのは、事実として認めざるを得ないであろう。

 

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浦添市から宜野湾市へ入ると、巨大なロードサイド店が連なるようになる。

中には、沖縄ならではの「ブルーシールアイスクリーム」や、ハンバーガーショップの「A&W」といった顔ぶれも見える。ここまで来ると、当然ながら「わ」ナンバーのクルマは駐車場には見えない。店内に覗く顔はウチナンチューばかりだろう。

那覇市内で乗せた乗客もぽつぽつと降りはじめ、車内には気怠い空気が漂ってくる。

 

気づけば、片側4~5車線もあった国道58号は、いつしか片側2車線の平凡な国道になっていた。

 

* * *

 

(つづく)