駅事務室

S駅の旅する業務記録

移転しました。

約3秒後に自動的にリダイレクトします。

22.JR佐世保線 -長崎新幹線に揺れる西への鉄路- #佐賀 #長崎

極地というものは、何か冒険心をくすぐるものがある。ここが日本の端、これより先は外国、そこに面した駅や街、人々の姿をといったものは、いったいどうなっているのだろうか。そう、極地というところは、最も中央から離れた辺境、周辺、外縁であると同時に、最も異国に近い「最前線」の地でもある。そういった環境におかれた駅というのは、どんな表情をしているだろう。そんな冒険心に導かれ、僕は博多駅に降り立った。

さて、「日本最西端の駅」とは、どこだろうか。名実ともに現在日本最西端の鉄道駅は、沖縄都市モノレール"ゆいレール"の「赤嶺駅」であるが、当然ながら沖縄へ鉄道だけで行くことはできない。従って、鉄道だけで行くことのできる日本最西端の駅となると、長崎県を走る第三セクター鉄道松浦鉄道西九州線の「たびら平戸口駅」になる。また、JR線における最西端の駅は、同じく長崎県を走る佐世保線の終着駅「佐世保駅」になる。今回は、そんな「最西端の駅」2つを順に巡り、佐世保・平戸といった古くから異国を向いた港町の風を感じてみたい。

※おことわり:前回の「21.和歌山電鐵貴志川線」をもって「紀勢編」が完結しました。行程上、和歌山の次は徳島→高知→愛媛→香川と巡っていますが、長くなるので徳島以降は「四国編」として分割し、暫くの間は九州・沖縄の短編をいくつか投稿していきます。

・土曜夕刻の博多駅

2018/6/23(土)16時過ぎ、JR博多駅は買物客や行楽客でごった返していた。大きな荷物を持った人はあまりおらず、買い物帰りの紙袋を提げた人が目立つ。大きな荷物を持った向きは新幹線ホームか、福岡空港を目指しているのだろう。それにしても、大分行きや佐世保・長崎行きの在来線特急を待っている人々と、近郊区間の普通・快速を待っている人々の格好がそれほど変わらないのには驚く。例えば新宿駅だと、9・10番線で中央本線の特急あずさ・かいじを待っている人々と、11・12番線で中央線快速を待っている人々は服装からしてだいぶ異なるし、小田急線特急ロマンスカーと急行でも同じ現象になる。これは、JR九州ならではの「2枚きっぷ」や特急回数券などの特急利用促進策のおかげで、中距離程度でも特急利用が根付いているせいもあるだろう。事実、新幹線が停車しない鳥栖での降車が、特に自由席では多かった。

f:id:stationoffice:20180725191638j:image今回利用した博多(福岡市内)〜佐世保間の2枚きっぷ。指定席利用で2枚4,620円で1枚あたり2,310円。同区間の普通運賃・自由席特急券は3,360円なので、1,050円も安い上に着席が保証される。   高速バスとの熾烈な競争から生まれた企画きっぷだ

発車10分前の16:20ごろ、吉塚方からハウステンボス色の783系が入線。扉が開き、列を作っていた乗客が乗り込む。普通・快速と特急の間で客層の違いはあまりないとはいえ、例え自由席であっても乗客が車内へ乗り込むスピードは緩慢だ。リクライニングシートに座れる特急という安心感があるのだろう。しかし、東京駅の新幹線だったり、新宿駅のあずさ・かいじ、小田急ロマンスカーだともう少し、例え指定席であっても殺伐としている気がする。目的地へ一分一秒でも早く、という意識がそうさせるのかもしれない。博多駅の特急みどりはそうでもなく、なんだか九州特有のおおらかさのようなものまで感じる。

f:id:stationoffice:20180725135434j:imageJR九州の中心、博多駅
f:id:stationoffice:20180725133447j:image特急と普通が同じホームを使うため、様々な乗客が同居する
f:id:stationoffice:20180725133443j:imageハウステンボス仕様にリニューアルされた783系
f:id:stationoffice:20180725133454j:imageオランダを象徴するオレンジ色が印象的だ

16:31、博多発。佐世保線特急みどり19号佐世保行き。

・特急みどりで博多を出発

博多を出発した特急みどりは、暫く徐行で進んでいくが、次の竹下を通過したあたりから加速を始める。南福岡でさっそく普通を追い抜き、さらにスピードを上げていく。

長崎本線の特急は、長崎行きのかもめが2本/h、佐世保行きのみどりが1本/hの計3本/hが基本ダイヤ。うち、かもめの1本/hが速達タイプで、長崎までの途中停車駅は鳥栖新鳥栖・佐賀・肥前鹿島・諫早・浦上。もう1本のかもめとみどりの計2本/hが停車タイプで、こちらは福岡近郊の二日市、長崎本線から佐世保線が分岐する肥前山口など、準主要駅にも停車してゆく。自分が乗るみどり19号は二日市・鳥栖新鳥栖・佐賀・肥前山口・武雄温泉・有田・早岐と停車して佐世保に至る、みどりの中ではオーソドックスな部類。

博多から13分で二日市。太宰府の玄関口であり天満宮を模した駅舎が建つが、現在では専ら福岡のベッドタウンとしての機能の方が強く、駅前にはマンションが建ち並ぶ。二日市から太宰府へは西鉄電車への乗り換えを要し、太宰府線が出る西鉄二日市駅までは徒歩12分(その隣の紫駅までは徒歩5分だが、普通のみの停車駅のため西鉄二日市駅で更に乗り換えを要する)とやや離れていることもあり、今のJR二日市駅太宰府への玄関口としての機能は薄い。ただ、福岡の南の拠点であることは確かなので、ここから特急みどりに乗る乗客も少なくない。二日市では20人ほどが乗り込み、定刻に出発。

原田あたりから若干走りが淀むが、基山で博多を25分前に出た普通を追い抜くとスピードが上がった。九州新幹線の開通によって熊本・鹿児島方面への特急が走らなくなったとはいえ、長崎本線の特急だけでも3本/hが走り、福岡近郊輸送を担う普通・快速、さらに貨物列車まで走るこの区間の運転本数は多い。特急の高速運転と普通・快速の頻繁運転の両立は難しく、こうして普通の後ろを走る特急が徐行を強いられる場面もある。九州新幹線長崎ルート(以下『長崎新幹線』)が開通して長崎本線特急が新幹線に移れば、このような高密度運転の解消にも繋がるだろうが…。

博多から26分、貨物駅跡地に建てられたサガン鳥栖のスタジアムが見下ろす鳥栖に到着。早くも自由席からの下車があり、多くは改札へ向かっていくが、ここで普通八代行きに接続するため、久留米・大牟田方面へ新幹線を使わない向きの乗り継ぎが少し見られる。快速を乗り通すより速く、新幹線を使うよりも安いからこそ見られる流れだろう。ここで鹿児島本線から長崎本線が分岐。鹿児島本線は普通・快速が3〜5本/h程度走るが、長崎本線は特急こそ3本/h走るものの普通は1本/hに減り、だんだんとローカル色が濃くなっていく。

次の新鳥栖は新幹線連絡駅。博多〜新鳥栖程度では新幹線の時短効果が殆ど無いため、ここでの乗り換えは博多方面からではなく、佐賀・長崎方面←→熊本・鹿児島方面の、福岡を挟まない流動がメインで、新幹線からの乗り換えと思しき乗車がぽつぽつある。長崎新幹線が開通した場合は、鳥栖鹿児島本線から長崎本線が分岐したのと同様、九州新幹線(鹿児島ルート)から長崎新幹線が分岐することになる。従来案では新鳥栖─武雄温泉をFGT(フリーゲージトレイン)の導入によって新幹線と在来線が線路を共用することになっていたが、つい先日FGTの導入が見送られることが決定し、先行きは不透明な状況にある。

博多─鳥栖間は快速でも30分弱で、鳥栖─佐賀間も普通で30分程度なので、博多─佐賀・肥前山口あたりは普通列車でも十分博多駅への通勤圏内のように思われるが、長崎本線から博多方面へ直通する普通・快速は6・7・9時台に計6本が走るのみ。なかには佐賀県最南端の長崎本線肥前大浦を5:40、佐世保市南部の佐世保線早岐(はいき)を5:33に出て、両線が合流する肥前山口で連結、鳥栖まで先着するものの鳥栖〜南福岡で立て続けに4本の特急に抜かれ博多駅に8:21着、そのまま走り続けて終点門司港に10:29着という実に5時間近くかけて走る普通列車という変わり種もある。しかし実態として長崎本線から普通・快速で博多を目指す流れはそう多くない。鹿児島本線西鉄電車が伸びる久留米・大牟田方面は古くから開発が進んでおり、博多・天神方面への通勤も多いのとは対照的だ。これには佐賀平野の地盤が緩く、大規模な宅地開発が難しいという事情もあるだろうが、それにしても博多1時間圏内とは思えない田園風景が広がっているのには驚く。背振山地を挟んでいてもともとの交流が太くなく、開発にも向かない土地ばかりとあっては、開発の波も及ばないのであろうか。

ただ、特急を使えば博多─佐賀間は45分程度であり、佐賀駅では特急利用による博多方面への通勤・通学が多数見られ、日常の効率が全く無いわけではない。

・新幹線への期待と不安…武雄温泉駅

博多から44分の佐賀で自由席からは多くの下車があり、指定席からも初めて下車があった。ただ、指定席はやはり自由席よりも長距離志向が高く、多くは博多から動かない。その次の肥前山口では長崎本線から佐世保線が分岐して列車がばらけるため、博多から続いた複線区間もここで尽きる。接続列車がないため下車は僅か。しかしながら長崎発上り特急かもめ30号とは時刻表上で1分接続。長崎・諫早←→早岐佐世保大村線が結んでいるとはいえ、武雄温泉・諫早肥前鹿島など、大村線ではカバーしきれない動きもあるだろう。しかしホームを跨ぐ1分接続ではほぼ乗り換えは不可能で、肥前山口で特急同士を乗り継ぐ利用などは殆どないのであろう。ここまで来て博多からようやく1時間である。

佐世保線に入って最初の停車駅、武雄温泉には博多から1時間10分、17:40に到着。ここでは先行して整備が進む長崎新幹線の暫定始発駅として整備が進められており、すでに在来線の高架化は完了。2022年の開通に向けて新幹線の高架駅や高架線も徐々に建ち始めており、遠い未来に思われた新幹線が現実のものになってきている。

f:id:stationoffice:20180725192947j:image在来線の高架化は2009年に完成
f:id:stationoffice:20180725192936j:image高架橋が建ち始めた
f:id:stationoffice:20180725192940j:image
f:id:stationoffice:20180725192943j:image新幹線のトンネルが口を開けている

長崎新幹線には批判的な意見も多い。武雄温泉─長崎間のみの暫定開業では、現状の最速かもめとの短縮がたった26分でしかない上、武雄温泉駅での乗り換えを強いられる。このため、新鳥栖─武雄温泉間の在来線利用をやめてフル規格新幹線に格上げさせようという声も主に長崎県から根強いが、長崎県以上に時短効果を享受できない上に運賃値上げが避けられない佐賀県が慎重な姿勢を崩していない。当然のことだとは思う。新鳥栖─武雄温泉間のフル規格化の見通しが立たない中で、この区間を往復するだけのフル規格新幹線に果たしてどれだけの意義があるだろうか。フル規格新幹線は、やはり山陽新幹線に直通してこそ意味があるのではないか。

しかし、肥前山口肥前鹿島─諫早間は急カーブが連続する単線の隘路であり、有明海に沿って走るために強風や大雨に弱い。この区間の改良は喫緊の課題であるのもまた事実ではある。加えて博多〜鳥栖間は先述したように特急が普通に足を遮られる高密度運転でもあり、これを一挙に解決するのが新幹線であったはずだ。

そうであれば、武雄温泉─長崎間は新幹線ではなく、長崎本線の高速新線として開通させるべきではないだろうか。新幹線の260km/h運転は無理にしても160km/h運転は実用化されているし、武雄温泉の乗り換えも必要ないため乗り換えに要する3分をアドバンテージにできるので、新幹線との所要時間の差はそこまで開かないだろう。当面の間は長崎本線高速新線として運用し、新鳥栖─武雄温泉間のフル規格化の目処がたってから新幹線仕様に改修すればよい。

加えて言えば、長崎本線高速新線として運用すれば諫早─長崎間の整備も暫定開業の段階では必要なくなる。この区間の大部分を占める喜々津(諫早から2つ目)─浦上(長崎の1つ前)間には国鉄時代に既に高速新線が整備されており、特急はこの区間のほぼ全てで130km/hの最高速度を維持できるため、特急は途中浦上駅に停車してなお僅か16分で結んでいる。新幹線は浦上駅に停車しない予定であるが、ほとんどその分の短縮効果しか出ない。浦上駅は宅地化が進み人口が増加傾向にある長崎市北部の玄関口として機能しており、全ての特急が停車し、路面電車やバスへの乗り継ぎも便利なので、浦上駅に新幹線が停車しないことに不満を抱く長崎市民は多かろう。浦上駅利用者が遠回りになる長崎駅まで出なければならなくなるとすると、新幹線の時短効果も彼らには削がれてしまう。

武雄温泉─諫早間を長崎本線高速新線として運用するのであれば、長崎市街地を通過するために建設費も膨らむ諫早─長崎間の整備は不要だろう。この区間の整備は、やはりフル規格で新鳥栖まで繋がってこそ意味を持つ。

地域の期待を背負いながらも、前途洋々とは言い難いスタートになりそうな長崎新幹線長崎本線と同じように隘路だった熊本─鹿児島間の交流を九州新幹線が強化させ交流人口を増やし、本来の地域創生に寄与したような変革を起こせるだろうか。今の長崎新幹線にはまだ、それが見えない。

早岐駅スイッチバックと"或る列車"

武雄温泉を出て、ひと山を越えると有田に着く。一つ手前の上有田から有田にかけては有田焼の窯元が立ち並び、窯の煙突がいくつも空へ伸びているのが印象的だ。かつては有田から伊万里の港へ有田焼を輸送するために敷設された松浦鉄道西九州線が分岐し、ホームには有田焼の陶板が展示されている。

f:id:stationoffice:20180725231658j:image上有田で上り普通と交換。「有田陶器市下車駅」の看板が立つ
f:id:stationoffice:20180725232000j:image有田駅から西九州線が分岐。「みだいばし」は西九州線の駅
f:id:stationoffice:20180725231948j:image
f:id:stationoffice:20180725231952j:image
f:id:stationoffice:20180725231956j:image
f:id:stationoffice:20180725231945j:imageホームを彩る有田焼の陶板

有田を出ると三河内(みかわち)を通過し、最後の停車駅・早岐(はいき)駅2番線に到着。ここで特急みどりはスイッチバックのため6分停車。佐世保線肥前山口早岐佐世保間のひとつながりの路線ながら、途中の早岐スイッチバックとなるのは、早岐から分岐する大村線との歴史によるものだ。

佐世保線はもともと長崎本線の一部として、1897年に佐賀─肥前山口早岐間が開通した。翌1898年に早岐─(大村)─諫早─(長与)─長崎間、および早岐からスイッチバックする形で佐世保への短距離支線が同時に開通し、これが最初に佐世保線を名乗る路線となった。その後、長崎への短絡ルートとして1934年に肥前山口肥前鹿島─諫早間が開通したことで、こちらが長崎本線を名乗るようになった。長崎本線から分離された区間ののうち、肥前山口早岐間が早岐佐世保間と合わせて新たな「佐世保線」となり、残る早岐─大村─諫早間が「大村線」として独立し、現在に至っている。

佐世保線は軍港・佐世保への路線として、海外へ開かれた港町・長崎へ至る長崎本線とほぼ同等の幹線としての扱いを受け、長崎本線と同時期に電化もされた。一方、大村線は広域輸送の機能を失って長崎県内の二大都市を結ぶ地域路線となり、毎時1本の快速「シーサイドライナー」が走るものの、現在に至るまで非電化のまま。ハウステンボスの開園時、真横を走っていた大村線ハウステンボス駅が開業し、早岐ハウステンボス間の1駅間のみ電化され、博多からの特急が久しぶりに1駅間のみとはいえ大村線を走るようになった。しかし、全線電化には至っていない。

早岐駅は、開業以来佐世保の入り口として、また分岐駅として鉄道の拠点であり続けており、その広大な駅構内を活用して長崎駅高架化に伴う車両基地の移転先となるなど、今なお存在感を保っている。

f:id:stationoffice:20180725231428j:image早岐駅駅名標。隣駅が複数ある駅名標は分岐駅ならでは

ハウステンボス方へは行き止まりとなっている隣の1番線を見ると、"或る列車"の回送列車が止まっていた。

f:id:stationoffice:20180725233806j:image威風堂々とした佇まいの"或る列車"
f:id:stationoffice:20180725233802j:image元がキハ47とは思えないほど徹底的に手が加えられた車内
f:id:stationoffice:20180725233758j:image"JR KYUSHU SWEET TRAIN"らしく、車内でスイーツを楽しめる
f:id:stationoffice:20180725233809j:image783系特急みどりと並ぶと、そのスタイルの差が際立つ

或る列車とは、明治の鉄道黎明期の九州を走っていた幻の豪華客車。大正・昭和期に入ると戦時輸送最優先となり、普通列車用の客車や事業用車両に改造されるなど、悲運の豪華客車として知られた。愛称もなかったことから鉄道ファンからは「或る列車」として呼ばれ、それが定着したものだ。2015年に「カジュアルに楽しめる"ななつ星"」というコンセプトをもとにJR九州がキハ47を種車として復刻させ、現在長崎─佐世保間や大分─日田間などを走っている。今回はJR九州自慢のこうした観光列車には乗れなかったが、「乗ること自体が目的」となるような観光列車はJR九州が日本をリードする存在であり、いつかは乗ってみたいものと思う。

・港のまち、佐世保

僅か6分間の"或る列車"との邂逅を果たし、早岐を出発。進行方向が変わるが、終点佐世保までは9分しかないので、殆どの乗客は座席を回転させず、逆向きのまま座っている。早岐佐世保間は特急ながら特急料金不要の特例が適用されるため、高校生も乗り込んできた。大塔(だいとう)を通過し、最後の通過駅・日宇(ひう)を通過する前、進行方向左手にジャパネットたかたの大きな建物が見えるが、ここがテレビCMにも出てくる住所(長崎県佐世保市日宇町)で間違いないだろう。ジャパネットたかたは今や佐世保を背負って立つ大企業である。

次第に長崎らしい斜面にへばりつく市街地が広がってきて、線路も高架に上がると、博多から1時間54分を経た18:25、特急みどり19号はJR最西端の終点・佐世保に到着する。

f:id:stationoffice:20180725235915j:image隣駅が片方しかないのは終着駅の証拠
f:id:stationoffice:20180725235930j:image船の帆を思わせる上屋が印象的。高架駅ながら開放的な造り
f:id:stationoffice:20180725235919j:image平地が限られる佐世保らしく、高層マンションが駅を囲む
f:id:stationoffice:20180725235926j:image一旦正面口に背を向け、海側の「みなと口」から出る

f:id:stationoffice:20180726002126j:imageここがJRの西の果て。しかし鉄路はまだ西へと続く
f:id:stationoffice:20180725235922j:image駅を出るとすぐ港。離島行きのフェリーターミナルは目の前

f:id:stationoffice:20180726001820j:imageかつての鉄道のヤードが再開発されていた

西九州道の高架をくぐると、改札口から2〜3分程度でもう岸壁である。これほど駅と港が近い駅というのも珍しいように思う。佐世保鉄道連絡船が就航していたわけではないので、函館、青森、高松のように岸壁と直角にぶつかる形ではなく、岸壁と駅がほぼ平行。貨物の積み替えをメインにした構造だったのだろう。今ではみなとみらい21の街区が広がり、岸壁までは遠くなってしまったが、かつては横浜の桜木町駅もこんな感じだったのだろうか。港らしくボラード(船を係留するロープを掛けるための杭)に腰掛け、駅ナカの「ログキット」で購入した佐世保バーガーを開く。

f:id:stationoffice:20180725235935j:image佐世保バーガーを港で頂く。これぞアメリカ文化がもたらしたものだ

海風を受けながら頬張る佐世保バーガーは格別。

f:id:stationoffice:20180726001709j:image

ふと遠くに目をやると、汽笛を鳴らしながら、離島からやってきたフェリーが入港してきた。佐世保は、今も昔も活気ある西の港町なのだ。

 

(つづく)