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19.JR紀勢本線(新宮-紀伊田辺) -海とめはりと忍耐の紀州路- #和歌山

ガツン!「痛ぇ!」…腰骨を突く鈍痛に思わず声が出る。交換駅のポイントを渡る衝撃に揺さぶられ、腰がロングシート脇のパイプに激突。新宮を出て2時間以上、座り続けるが故の腰痛に加え、腰骨まで痛くなってきた。和歌山どころか紀伊田辺ですら、いつになったら着くのだろう…。

f:id:stationoffice:20180706203727j:image約3時間をワンマン電車の中で過ごす羽目に

紀勢本線のダイヤを読み解く

多気7:05→新宮10:21の普通で新宮駅に到着。特急くろしお20号新大阪行きが普通からの乗り継ぎ客を待っており、7分接続の10:28に出発していった。乗り換えれば和歌山に13:49、新大阪に14:50には着いてしまうが、こちらは11:25発の普通紀伊田辺行きを待つ。新宮〜紀伊田辺間は特急も普通も概ね2時間に1本で、合わせてようやく1時間に1本といったところ。新宮市の人口は約28,000人、県内では和歌山市に次ぐ都市の田辺市(紀伊田辺駅)でも72,000人なので、利用の実態、特に普通はローカル線そのもの。

f:id:stationoffice:20180706203923j:image特急くろしおが亀山発普通からの乗り継ぎを待つ

和歌山県大阪府境に接する県都和歌山市に県人口の40%、約350,000人が集中する一極集中型の分布であり、その和歌山市大阪市へのアクセスが良いため、大阪への依存度が高い。よって、和歌山県内の紀勢本線の乗客の動きとしては大きく和歌山を向くものの、全体としてはその先に控える大阪を向いており、和歌山・大阪双方への動きが重なっているような形だ。このため紀勢本線のダイヤもそれに沿う形となっており、新宮では普通2時間に1本程度だが、紀伊田辺から1時間に1本、御坊から1時間に2本となり、この状態で和歌山に到着する。和歌山からは1時間に4本となり、和歌山・大阪へ向かうほど本数が増え、遠ざかるほど本数が減る、典型的な先細りダイヤである。

大阪を頂点とする先細りダイヤに線路設備も従い、新宮を出るときは単線だが、白浜折り返しの特急や、始発の普通が加わって本数が増える紀伊田辺からは複線となり、増える列車を迎え入れる。

特急くろしおも普通列車の運転形態と似たようなもので、新宮では約2時間に1本(1日6本)であるが、白浜で倍以上に増えて約1時間に1本(1日15本)となり、さらに和歌山では通勤ライナー的な性格を持つ早朝の海南始発や和歌山始発の短距離列車を加え、日中約1時間に1本・朝夕ラッシュ時1時間に2本の1日18本が大阪へ向かう。阪和線に入った日根野からは、更に関西空港からの特急はるかが1時間に2本程度加わり、天王寺に到着する特急の本数は1時間に3〜4本を数える。特急街道というと北陸本線鹿児島本線がクローズアップされることが多いが、性格の違う特急が2系統合わさった結果とはいえ、1時間に3〜4本というとこれら有名どころに引けを取らず、あの近鉄大阪線名古屋線と同等の多さを誇る。阪和間は隠れた特急街道と言えるだろう。

新宮を出る普通の本数は、新宮以西の電化区間も、新宮以東の非電化区間も両方1日11本(途中駅までの短距離列車含む)。新宮以西は大阪からの特急のために電化されているとはいえ、普通列車に限れば非電化区間との利用者数の差はあまりない。

線路としては新宮から先も繋がってはいるが、電化・非電化の境目があることや、新宮を通り越す流動が少ない(名古屋発着の特急ワイドビュー南紀紀伊勝浦まで4往復中3往復が足を伸ばすのみ)ことなどから、実質的には和歌山方・津方どちらも新宮が終点のようになっている。そのため、記事中では新宮を境に、津・名古屋方のJR東海管轄の非電化区間を「紀勢東線」、和歌山・大阪方のJR西日本管轄の電化区間を「紀勢西線」と呼び分けることにする。

紀州名物めはり寿司を求めて

雨の新宮駅を出た。平日の午前中、しかも大雨のさなかとあって駅前に人影はなく、タクシーもわずかしか停まっていない。観光案内所でお弁当屋さんがないか聞いてみたが、駅前広場に面した店もこの大雨とあって閉めてしまったという。どうにも幸先の悪いスタートである。乗り継ぎ待ちの1時間とあっては熊野速玉大社や新宮城へ足を伸ばすわけにもいかず、とりあえず新宮駅近くにあるショッピングセンター、オークワ新宮仲之町店へ向かう。新宮駅近くにはオークワが2つあり、もう一つは新宮駅から真っ直ぐの駅前通りにある、その名も「新宮駅前店」であるが、こちらは普通のスーパーのよう。ただ、駅前店といっても徒歩4分とあり、駅の裏手に位置する仲之町店も徒歩5分だったので、より大きな仲之町店へ行くことにした。

線路に沿った商店街を歩く。新宮駅からオークワや新宮城への最短ルートとなっているせいか、小さな飲食店や雑貨店が軒を連ねる。中心部は駅の裏手にあたる国道沿いで、こちら側に市役所や裁判所が集まっている。人口27,000とはいえ裁判所まであるのは、紀南の中心都市たる所以であろう。人口の割に商店街が広く長く広がっている印象で、新宮市内のみならず近隣からの買い物客も多いと思われる。しかし平日の午前中にこの大雨とあっては、どこも閉まっているのは残念。

唯一口を開いていたのは弁当店。この調子では弁当の在庫があるかどうか怪しかったが、紀州名物めはり寿司のパックが複数並んでおり、迷わず購入。めはり寿司とは高菜の葉の浅漬けでおにぎりをくるんだもので、中のご飯も炊き込みだったり、酢飯だったりと、単純ながらバラエティに富む。その名は木材の産地であった紀州で、木工業の合間に簡便に食事を済ますべく、「眼を見張るほど大きい」ものであったことによるという。木材の産地、紀州ならではの産物と言えるだろう。その性質から、時間が経ってもパリパリの浅漬けの食感は保たれるので、列車の旅にはうってつけ。しかし残念なことに、新宮駅構内でめはり寿司はもはや買えず、こうした街中などで手に入れるしかない。駅弁の醍醐味はこうした地元の味を手軽に味わえる点にあったが、コンビニや惣菜店の台頭により、その衰退は顕著。新宮駅めはり寿司はかなり有名な駅弁であったが、それですらも撤退を余儀なくされたようだ。

f:id:stationoffice:20180706204117j:imageなんとか買えためはり寿司。高菜の食感が瑞々しい

・オークワと大内山牛乳と新宮駅の関係

めはり寿司を片手に紀勢本線の線路を踏切で渡ると、オークワ新宮仲之町店に辿り着いた。ただ、駅に最も近い側は裏口で、いきなり鞄売り場だった。やはり市役所や国道に向いた方が正面口のようだ。しかしその鞄売り場をはじめ、平日の午前中ながら買い物客がそこそこいた。中央部には吹き抜けがあり、エスカレーターがそれを取り囲むという現代的な意匠も感じられる。一階の食品売り場には特に多くの買い物客が行き交い、ショッピングカートが四方へ散ってゆく。

f:id:stationoffice:20180706204227j:image吹き抜けが印象的なオークワ新宮仲之町店

食品売り場を覗くと、牛乳コーナーに陳列されていたのは大量の大内山牛乳。そう、前回通った紀勢東線の普通停車駅、大内山の駅前にあったあの牛乳工場から来たもの。三重県内だけでなく、和歌山県内においても大手チェーンのオークワの流通に乗っていて、しかも脇にあるのではなくてメインの牛乳として広く棚を取っているのは驚きだ。ここでも三重県紀州和歌山県の繋がりの深さを感じる。それこそ、海沿いのわずかな平地に市街地が転々と連なる和歌山県内で、牧畜に適した土地は少ない。その点、盆地が広がる大内山では広く放牧地を確保でき、工場建設に要する土地もある。同じ地域内で産品を循環させている好例であり、牛乳の流通の在り方を見ればその地域の繋がりが見えてくる恒例でもある。牛乳は足が早いために長距離の輸送や保管が難しく、特に地場の牛乳はこうして地域内で消費される場合が多い。そうであるからこそ、牛乳の品揃えを見れば、その地域がどこへ繋がっているのかが容易に理解できるのだ。

f:id:stationoffice:20180706204332j:image陳列された大量の大内山牛乳

その大内山牛乳をはじめ、食料をいくつか購入。先述したように紀勢本線新宮駅ですら駅弁がなく、都市内のような駅ナカ・駅近コンビニも期待できないので、こうして余力があるうちに補給物資を仕入れておきたい。「仕入れられるうちに補給物資を仕入れておく」のは、長距離普通列車旅の鉄則である。

表口から新宮駅へ向かったが、やはり徒歩5分ほどで到着した。こうした大型スーパーが地方の駅、それも特急停車駅の近くに立地している例は、もはや珍しいといえる存在になってきている。かつては伊勢市駅前にジャスコや三交百貨店があったように、大きな駅の近くには大規模小売店が立地しているのは珍しくなかったが、モータリゼーションの深化によってそうした店舗は数を減らした。伊勢市でもジャスコはクルマでの来店を前提とした郊外へ移転し、三交百貨店は百貨店そのものの沈滞もあって閉店に追い込まれた。

しかし、そうした中で新宮のまちなかに大きなオークワがまだまだ頑張っているというのは、駅近くの小型店と、まちなかの大型店を両方維持し、来店しやすい環境を整えるといったオークワ自身の努力ももちろんであるが、紀伊半島の山々が海岸近くまで迫り、そのわずかな海岸沿いの平地にすべてが集中する紀伊半島ならではの地勢も関係しているだろう。結果として駅と大型店の距離も近く、現にオークワの袋を提げて新宮駅から普通紀伊田辺行きに乗り込む人も何人かいた。ローカル区間普通列車にとって、こうした駅近くの大型店の存在は大きい。結果、昼間の普通列車であっても買い物客の姿があり、「高校生専用列車」になることを防いでいる。普通列車の約2時間に1本という運転間隔も、結果的に買い物にはちょうどいいサイクルなのかもしれない。街に寄り添い、街とともに生きる鉄道と、オークワの姿がそこにあった。

f:id:stationoffice:20180706204429j:imageまちなかで頑張るオークワ。実に頼もしい存在だ

・「紀勢中線」区間を辿る

11:25、新宮発。紀勢本線普通紀伊田辺行き。普通紀伊田辺行きは2両編成に20人ほどの乗客を乗せ、新宮を出発した。その次の三輪崎、紀伊佐野といった1〜2駅の利用もあるあたり、普通列車が日常の足として機能している様子が窺える。駅と中心街が離れている場合は、駅に出るのも大変なのでこうした利用は少なく、「列車とは街の外に出て行くもの」という捉え方をされることも多いが、先の通り新宮駅はまちなかにも近く、紀勢本線はそうではないようだ。

f:id:stationoffice:20180706203700j:image新宮で発車を待つ普通紀伊田辺行き

新宮駅が中心街と近いのは、紀勢本線の歴史にも一因があるように思われる。紀勢本線のうち、紀勢西線の南端部にあたる新宮〜紀伊勝浦間(現在はすべてJR西日本管轄の電化区間)は、国鉄ではなく新宮鉄道という私鉄の手によって、1912年という紀勢本線のなかではかなり早い時期に開業した。新宮の街に川を下って集まってくる木材を、紀伊勝浦の港に運ぶために開業したものだ。村単位の飛び地として名高い和歌山県東牟婁郡北山村(村域すべてを奈良県三重県に囲まれる)など、新宮とその上流の村々は積出港と木材の産地として深い関係にあった。北山村が和歌山県へ属することになったのも、上流の木材の産地たる北山村と、下流の木材積出港たる新宮が別の県になるわけにはいかないという、北山村住民の請願が叶ったことによるもの。しかし明治以降の船舶の大型化によって新宮の港に大型船が接岸できなくなり、大型船が接岸できる紀伊勝浦までの輸送手段が必要になった。このため、紀勢東線の最初の区間より20年も早く鉄道が開通したのである。この経緯を持つため、木材の積出を容易にすべく、新宮の街の中心にきわめて近い場所に新宮駅が設けられたのではないだろうか。その歴史が、今日では「買い物にも便利な電車」であり続ける方向に作用しているのは僥倖。駅の数も紀勢中線区間はその他に比べてやや多く、乗車機会を増やしている。その代わり、時代が古いだけに急曲線が多く線路は低規格であり、105系はなかなかスピードを出せない。

f:id:stationoffice:20180706204723j:image波打ち際を走る

新宮から26分、紀伊勝浦には11:51に到着。ここで12分停車し、名古屋8:05発→紀伊勝浦11:56止まりの特急ワイドビュー南紀1号を待ち受ける。南紀1号の多気出発は9:24で、ここで2時間20分の差を詰められたことになる。途中には新宮での1時間待ちを含んでいるが、それを引いてもなお1時間以上特急の方が速いのは、特急の面目躍如といったところか。南紀が新宮を跨いで紀伊勝浦まで足を伸ばすのは、紀伊勝浦那智の滝勝浦温泉といった観光地の玄関口の機能を果たしているからで、普通紀伊田辺行きからも身軽な観光客が何人か降りていった。南紀からの乗り継ぎ客を10人ほど乗せて12:03に発車。

f:id:stationoffice:20180706204818j:image紀伊勝浦止まりの特急南紀を待ち受ける
f:id:stationoffice:20180706204814j:image2両ワンマンの普通に比べると特急は長い

本州最南端にして台風中継のメッカ・潮岬(しおみさき)最寄り、串本には12:50に到着。新宮から1時間25分かかった。ここからはやや向きを変え、北上を始める。「紀勢中線」として開業したのはここ串本まで。長距離路線だと「東線」「西線」、「南線」「北線」として部分開業し、全通後に路線名を統一する例は多いが、「中線」まで存在したのは紀勢本線が唯一の例。紀伊半島があまりに大きく、東西からだけでは建設が遅くなるためにこうなったようだ。その串本では1日2本だけ新宮からの折り返し列車があり、新宮を中心とした日常的な利用が串本くらいまで存在する様子が窺える。

f:id:stationoffice:20180706205407j:image本州最南端をPRする串本

f:id:stationoffice:20180706205003j:imageイルカ漁で有名な太地。駅の意匠でも名物をPR
f:id:stationoffice:20180706204959j:image手に取る距離に大海原が広がる

・忍耐の105系

新宮から2時間10分、串本から40分、13:36に周参見(すさみ)へ到着。周参見伊勢市からの所要時間が大阪経由と新宮経由で拮抗する地点にあたり、ここまで来るともはや伊勢の空気はない。ここで珍しいことに団体専用列車、サロンカーなにわとすれ違った。最後尾の展望客車、展望デッキにも人がおり、わずか2両のローカル列車との邂逅を楽しんでいるようだ。あちらは文字通りのサロンをはじめとした優雅な列車だが、こちらは無骨な4扉ロングシート国鉄型電車。あまりの環境の違いについ羨ましくなるが、今は見送ることしかできない。

f:id:stationoffice:20180706205159j:image周参見の駅構内いっぱいに停まるサロンカーなにわ
f:id:stationoffice:20180706205154j:image展望席が印象的だ

このあたりでいよいよ腰痛を感じるようになってきた。新宮からでも2時間以上、伊勢市からほぼずっとロングシートに揺られていると、同じ姿勢でいるからか、背骨に負担がかかるのだろう。しかも新宮からはそれまでの新型気動車キハ25でなく、経年40年以上の国鉄105系電車であり、金属ばね台車の乗り心地は良いとは言えない。単線区間ゆえ、駅ではポイントが連続するが、そのポイントレールに車輪が当たり、ギリギリと擦れる感覚が直に伝わってくる感じだ。しかも天気は相変わらず悪く、せっかく海沿いを巡る区間なのに海を見渡せないのは残念だ。もはや早く紀伊田辺に着かないものかと、残り30分を腰痛と戦いながら辛抱するしかなかった。

新宮から2時間38分で白浜に到着。パンダの繁殖で有名なアドベンチャーワールドをはじめ、白浜温泉も控える京阪神のリゾートとして名高い地である。それだけに大阪からの特急が半数以上折り返す、特急運行上の拠点駅であるが、あくまで観光客対応のためで、普通列車の乗客が多いわけではない。白浜折り返しの普通はなく、白浜からの上り普通は早朝1本の串本始発を除き、全て新宮始発。その数僅か1日9本と、紀勢本線の中でも普通列車の本数が極めて少ない区間にあたる。それでも紀伊田辺までの短距離利用か観光客が10人以上乗り込み、紀伊田辺までのラスト13分を彩る。

・いよいよ紀伊田辺

新宮から2時間51分を経て、久しぶりの市である田辺市の中心駅、紀伊田辺に14:16に到着。2両編成のワンマン電車とはいえ、いっぺんに乗客を降ろすと結構な人波になる。半数以上は改札口へ向かっていったが、20人程度は紀伊田辺始発普通御坊行きに乗り継ぐ。御坊行きもやはり2両編成だが、ここからは普通も1時間に1本に増え、単線だった線路も複線になる。だんだんと都会の空気が近づきつつあるようだ。

f:id:stationoffice:20180706205542j:image待ちに待った終点紀伊田辺。接続の普通御坊行きが待つ

 

(つづく)